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身心錬磨の道として

その七十五
身心錬磨の道として

 前回は、剣道試合の勝利至上主義がもたらす弊害とされる「三所避け」について述べましたが、けっして新宿剣連の皆様方に直接関係することとして取り上げたわけではありません。他山の石としていただければ幸いです。

 ただ皆様方にお願いしたいことは、稽古中、相手からのしかけに対し、三所避けならずとも避けるのみに終わらないことであります。
 
 剣道においては機先を制することが最も重要であるとされ、先の取り合いが勝負を決すると言われています。先には「先々の先」「先」「後の先」の三つの先があるとされますが「避け」は、それら先とはまったくの正反対で、後れにほかなりません。

 ほんらい相手からのしかけに対しては、抜き、すり上げ、返し、切り落としなどの「応じ技」にて迎えなければなりません。

 ただ、「避け」と似て非なるものに、受け流す、躱(かわ)す、捌(さば)くなどがありますが、これらはいずれも相手からのしかけに対し、受け流し、躱し、あるいは捌いて相手の勢いを逸らせ、また空足や踏鞴(たたら)を踏ませた後に先へと転ずるものです。

 単なる避けは、「先送り」に他なりません。
 判断や処理の先送りは、一般的によい意味で使われない場合が多く、剣道においても同様であると考えます。

 前林清和氏がその著『武道における身体と心』で述べているように、相手の攻めに動じない、下がらないでぎりぎりのところまで耐え凌ぐ、心の深層から湧いてくる恐怖心や情動を抑える、という修錬を積もうとするならば「避け」は御法度としなければなりません。

 では、普段どのような心がけをもって稽古に臨めばよいのでしょうか。

 その心がけるべきことの第一は、左拳を正中線上から外さない、ことです。
 返し技やすり上げ技などをつかう場合、一瞬、動きの中で左拳が正中線外になることはありますが、一時もそこに留まらぬことが肝心です。

 ましてや三所避けのように左拳が体側から外れるなどということは論外です。左拳が正中線から外れ留まった時点で、〝自ら「負け」と心得るべし〟です。

 このことに関連して、道を究める上での根本問題、「武道修錬の目的」について少し考えてみたいと思います。

 全剣連設立50周年記念事業の一つとして、平成15年に創設された*剣道殿堂の第一次顕彰者に西久保弘道という人物がいます。
 
 西久保弘道は、一刀正伝無刀流の流派を継ぐ剣道家で、福島県知事、北海道庁長官、警視総監、貴族院議員(勅選)、大日本武徳会副会長兼武道専門学校校長、東京市長を歴任しました。

 その西久保が警視総監時代の大正3年(1914年)、警視庁の巡査訓練所(現在の警察学校)で行った講演録に『武道講話』というものがあります。

 この『武道講話』は、警察官だけでなく広く国民に剣道・柔道を奨める内容のものですが、ここに「武道修錬の目的」が述べられていますので、要点のみ現代文に直し抜き書きしてみます。

 武道修錬の目的は何かということについて、人それぞれ見解を異にし種々の説を唱えているが、これを大別するとおよそ殺人説、護身説、心身錬磨説の三つに区別される。

 しかしながら、武道の真の目的は人を斬り人を殺すということではない。また、身を防ぎ体を衛るということでもない。武道本来の目的は、我々の肉体を鍛え精神を錬るということにほかならない。
 なるほど武道は、場合によって防衛手段になることもあろう。しかしながらこれは決して武道本来の目的ではない。

 武道本来の目的は、金を溶かすような夏の猛暑にも、肌を裂くような冬の厳寒にも、些かも屈しない剛健なる身体を錬るとともに、敵前にあっても雷のごとく大鼾(いびき)をかいて平気で眠ることができるような胆力、すなわち如何なる場合におても些かも動じないという度胸を養うということにあるのである。

 普通の人以上に体力と胆力とを必要とする軍人や警察官は、その職務上とくに武道を錬磨しなければならぬのは当然のことである。
 しかし軍人や警察官ばかりでなく、国民一般に対しても大いに奨励しなければならない。なぜならば健全なる身体と剛健なる精神とは何人に対しても必要欠く可らざる要件であるからである。

 また、如何なる場合においても人を殺傷しない、たとえ相手から殺傷その他如何なる危険な攻撃を受けても敢て抵抗しないという、ある一派の道徳家に対しても、やはり武道の錬磨を閑却することはできないのである。

 他人から殺傷されるような危難を受けても少しも動じないということは容易なことではない。勇躍して危難に赴くということは易いが従容として死に就くといふことはなかなか難しく、最も度胸を必要とするのである。

 ことに宗教家は布教に従事する以上、人の住まない不毛の地に分け入らなければならぬ、また人を食うような野蛮な地にも行かなければならない。従って種々の困難に遭遇し危難に際会するということはもとより覚悟の上でなければならない。

 してみれば極めて温順平和なるべき宗教家といえども、如何なる気候にも堪え得る身体と如何なる場合にも動じない胆力を必要とするのである。

と述べています。

 大正3年といえば1914年ですから、今からちょうど100年前であります。武道修錬の目的を「身心錬磨」とする考えは、時空を超え、今も教訓として自らを戒めています。

 いよいよ本年も押し迫りました。どうか皆様方におかれましては、ご自愛のうえ輝かしい新年をお迎えください。
 年明け早々、1月10日の新年稽古会・懇親会には、皆様ともども元気な姿でお目にかかりたいと存じます。
つづく

* 剣道殿堂
 殿堂入りとなった人物は、全剣連北の丸事務所に付置された「剣道映像博物館」に顕彰エッチング(銅板額)を掲額し、その名誉を称えるものとする。
 第一次殿堂入りを決めるに当たっては、剣道あるいは斯界における貢献度に加え、「万人が認める」という付帯条件を満たした者ということで、平成15年3月に顕彰者13名が決定した。

男谷精一郎 斎藤弥九郎 千葉周作 山岡鉄舟 榊原鍵吉 
西久保弘道 内藤高治 高野佐三郎 中山博道 木村篤太郎
笹森順造 小川金之助 持田盛二
平成26年12月30日
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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