「道」について

井蛙剣談 その九

サッカー女子W杯ドイツ大会で日本代表「なでしこジャパン」が、決勝でアメリカをくだし見事初優勝を成し遂げました。
 東日本大震災の影響もあって各国から過小評価されていた日本チームですが、おおかたの予測をはね返し、驚異的な戦いぶりで快挙を成し遂げた「なでしこジャパン」の活躍は、少なからず日本全体を元気づけてくれました。
 サッカーはもともと男のスポーツとされ、女子サッカーの歴史はそれほど長くありません。
 前回、「男もすなる剣道」というタイトルで女子剣道を取りあげましたが、まさに女子サッカーも「男もすなる」の存在にほかなりません。
 女性がサッカーの競技を行うようになったのは、1960年代から70年代にかけてとされています。
 1960年というと昭和35年ですから、女子剣道の萌芽と時期をほぼ同じくするといってよいでしょう。
 前回、「理の剣」をもって屈強な男子と立合って引けをとらず、高段に合格する女性剣士のことを述べましたが、精神論はさておき、このたびの「なでしこジャパン」の活躍は、海外選手と比して体格に劣る日本女子のなせる、まさに「理」のサッカーといえるのではないでしょうか。
 この「なでしこジャパン」と日本の「女子剣道」に通底する「理」については、改めて稿を立てたいと思います。
 さて、拙欄「その三」、「道徳の国ニッポン」に対し、柳沢伸也さんからコメントをいただきました。柳沢さんは、日本では剣道に全く縁がない生活をしていたわけですが、建築の研究のため3年間イタリアに在住中にイタリア人の手ほどきを受け剣道を始めたとのことです。彼は、「日本文化としての剣道を教えてくれたのは、他でもない外国人でした」と述べています。
 その柳沢さんは、時代を超えて新渡戸稲造の青年期と同じ体験をされました。すなわち、新渡戸稲造がヨーロッパ留学中における某教授と交わしたあの会話
教授:あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか。
新渡戸:ありません。
教授:宗教教育なし!どうして道徳教育を授けるのですか?
で、返答に窮した新渡戸は考えあぐねたすえ、「私の正邪善悪の観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである」のくだりです。
 柳沢さんも同様の質問を受け、「武道や華道と言った文化が継承されているからだと思う」と答えられたそうです。
 わたしは、その核は「道」ですと申し上げ、それについて近いうちに管見を述べたいと思います、とお応えしましたが、それから1ヶ月半近く経ってしまいました。
 詳しくは拙稿「その三」と「最近コメント」欄(6月13日付)をご覧ください。
 では、本題に入ります。われわれ日本人は、「道」という言葉を好んで使います。「柔道」「剣道」「弓道」、そしてそれらを総称する「武道」はもとより、「華道」「茶道」「書道」など数多く使われています。
 このように日本人は、とかくのことに「道」をつけて呼ぶことによって「道徳的意義」を問い、「人格の形成」と大きな関わりをもたせてきたようです。生け花を「華道」、習字を「書道」と呼ぶことによって、それら習い事を〝人間形成の道〟に昇華させいそしんできました。
 同じように、「武士の心組み」や「生き方」にかかるものを「武士道」と思想づけ、自らの道徳原理とし、また己を高めるすべとしました。
 新渡戸稲造が見いだしたように、わが国ではこの「道」の思想が根底にあるゆえに、ことさら特定した宗教の信仰がなくても国民はおしなべて道徳的であり得たと思われます。
 この「道」の観念は、日本文化独特のものであり、日本人の意識構造や宗教観にも重要な位置を占めています。そしてこの「道」が、わが大和民族の道徳を大きく支えてきたといってよいでしょう。
 武道や芸道における「道」は、「技術上達」イコール「人間向上」とし、「身体と心」あるいは「技と心」を一体のものとしてとらえようとする思想であります。
 そしてその稽古あるいは修業は、極めて「内省的」に自分の心身を把握し、さらにわが身を自然の摂理あるいは法則に照応しようとしてきました。
 武道や芸道を問わずあらゆる「道」は、つまるところ「人間形成」に集約されているといえるのではないでしょうか。
 また、こういった日本人の心性は、外来のスポーツを行う場合でも「野球道」「サッカー道」と呼ぶことがあるように、「道」をつけることによって条理を求めてきたようです。
 球児がグランドに入る時やバッターボックスに立つときに帽子をとって頭を下げるのは、グランドを修業の場(道場)と見立てているゆえと思われます。
 われわれは、このようなスポーツの「道」的な取り組みに共感を覚えるとともに健全さを見出します。
 翻って考えてみると、「宗教教育がない」といわれるわが国に、「道」が衰退したら国民の道徳心が地に落ちるのは当然のことではないでしょうか。
 新宿剣連の「基本理念」の冒頭にも記しましたが、日本人のモラル低下が憂慮されるようになって久しく、特に近年は、その度合いが急速となり、「崩壊」とまで言われだしました。この日本人のモラル崩壊の原因は、「道」の衰退にあると言えます。
 折しも東日本大震災の後、日本人の心根を再生させようという思いがわが国全体に芽生えてまいりました。
 それに先がけ新宿剣連の皆さん、今まさにわれわれに求められるのは「剣の理法の修錬による人間形成の道」であります。どうか日々倦むことなく「道」を求め、「理」に適った稽古を心掛けましょう。
 この「道」に関しては、月刊『剣窓』最新号(八月号)の「剣筆」欄に、奈良万葉文化館館長・池坊短期大学学長であられる中西進先生に「道を求める」と題して執筆いただいております
 ところで皆さん、全剣連の広報誌である月刊『剣窓』をご存じでしょうか。
 全剣連では高段者の必読書としていますが、わたしはその内容からして広く剣道愛好者の必読書とつよく推薦するものです。
 全剣連のホームページに、『剣窓』の紹介が載っており、そこから購読の申し込みができます。年間購読料も3,150円(税込)と格安です。ぜひご購読ください。http://www.kendo.or.jp/bulletin/index.html


つづく

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク