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わが国の〝かたち〟をとりもどそう

その八十九
わが国の〝かたち〟をとりもどそう
- 武道のすすめ -
 拙談「その三十一」~「その三十五」の『剣道とは、なにか』では、昭和59年、私が警察大学校に入校したときに作成した論文を紹介しました。当時37歳、剣道指導者として駆け出しの作でした。

 その後、平成5年に警察庁出向、警察大学校勤務となりました。官舎が北新宿(後、大久保)というご縁で新宿剣連に入会することとなりました。

 警察大学校には平成19年の定年退職まで14年間勤務させていただきました。
 このたび紹介させていただくのは、警察を退職する直前、平成18年のものです。先ほどの論文『剣道とは、なにか』が、警察剣道指導者の登竜門であったとするならば、これは警察の卒論といえます。

 退職を前に、わが警察人生の集大成のようなものをまとめてみたいと漠然と思っていたところ、*公共政策調査会からの懸賞論文「『社会の安全と日本人の倫理』をいかに考えるか」の募集を知りました。

 しかしながら募集要項をつぶさに見てみると、当会の求めているのは何々論ではなく、生の声というか実践を通した具体的提言となっています。
 ところが私が書こうとしている小文は、やや高みに立った全体論的な展開となり、募集要項の趣旨とは若干齟齬あることは否めません。そこで、ちょっとゴリ押し気味に「武道のすすめ」というやや具体性をもたせた内容を付け足して提出した次第です。

 警察論文ならともかく、ちょっと場違い感の中、なんとか佳作入選させていただきました。
 なにしろ10年も前のもの、今まで記してきた剣談と重複する事柄もありますがお目通しいただければ幸いです。
 いささか長文のため5回に分けて掲載させていただきます。

*公共政策調査会
http://www.cpp-japan.org/r_works/article.htm


わが国の〝かたち〟をとりもどそう
- 武道のすすめ -
警察大学校 術科教養部長兼教授
真砂 威

はじめに
 国民のモラル低下が憂慮されるようになって久しい。特に近年は、その度合いが急速となり、「崩壊」とまで言われだした。
 実の親子による虐待や殺人、動機不明な凶悪犯罪は言うに及ばず、自分さえよければといった詐欺、偽造、データーの捏造(ねつぞう)・改ざん・盗用等の事案が頻発している。

 金融本来の機能を超えマネーゲームと化した利殖に狂奔する経営者、またそれを「時代の寵児(ちょうじ)」などともてはやす大衆。
 身近なところでは、NHKのテレビ番組でも取りあげられていたが、「高速道路の料金所を料金を払わずに突破する車」、「コンビニや道の駅のゴミ箱に捨てられる大量の家庭ゴミ」、「本の無断持ち出しや切り抜きが相次ぐ図書館」等々、見るに堪えないあさましい風潮が世の中を覆っている。
- 何かが大きく狂ってきた -

一 道徳の国、日本
 かつてわが国は「道徳の国」と呼ばれていた。
 わが国が近代国家の建設をめざす、幕末から明治維新にかけて数多くの外国人が来日したが、彼らが一様に称賛するのは、日本人の道徳心の高さであった。

 文明の遅れはあったとしても、人心の洗練度は高みをきわめており、西欧人が一目置かざるを得ない威厳を示していた。

 約百五十年前、わが国に対し強硬に開国を迫ったペリーも、日本の文化水準と能力の高さを十分認めたうえで交渉にあたったという。

 最初の駐日総領事の米外交官ハリスも、日本人の質素さ、正直さ、態度の丁寧さについて、「他の国にはみられない」と日本人のモラリティーを誉めたたえている。

 また、明治維新を目前にした幕末、咸臨丸に乗って太平洋を渡航しアメリカに到着した武士たちに、詩人W・ホイットマンは感銘を受け、「ブロードウエイの行進」という詩を寄せた。

 ホイットマンは、この武士たちのことを二つの言葉で表現した。ひとつは「courteous(礼儀正しく思いやりのある)」、もうひとつは「impassive(超然とした)」である。

 このように日本人に接した外国人は、国内外を問わずみな同じような讃嘆のことばを述べている。やがて日本人は、これらの徳性と固有の勤勉性を生かして西欧列強に伍する近代国家建設への道をひた歩むのである。
- なぜ、わが国が比類なき〝道徳の国〟であり得たのか -

二 わが国の道徳教育
 わが国の道徳教育についての疑問を、自分自身に投げかけたのが新渡戸稲造であった。

 新渡戸稲造は『武士道』の著者として名高いが、彼が『武士道』を著すきっかけとなった経緯を本書の中でこう述べている。ヨーロッパ留学中、某教授との会話である。

<「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教教育なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を初めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。>

 新渡戸は、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と説きおこし、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。一言にすれば『武士の掟』、すなわち武人階級の身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージェ)である」と喝破する。

 次に、「義」「勇・敢為堅忍の精神」「仁・惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」など武士道の中味について論述している。そうして武士の掟であった武士道が、やがて民衆への感化をもたらし、日本の精神的土壌に開花結実し、遍く国民の道徳教育となっていったかを説き明かした。

 この著は、新渡戸稲造が三十八歳の年、明治三十二年(一八九九)に英文で書かれたものである。明治三十二年といえば日清戦争と日露戦争の狭間にあり、日本に対する世界の認識が極めて薄い時代であった。

 当時のアメリカの大統領T・ルーズベルトは、この『武士道』を読み、すっかり日本びいきとなり、日露戦争の早期終結に力を注いでくれる緒となったと言われている。またアメリカのみならずフランス語、ドイツ語などにも翻訳され世界のベストセラーとなった。<註1>
- いまあらためて〝武士道〟を言問う必要がある -
つづく
<註1>
 最近、新渡戸『武士道』の内容について、ある学究筋から間違いを指摘する向きもある。しかし、学問上の其(そ)れはそれとして、わが国の黎明期にあって、日本人論を英文で斯(か)くも堂々と世界に宣揚し、サムライ・スピリットを普遍せしめた歴史的功績は極めて大であると考える。
平成28年9月16日

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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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