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活況を呈する高齢剣友会

その八十七 活況を呈する高齢剣友会



 7月2日(土)午後、新宿コズミックスポーツセンターにて、第12回関東・東北高齢剣友会合同稽古会が開催されました。



 このたびの参加は、東京・埼玉・神奈川・茨城・栃木・群馬・新潟・福島・宮城から、年齢(人数)は、90歳代(3名)・80歳代(17名)・70歳代(109名)・60歳代(94名)・50歳代(7名)・50歳以下(1名)と大勢が集まりました。



 この稽古会は、関東・東北高齢剣友会が合同で行うもので、年1回、持ち回りで開催されます。

 今回は、東京都が当番ということで、東京高齢剣友会の会長が伊澤豪人先生ですから、場所は「新宿コズミックセンター」、そして私が「特別指導」を担当するという新宿づくしの稽古会でありました。



 特別指導と申しましても、きわめて短時間で内容も雑駁なものでしたが、せっかくの機会ですので、新宿剣連の方々にその講義内容を紹介させていただきます。

 時間の都合上、割愛させていただいたところもありますが、ここではその内容も含めて掲載させていただきます。



段位審査を受けるにあたり

 昨年の国勢調査によりますと、今やわが国の全人口の4人に1人が65歳以上の高齢者ということです。

 (65歳といいましても、ここにおられる先生方からすれば、まだまだ若者の部類かもしれませんが…)

 まさに高齢化社会に突入。これからますますこの傾向が強まることは必至です。



 国や地方公共団体などでは、「高齢者が生き生き暮らせる環境を整えることが急務である」などとしていますが、ここにお集まりの先生方は、「そんなこと余計なお世話だ」とばかり、すでに生き生きと活躍しておられ、自立心の強さがうかがわれます。



 先般、6月6日(月)、日本武道館において高齢者武道大会が開催されたました。私は審判を勤めさせていただきましたが、選手として出場された先生方は、まさに人生真っ只中と言ってよいくらい溌剌と生気にあふれており、頼もしく拝見させていただきました。



 また、本年5月の八段審査(京都)では、東京高齢剣会員の豊田芳一さんが74歳で見事八段に合格されました。この次は、是非ここにおられる皆様方の中から合格者が出てほしいものです。



 そして、本年の京都の演武大会では、前全日本高齢剣友会会長であられる髙﨑慶男先生と山口の坂井年夫先生が取りで立ち合われたのですが、両先生とも93歳という年齢です。

 われわれは両先生を存じ上げておりますから、「さもありなん」と思うわけですが、世間一般の人からすればとても考えられないお歳です。



 ところがです。髙﨑先生ですが、当日その前にもうお一人と立ち合われました。そのお相手は、今大会最高年齢の出場者であられる大阪の太田博方先生(範士七段)で、なんと御年101歳です。

 その髙﨑、太田両先生が立ち合われたお姿がなんと素晴らしかったことか。つくづく、上にはまだ上があると思わされました。両先生におかれましては、どうか来年も再来年も元気なお姿で武徳殿にお立ちいただくことをお祈り申し上げるものです。



 かく言う私は、今秋70歳というまだ若造でありますが、3年前まで約6年間、全剣連で審査担当をさせていただいたということで、このたび段位審査のことについて少しお話をさせていただきます。



 まず、皆様方におかれましては、「すでにこのままで十分です」と申し上げさせていただきます。

 ここには段位を目指しておられない方もおられるでしょう。それはそれで大いに結構です。ご自身が独自の世界を切り拓かれる、これで結構です。

 高齢になるということは、一般社会のしがらみから解放されること、ここに一つの楽しさがあるだろうと思います。



 とは言いつつですが、これからまだ長い剣道人生です。今ひとつ前向きにとらえ段位審査の合格、とくに八段合格を目指すことをお奨めしたします。

 これを今からの剣道修業の道しるべとすれば、日々の稽古にこれまで以上の彩りが加えられると考えるからです。



 そして、ここに八段合格を本気で目指している方がおられるなら、ぜひ合格していただきたい。そういう願いをこめ、この場に立たせていただきました。



 さて、日ごろの稽古において皆様方持ち前の「元気さ」、それはもちろん大事なことです。

 しかし、単に元気というだけでは審査の合格にはつながりません。



 それでは「有効打突」でしょうか? 

