金メダルを超えるもの

その六十二

金メダルを超えるもの

 浅田選手が全世界に与えた感動は、「メダル主義を超えたスポーツの華」と表現しました。が、もし、浅田選手が金メダルを獲得していたら… また、あの爽涼感とは違った種類の感動となっていたことでしょう。

 かりに演技の質をおさえ無難にこなすことによって順位を上げ、メダル獲得した、とすれば、皆さんどう考えられますか。

 もちろんメダル取得は重要なことですが、自己の演技を全うし、また、全うしようとした結果がメダルに結びついたのと、メダルを先に見計った演技とでは、演技者のリンクに向かう腹の決め方が根本から違ってきます。

 浅田選手は、バンクーバー五輪の後、4年後のソチへ向け佐藤信夫コーチに師事して、滑りを基礎から見直しました。
 前回『文藝春秋』(平成26年3月号)で佐藤コーチが、「彼女には順位より大事なものがあるのだ」と述べている大会前の記事を紹介しました。

 その佐藤コーチは大会後、指導者として一番の喜びは、「本当のスケートの味を引き出して見ている人をうならせたら。それができれば順位は関係ないんです。」【ソチ=海老名徳馬(中日新聞)】とインタビューに答えています。

 浅田真央選手の夢が、
「五輪で最高のトリプルアクセルを」
であるとするならば、あの瞬間が至福の時であったでしょう。

 しかし、浅田選手のあの演技について、「メダル争いのプレッシャーがなかったからこそ、自分の演技に集中できた部分もある」と評する専門筋もいます。それは、メダル争いの渦中にあればとてもあの演技ができなかった、と言わんばかりの評価ですが、いかがでしょう。

 日本人はプレッシャーに弱いと言われています。「ハングリー精神が足らない」とか、「強化の体制や方法が悪い」などと、したり顔で話されていますが、本当のところどうなのでしょう。

 このことにつきましては次回に譲りたいと思います。
 聞き捨てならないのは、月刊誌『選択』平成26年4月号の「言葉をなくした日本人アスリート」で述べている内容です。

 前々回、その六十「ソチ五輪 若手選手の活躍に思う」で、若手選手がインタビューでの受け答えについて「社会的立場をわきまえた責任ある言動…」と褒めましたが、同誌では、

 地元への感謝。親への感謝。仲間への感謝。
 先日閉幕したソチ五輪における日本人アスリートの「感謝」のオンパレード会見には、いささかげんなりした。聞こえはいいのだが、正直、またか、と。
 そこにはまったく「個」が存在しない。スポーツを文化と呼べるだけの哲学がないのだ。

と述べています。
そしてその上で、スポーツ大国アメリカの三大スターといわれる野球のベーブ・ルース、ボクシングのモハメド・アリ、バスケットボールのマイケル・ジョーダンを例に挙げ、

「俺は大統領よりいい仕事をしているぜ」(ベーブ・ルース)
「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」(モハメド・アリ)
「試合に負けたことは一度もない。ただ時間が足りなかっただけだ」(マイケル・ジョーダン)

などのトークを、ウエットに富んだユーモアあふれる発言、と持ち上げています。

 たしかに、ですが、はたして日本人選手がこの種の言葉を口走ったとしたら、どのような反響があるでしょうか。羽生結弦選手が「総理大臣よりいい仕事してるぜ」などと言ったとしたら、ぜったいに受け入れられないと考えられます。

 また、話は変わりますが同記事で、浅田真央選手について、

ある週刊雑誌編集者がこぼす。
「ソチ五輪後の雑誌の表紙は(浅田)真央ちゃんばかり。 <中略> 六位の選手をあれだけ持ち上げるのも違和感があります。」

そして
浅田を賛美した人たちは、もっともらしい顔で、こう説くのだろう。勝つことよりももっと大事なことがある、と。

 そんな人には、数々の偉業を打ち立てた女子プロテニスのマルチナ・ナブラチロワの至言を送ろう。「大切なのは勝敗ではない、という言い方をするのは、たいてい負けた人よ」

 こう言える健全な土壌と、成熟したスポーツ選手がいないこと。それが日本がスポーツで勝てない理由ではないか。

で締めくくっています。たしかにナブラチロワその人の言葉には得心がいきます。が、負けた側の言い訳としての「大切なのは勝敗ではない」と、佐藤コーチの言う「順位より大事なものがある」とは雲泥の開きがあることをご存じないのか、と言いたいです。

 それより、同記事の中で開いた口がふさがらないのは、

「罪を犯しても、海外ではスターはスターであり続ける」

と、薬物使用を疑われ追放処分を受けたサッカーのディエゴ・マラドーナや、引退後、麻薬服用や飲酒で廃人寸前と言われているボクシングのヘビー級王者に君臨したマイク・タイソンなどを擁護していることです。
 それこそ何のためのスポーツか、と言わざるを得ません。この記事の筆者は無記名ですが、「スポーツを文化と呼べるだけの哲学がないのだ」と述べる筆者こそ、哲学がない、のではないでしょうか。
 
 山折哲雄先生が講演『たおやめぶり』で述べられた、「生き物的な世界からすっと超越して風のそよぎそのもの、川のせせらぎの音そのもの、自然の動きに限りなく溶け込んでいくような姿」そして、「動物的野生をどうしたら超えることができるのか」というものに収斂させた価値を求める方が井蛙剣士には合っています。
 この記事の筆者が、いささかげんなりした、と述べる、「感謝」のオンパレード会見、をも含め、われわれの文化にはそういうものがあると思えるのですが。
つづく
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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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