生死を問う

その七十二
生死を問う
 9月27日に御嶽山が噴火しました。56人が死亡し依然として7人が行方不明という戦後最悪の火山災害となりました。山頂ではすでに積雪期に入り二次災害のおそれがあるため、10月16日をもって来春まで捜索が打ち切られることになりました。亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するものです。

 このたびの火山噴火の災害は、登山による遭難事故とは区別すべきものとはいうものの、あらためて死と隣り合わせにある登山の危険性に思いを致しました。

 中高年を中心とする登山ブームを背景として、登山による遭難事故は年々増加の傾向にあります。警察庁の統計によると、平成25年中における全国の山岳遭難の発生件数は、2,172件(前年比9%増)、遭難者2,713人(同10%増)、うち死者・行方不明者320人(同13%増)という数字が出ています。

 いっぽう剣道はというと、格闘技系スポーツとの謂われの中にあって極めて安全性が高い運動種目とされています。
 傷害の発生もアキレス腱の断裂事故についてはときに取沙汰されるものの、日ごろの稽古において生命の危険を感じることは皆無といってよいでしょう。

 それは女性の剣道愛好者数の増加という現象によっても裏付けられます。昔、とくに戦前における剣道は女人禁制に近いといってよい状態でしたが、戦後、男女平等教育を推進してきたこともあり、昭和40年代ころから徐々に女性の剣道参入者が増えてきました。
 そして、今や女性の剣道人口は全体の三分の一に迫る勢いで増加しております。これほど女性の愛好者が増えたのは、剣道が安全であるからにほかなりません。

 かつては〝剣を交えること即ち生死を分かつことであった〟にもかかわらず、今や剣道のキーワードが「安全」とは、これ如何に。
 たしかに女性の剣道人口の増加について、一部には剣道の軟弱化を憂う向きもあります。武術性を尊ぶがゆえのことでありましょうが、その武術性と安全性とをどのように折り合いをつけ、いかに「道」として昇華をするか、が今後剣道がただすべき課題です。

 男女を問わずわれわれは普段の稽古において、打ったり打たれたりするわけですが、それをもって真剣勝負に直結させ生死を論ずることは余りありません。
 しかし、ただ打った-打たれた、勝った-負けた、強い-弱いに終始するだけであれは、競技スポーツでいうスコアの得失の感覚と何ら変わるものでなく、武道としてはやや心許なさを否めません。
 と、いって事ごとに、斬ったの-死んだの、の沙汰となるのもちょっとマニアックに過ぎ、これもよしとはできません。

 では、本来武道が持つべき生死に関わる勝負観を、安全裡に行じる剣道の稽古においてどのようにして反映させるのか。
 それには、第一「何をもって死とするか」、つまり、死んだも同然の状態をいかに見定めるかにかかってきます。
 殺伐でも凄惨でもなく、それでいて「死」とみなされる武道的な根幹は何か。

 その一つの手がかりに「居つき」があります。
 『剣道指導要領』(全剣連版)では、居つきについて次のような説明がなされています。

 ある一つのことに心が捉われて相手の動きや隙を見つけることができず、十分な力を発揮できないこと。相手に動きや攻め、守りで主導権を握られ思うようにならないこと。一瞬気を抜いたため自分の動きが制約されて動きがとまること。

 戦いの最中に身心が固着して身動きのとれない状態、あるいは動作が滞る状態に陥るのが居つきです。その原因は多々ありますが、居つきは必然の負け、即ち「死」を表徴するものと言えます。

 また居つきは、相撲で言う「死に体」と同意だと考えられます。死に体は、力士の体勢がくずれて立ち直ることが不可能になった状態のことをいい、体が死んでいるとして、土俵上に体が触れたり土俵を割るなどしなくても、その時点で負けとみなされるものです。

 実際の場合、相撲においては相手の体が重心を失っているとき、即ち体が死んでいるときは、一緒に倒れるか、「かばい手」をつかい衝撃を和らげ無用な怪我を避ける。また、対戦中に死に体となったら、自分も相手も、その時点でまわしや相手の体から手を離し、力を抜いて危険を回避しなければならないとされています。

 このように相撲道をつきつめれば、相手を力業で投げつけるよりも、死に体に追いやることの方が、一つや二つも格上の勝ちといえないでしょうか。

 剣道においても然り。「居つき即、死」の勝負観をもって修業することこそ、現代剣道を「剣の理法の修錬」たらしめるものと確信します。

 『五輪書』(宮本武蔵著)「水之巻」の「太刀の持ちようの事」に、

 惣而(そうじて)、太刀にても手にても、いつくとゆふ事をきらふ。いつくはしぬる手也。いつかざるは、いきる手也。能々心得べきもの也

とあります。
 ここで武蔵は、「居つくは死ぬる手、居つかざるは生きる手」と、生と死の境を教えています。四百年も昔に武蔵が述べたこの言葉を〝よくよく心得るべきもの〟と思うわけで、『五輪書』が人生哲学の書と言われるゆえんであると頷けます。
 制御不能の身体と思考停止の精神、この居つきもって死と自覚するならば、〝居つかない身心への転化〟これこそが剣道上達の王道ではないでしょうか。つづく
平成26年10月18日
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「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
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               真砂 威

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