 たしかに有効打突は、剣道の要ではあります、が…。

 極端に言うと、有効打にとらわれているから、かえって有効に至らない、のです。



 どうしても相(あい)対して構えたところから、一気にというか、一つの挙動で技を決めようとする傾向が多くの方に見受けられます。

 それは審査だけにかかわらず、試合もそうですし、日ごろの稽古だって頻りに打ち合いに逸っておられる。



 それは、人間の本能と言いましょうか…。

 いきおい短兵急なやり取りとなってしまいます。

 その心理は「打ちたい、打たれたくない」という気持ちから発する「急ぐ心」が原因かと思われます。



 そこに足りないのは、打つ前の「ひとしごと」です。「しごと」とは、決して策を弄することではありません。

 打突の前提条件づくりだと考えてください。



 「しごと」を言語表現で喩えれば、

①相手と対する

②打つぞ突くぞ、の気迫で圧する

③緊迫度が高まる・緊張が走る・身体が強張る・反発意の惹起・心気の綻び

④気と気が合致

⑤「いま」という瞬間(機会)

という①から⑤までのプロセスを経て、打突動作に移ることが肝心です。



 たぶん皆様方も分かっていらっしゃると思います。しかし、なかなかそのガマンが出来ないのが現状ではないでしょうか。

 ガマンしょうとすれば、反対にこちらの身体が強張ってきます。ですから①②ぐらいのところで、ガマン出来ず打突動作に出てしまう、というのが実のところではないでしょうか。



 さもなくば、この七面倒くさいプロセスなどは端折って、遠い距離から走り込んで打つとか、反対に至近距離までつかつかと入り、打ち間をつくらず戛々(かつかつ)の打ち合いに終始されている場面をよく見かけます。が、どちらも「機会」というものをとらえていないことに変わりなく、運だめし、や、力勝負、の域を出ません。



 それと、「若いときはこの間合から届いたのになぁ…」と嘆くのはやめましょう。これは無い物ねだりに等しいことです。



 また、よしんば遠い間合から届いたとしても、けっして誉められたものではありません。そんなものは相手と応答関係を築かず矢庭に打って出るものですから、仮に一本となったとしても、まぐれ当たりのようなものです。ですから、「もう一度同じ技を」と言われても再現できないわけです。



 ところが若い人たちの技は多くがそれです。これらの技には再現性は認められませんが、高度な競技選手になると「スピードと勘」によってかなりの確率で有効打突を生み出すことができるのです、が、それは理ではありません。

 われわれが求めているのが「理に叶った技」であるとするならば、彼らの技は「理外の理」と言ってよいでしょう。

 

 理に叶うとか理合というと、なにか高邁な、ふつうの剣士には程遠い、と思われがちですが、そうではありません。

 理に叶った技で最たるものは「出ばな技」です。この中には出小手を得意にされておられる方もおられると思います、が、ただ同じプロセスを践んで「もう一度」となると、なかなかできない。

 それでは得意技といえども「偶然」の域を出ないと言わざるをえません。



 今日はその「出ばな技」について、突きつめて考えてみようと思います。

 出ばな技が理に叶っているという最たる理由は、これはボクシングでいうカウンターパンチと同じで「よく効く」ということです。

 それと打った方はもちろんですが、打たれた方も「参った」と頭を下げ、観ている方も納得し感動する。自分・相手・観戦者の三者が一つの技の価値を共有するわけです。



 こういった技が「高度な技」と言うのでありまして、いま巷で跋扈しているスピードに頼った刺し面などもそうですが、相手が気づかぬうちに素早く打つ、というのは余り感心できるものではありません。



 また、フェイント技もしかりです。相手がそれに動じ功を奏すれば、それなりの評価はあるでしょう、が、そのフェイントのしかけに相手が動じなければ、独り芝居となってこれほど惨めな態はないでしょう。



 しかし出ばな技は違います。相手と自分の気と気、剣と剣、体と体が合する。

 「気剣体一致」という教えがありますが、単に自分だけの気・剣・体ではなく、この三つを相手の気・剣・体と合する。ここに出ばな技の真髄があるのです。



 また出ばな技は、相手の体の前進が伴うので、自分の脚力が衰えたとしても、相手の動きが打ち間づくりに協力してくれる、ということです。



 そう、相手に協力させる、これがすなわち理合です。

 相手に、受けられる、避けられる、仰(の)け反られるたりしたところを無理やり打突するのは理に叶っていないと思ってください。



 反対に、ここが大事。

 相手から出ばな技を打たれる、抜かれ、返され、すり上げられ有効打を取られる、これは修業段階としては、ひとまず「よし」とすることです。

 「機会はよかった」と。

 その上で、攻めが効かなかった、ためが足りなかった、と反省すればよいことです。

 次は、もう一呼吸の「しごと」を工夫すればよいのです。



 千変万化の間合の攻防の中で、いかに機会をとらえ打突するか、今後はこの稽古に徹していただきたい。

 必ず、先ほど言いました①から⑤までのプロセスを践むことを忘れないでください。



 本日、これからの稽古は、できるだけ多くの先生方とお願いしたいと思いますが、私としましては、ただいま申し上げたことを、いかに実地に見本としてお示しできるかにかかっております。

 どうかよろしくお願いします。

 ご静聴、ありがとうございました。

以上
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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