スポーツ観の変容

その八十六
スポーツ観の変容

 「道」の観念は日本人の遺伝子に深く刻み込まれており、なべてわが国のスポーツは「道」的なスポーツ観のもとに行われてきたといえるでしょう。

 練習場は道場のごとく神聖な空間ととらえ、入場に際しては帽子を取り一礼する、その境界の中にあってはガムを噛んだり、口笛を吹いたり、大声で笑ったり、ふざけたりすることが戒められます。

 また用具に対しても、だだの道具ではなく、われわれ剣道人が竹刀や防具を扱うごとく、聖なる、あるいは命を宿したものとして大切に取り扱われるなど、日本人の練習に対する態度はまことに「求道的」であります。

 よく「文武両道」という言い方がされますが、多くの場合、学問とスポーツの双方に秀でていることを表現する言葉としてふつうに用いられています。このように日本人は、スポーツを武道的にとらえるとともに、武道的な要素を多く含んだ競技やまたそのプレーに心を寄せてきました。

 しかし近頃では、ガムを噛むとリラックス効果がある、心拍数を安定させ平常心を保たせるなどとして、ガムを噛んでプレーする野球やサッカー選手の姿も散見するようになりました。

 また、金髪がダメ、髭がどうだのこうだの、態度がうんぬん、ユニフォームの着こなしなどなど、これらが無用の干渉と受け取られ、本来のゲームとは関係のない部分について口出しすることに、ある種の反発が生じてきています。

 また、「道」を引きずっているが故に日本の選手は本番で実力が十分に発揮できないとし、アメリカのようにもっと選手の個性を尊重すべきであるという考え方も現れてきました。

 このように、「道」的なスポーツ観が日本選手の強化の差し障りとなっている、と言いたげな空気が周りに漂って来ております。

 そうして昨今の日本では、自由奔放にふるまう若手選手が物おじせずに国際舞台で活躍するのをまざまざと見せつけられたりすると、生強(なまじ)いの「道」とか日本精神というものこそ選手が実力発揮するための軛(くびき)となっているのではないか、と評されるようにもなりました。

 はたして、日本人のスポーツ観は変容をきたしたのでしょうか。

 そういったなか、前述したようなスポーツ選手の不祥事が立て続けに起こりました。4年後に迫った東京オリンピックを目前に、ますます激しくなると予想される勝利主義の下、どのような選手強化が展開されていくのか—

 暗澹とした気持ちになっていた矢先、この度また、スノーボード選手の大麻使用が明らかになりました。
 いったいわが国のスポーツはどこに向かって行っているのでしょうか。

 関係者は、
 「選手に対する服装や礼儀の指導に心血を注いできた」
 「指導者は選手に対して、どんな期待と責任、影響力があるのか、なぜ強化資金は出るのか、を伝えねばならない」
と応え、日本オリンピック委員会(JOC)は、
 「JOC加盟団体の全競技の日本代表クラスの選手を対象に、コンプライアンスなどに関する教育プログラムの受講を義務付ける。受講後にレポート提出などを課す方針で、修了できなければ強化指定を外す」
という意向を明らかにしました。

 また、当の全日本スキー連盟の役員は、
 「将来ある選手を導くのも連盟の役割」
 「世界一になれば何でもいいとは思っていない」
としつつも、
 「選手を365日管理することはできない」
と選手の管理の難しさを吐露する発言もありました。

 そして鈴木大地スポーツ庁長官は、「未成年ということで、指導者が指導力を発揮しなくてはいけなかったのでは」と管理態勢に苦言を呈しました。

 日本代表という肩書きを持ち、国費を使って育成してもらっているのだから、国民の模範となる自覚を持たなければならないのは当然であります。

 しかし、それら一連の受け応えでうかがわせる「強化と管理」という図式には容易に馴染めないものを感じるのは筆者だけでしょうか。

 「スポーツの意義」を今一度ふり返ってみましょう。

心身の健全な発達
健康及び体力の保持増進
精神的な充足感の獲得
自律心その他の精神の涵養
他者を尊重しこれと協同する精神の育成
公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う
実践的な思考力や判断力を育む

 ここに掲げられた内容は、先ほどの「選手の管理」とは全く別ものです。
 スポーツで鍛え錬り上げた選手たちが、ここに示す内容を全うすることができているならば、先に述べたような不埒な行動を起こすとはとうてい考えられません。
 なのに、このていたらくは…。

 「スポーツの意義」は、単なる絵に描いた餅なのでしょうか。また、ユウェナリスが皮肉ったように、スポーツの意義に掲げる内容が全うされることが、「願われるべきである」だけでいいのでしょうか。

 どうも先ほどの関係者や識者の意見を聞いている限り、わが国においてもアメリカやヨーロッパのように、スポーツに人間形成的な価値を求めず、管理者側が教条主義的に「選手の行動に規制の網をかけて、管理を徹底することが必要だ」と言っているように思えてなりません。

 何度も申しますが、わが国においては、習いごと、稽古ごと、しごと、スポーツなど、その技能の進歩向上に精神を注ぎ込むことによって、人としての生き方の筋道を知るという営みが営々と受け継がれてきました。

 「技能の向上と人格の陶冶」をくくった精進「道」として粛々と修業(行)に励む。
 それは、西欧諸国における宗教教育と比肩して余りある、と〝自国〟自賛するものです。

 温故知新。この「道」の再現こそが、日本スポーツ復活の根源であると力をこめて訴えかける次第です。
 「道」は、「スポーツの意義」と基軸を同じくすもので、規制や管理とは全く正反対のもの。「道」は、極めて内省的に勤しまれる自己教育にほかなりません。
 けっして、お題目などではありませんぞ!
つづく
平成28年5月8日
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク