日本人の勝負観について 2

その六十六
日本人の勝負観について 2
                                                        平成26年7月11日

 とかく日本人は、スポーツを武道的にとらえようとするがゆえに、競技(試合)についても、つい真剣勝負になぞらえて考えてしまう。しかしこの真剣勝負観は、生きて帰ってくることを前提とした選手たちに対しては、平常心で臨むための原動力になり得るどころか、かえって〝生き恥感〟にさいなませる結果となってしまう。ここに、いま日本の五輪選手たちがかかえる隘路が潜んでいないか、としました。

 いっぽう中林信二氏は、同書『武道のすすめ』でスポーツの本質について次にように述べています。

 スポーツ(Sport)を英和辞典でひいて見ると、慰み、気晴らし、娯楽、遊戯、運動競技、ふざけ、からかい、冗談などが出てくる。そしてFor sportというと、ふざけて、となるし、make sport ofで、ばかにする、となる。したがって、娯楽、遊びごと、はスポーツの本質的な性格であるようだ。また、スポーツは、本来、カードやチェスなどのゲームも含まれる概念でもある。

まさに「虚構の世界」です。
 これがスポーツの本質であるとするならば、われわれが真剣勝負とみなそうとしている武道的な機軸とは全くかけ離れた性格のものとなります。
 ですから、競技スポーツを武道的に実践しようとすること自体に無理がある、との考えが起こっても不思議ではありません。

 最近ではよく、「平常心で臨む」と言う代わりに、「楽しむ」「楽しんできます」というような言葉を口にする若手選手が増えています。これは、どういうことでしょう。
 思うに、彼らは敢えて「楽しむ」という言葉を口に上すことによって、心の中に巣ごもった「生き恥」の軛(くびき)から距離をおこうとする意識の現れかもしれません。
 ここにも日本選手のかかえる苦悩がうかがえます。
 その、虚構の世界であるスポーツの勝敗について中林氏は同書で、

 「勝つ」ということは、相手より自分が優越していることを証明することである。 <中略> 競技はまた、時間的にも空間的にも一定の限られた領域において、外部からの影響のない状態で行われ、人間が訓練され強化された様々の能力や資質、あるいは技能などが関わり合っている。したがって、競技に勝つという事実は、以上のような範囲内においてのみ敗れた者よりも優位を占めると考えられるのであり、勝利者のその成果に対してのみ価値が与えられるのであるから、人間として、勝利者自身にそのような価値が内在していると考えるべきではない。 <中略> このように競技としての勝敗は、人間の生活や生命などと本質的に異なり、定められたルールのもとで、仮に勝敗を決めるというものである。

と述べ、あくまで仮の、虚構の世界なのであって、その結果いかんは決して本質的なものではないとしています。
 こういったスポーツの虚構性をわれわれはしっかりと認識すべきでしょう。その上で、廉恥心を重んずる日本人であるならば〝何をもって恥とするか〟をわきまえ、少なくとも、「負け」イコール「恥」、と考える結果至上主義からいち早く脱したいものです。

 さて、FIFAワールドカップ(ブラジル)もいよいよ大詰めを迎え、後は決勝戦を残すのみとなりました。残念ながら日本チームは早々に一次リーグ敗退という結果に終わりましたが、各試合場は熱狂の渦に沸きかえり、魂と肉体が生々しくぶつかり合っての戦い、歓喜と悲嘆がないまぜ狂気の坩堝(るつぼ)と化した空間は、別世界の観を呈しています。
 虚構の世界であるにもかかわらず、です。

 こういった虚構の世界を事実のこととしてとらえ、〝競技の結果がすべて〟と昂揚する気持ちもわからなくはありません。が、この結果至上主義が横行するところに、先の*月刊誌『選択』平成26年4月号(「言葉をなくした日本人アスリート」)で、「罪を犯しても、海外ではスターはスターであり続ける」と、薬物使用で追放処分を受けた元チャンピオンたちを擁護する、不穏当な論調が幅をきかす要因ともなっています。

 ところで筆者は、今の今までずっと口をつぐんでおりましたが、この場をお借りしてひとこと苦言を呈しておきたいことがあります。
 それは、2012年の夏、イギリスで開催されたロンドン五輪でのことです。
 女子サッカーは快進撃を続け、初の決勝進出を果たしました。決勝ではアメリカに1-2で敗れたものの銀メダルを獲得する快挙を成し遂げました。が、その予選リーグでのこと、なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、予選リーグ第3戦の南アフリカ戦で引き分ける指示を出し、得点しないことを選手に求めたということです。「ゴールを狙うな」と。言うまでもなく予選リーグを1位でなく、ワンランク落とした2位通過ねらいです。2位通過なら移動することなくここカーディフに残って次の試合ができるが、1位だとグラスゴーまでの遠路移動が伴う。「選手のコンディションを考えてのことだ」と佐々木監督は記者会見で述べています。

 当時、「五輪憲章に反し懲戒されるべき行為だ」「こうした無気力試合は相手チームや観客にも失礼なことだ」という声も上がりました。が、世界はこれを黙過。国内においてもメダル獲得の歓声にかき消されてか、不問に付したよし。
 「サッカーとは、なにか」を極めようとする日本の求道精神をもってしては、メダル獲得などおぼつかない、ということでしょうが…。
 「日本と五分に戦えた!」と、大喜びする南アフリカの選手にどのような申し開きが立つというのでしょうか。井蛙の目からは承服しがたい一大事件でした。
 中林氏は、同書の中で「人間は宿命的に勝ち負けということに支配されて一喜一憂しながら生きている」また「人間にとって勝負は本質的なものである」としながらも、

 勝敗という課題に対して思索し考究し実践するところにわれわれが一つの真理を得る契機があるのかもしれない。

と記しています。
 まさしく、自己内省をもって宗教あるいは哲学的に修錬する、これが「武の文化」を背骨とする日本スポーツの特性であると強く思うしだいです。
つづく

*「金メダルを超えるもの」(平成26年4月29日)参照。
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 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
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               真砂 威

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