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なぜ、日本人選手はプレッシャーに弱いのか

その六十三
なぜ、日本人選手はプレッシャーに弱いのか

 前回、浅田真央選手のソチ五輪でのフリーの演技について、「メダル争いのプレッシャーがなかったからこそ、自分の演技に集中できた部分もある」と評されたことについて、メダル争いの渦中にあればとてもあの演技ができなかった、と言わんばかりの評価ですが、いかがでしょう。
 また、金メダル最有力とされた女子スキージャンプの高梨沙羅選手も、4位入賞にとどまる結果に終わりました。不利となる追い風を受けたのがその原因とされていますが…。
 それでいて、ソチ五輪直後の3月1日、ルーマニア・ルシュノフで行われたワールドカップ第14戦で、シーズン11勝目(通算20勝)をあげ、2シーズン連続の総合優勝を難なく果たしました。
 やはりオリンピックは格別、計り知れない重圧がかかったものと思わざるを得ません。
 髙梨選手は、ソチ五輪でのジャンプについて、「平常心を保っていたつもりだけど思い通りに飛べなかったのは自分のメンタルの弱さ。もっともっと強くなりたい」とインタビューに答えていました。
 このように、浅田選手や髙梨選手だけでなく、総じて日本人選手はプレッシャーに弱いと言われています。それも、〝日本人らしくあればあるほど〟です。
 このように思い至って、はっと、何十年も前に読んだ『菊と刀』(ルース・ベネディクト著)が胸をよぎりました。
 この『菊と刀』は、今から68年前の1946年(昭和21年)に刊行されました。年配の方には読まれた人も多いと思いますが、欧米人による日本文化論の名著としてベストセラーになりました。
 同書でベネディクトは、

 日本人は礼儀正しいといわれる一方、不遜で尊大であるともいわれ、頑迷固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。
 また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、刀を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。
 このようにまるっきり正反対の性質が共存している。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、「菊と刀」は一枚の絵の二つの部分である。

と分析し、日本文化の型を欧米の「罪の文化」と対比して、「恥の文化」であると断定しました。
 同書を要約すると、「罪の文化」と「恥の文化」、この両者の違いは、行為に対する規範的規制の源泉が、内なる自己(良心)にあるか、それとも自己の外側(世評とか知人からの嘲笑)にあるかに基づいているとするものです。
  要するに西欧では、道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みとする社会だから「罪の文化」をもち、他方、日本の社会は、外面的強制力に基づいて善行を行うような「恥の文化」に属しているとします。
 つまり「罪の文化」では、悪い行いがたとえ人に知られなくても自ら罪悪感にさいなまれるが、「恥の文化」では、人前で恥をかかないようにすることが道徳の原動力となるというものです。
 新渡戸稲造の『武士道』を持ちだすまでもなく、日本には宗教教育がないという観点において、西欧人は「神との約束」という絶対的な基準があるのに対し、日本人は神への信仰ではなく「世間様の目」が価値基準になっているとしています。
 当然こういった単一な決めつけ方には承服し難い部分もありますが、われわれ日本人が自らを振り返るとき、このベネディクトの一説に思い当たるふしがあると考えるのは筆者だけではないはずです。

 さて、五輪の話にもどりますが、日本人がプレッシャーに弱いという原因を突きつめれば、ベネディクトが「恥の文化」と指摘する、「世間様の目」を基準とするがゆえ、ということに帰結するのではないでしょうか。
 日本人の特質とされる「義理」「恩」「恥」という観念を強くもち合わせている人ほど、その反面、プレッシャーに弱い、といえるのかもしれません。
 ある選手に世間から好成績への期待が高まれば高まるほど、その逆、期待を裏切ることへの恐怖心が先立つわけです。いわゆる「生き恥をさらす」のでは、と思いつめてしまうことです。
 それにひき替え西欧の選手は、神という絶対者への帰依とその加護を固く信ずる精神世界にある、とするならば、彼らには世間体というのはまるで重圧になり得ない、と考えられます。
 ただ、プレッシャーの原因は、このような一元的なものだけではないのでしょうが…。
 では、日本人らしい精神構造をそのままにしながら、しかも、のしかかるプレッシャーに打ち勝ち、最高の技能を発揮するにはどうすればよいのでしょうか。
 それは、罪の文化でもなく恥の文化でもない。わが国では、伝統的に培ってきた「武の文化」にあると申し上げたい。
 この「武の文化」については後述するといたしまして、ここでは、日本人心理の核心をついた『菊と刀』でありますが、同書をお読みになっていない方のために、著者のルース・ベネディクトについて簡単に紹介いたします。
 ルース・ベネディクト(1887~1948)は、アメリカの女性文化人類学者で、コロンビア大学の教授にあり、文化とパーソナリティを研究し、日本の文化の基本的特徴を最初に指摘した人物であると言われています。
 太平洋戦争が勃発して間もなくアメリカでは、対日占領政策策定委員会というものが、はやばやと設立されます。そして米政府は、ベネディクトに同委員会の委員として日本研究の仕事を委嘱しました。
 戦時中ゆえ現地調査が不可能であるため、彼女は、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面接等を材料として研究をすすめ、対象社会から文化類型を抽出する方法に基づいて、日本文化の基調を探究しました。書物としては、新渡戸稲造著『武士道』を繰り返し繰り返し読んだようです。
 ベネディクトは、この研究をもとに『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)を執筆し、終戦直後の1946年(昭和21年)に刊行されますが、この2年後の1948年(昭和23年)に、生涯一度も日本の地を踏まぬまま61歳で亡くなりました。
 ちなみに、ベネディクトが委員を勤めた対日占領政策策定委員会が策定した日本の占領方針は、
(1) 天皇制を維持する方が支配しやすい。
(2) 軍政をしかず日本政府に政治を行なわせる。
(3) 貨幣を改めない(超インフレとなることを懸念して)。
(4) ソ連に分割統合させない。
というものであったとのことです。
 先月、4月23日~25日にオバマ米大統領が来日いたしました。国賓として米大統領が日本を訪れるのは18年ぶりとのことです。この度のオバマ大統領の来日は、交渉ごとの難航はあったものの、今まで以上に強固な日米関係を確認し合った、と映りました。
 まさに、隔世の感を禁じ得ない、思いひとしおです。
つづく
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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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