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すり替えられた、武士道

その五十七

すり替えられた、武士道

 昨年9月、アレキサンダー・ベネット氏著『日本人の知らない武士道』の紹介に始まり、浅学の身を顧みず9回にわたって綴って参りました武士道シリーズですが、結局、結論を出せぬまま駄文を弄したきらいがあります。

 整理してみますと、まず、武士道という言葉自体が、わが国において古くから一般に人の口に上っている言葉ではなかった。菅野覚明氏著の『武士道の逆襲』では、広く一般に武士道という言葉が知られるようになったのは、武士そのものの存在がなくなった明治時代、それも中期以降のことであり、特に日清・日露という対外戦争と相前後して、盛んに武士道の復興を叫ぶ議論が登場してくる。今日の武士道イメージの骨格を形づくっているのは、おおむねこの時期に数多く著された武士道論であり、新渡戸『武士道』もその中の一つである、としています。

 ここで菅野氏は「新渡戸『武士道』もその中の一つである」と、卑小な扱をしています。菅野氏はもともと新渡戸『武士道』は武士道論の体をなしていないという見解のもとでの評ですから致し方ないかもしれません。が、筆者は、武士道イメージの形づくりは、〝新渡戸『武士道』がその中心的役割を果たした〟と主張するものです。

 といいますのは、新渡戸『武士道』(原文『Bushido -The Soul of Japan-』)が書かれたのが明治32年(1899)です。前にも述べましたが明治32年といえば、日清戦争(明治27~28年)と日露戦争(明治37~38年)の狭間にあります。

 そして英文で書かれた『武士道』が世界のベストセラーになります。言詞「Bushido」とともに…。

 また、日本語に翻訳がほどこされ、わが国でも読まれるようになったわけです。


『武士道の逆襲』では、 

 新渡戸の語る武士道精神なるものが、武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。


と述べていますが、それもそのはず、新渡戸稲造は武士道の研究者ではありませんし、また、本来の武士道を著書『Bushido -The Soul of Japan-』の中で述べようとしたものでもありません。


 新渡戸稲造は当時アメリカにいて、白人優越の人種差別観が根底にあるなか、在米日本人移民排斥運動をまのあたりにし、日本人の心根(こころね)をアメリカ人に理解してもらうために書き上げたものでした。


 また、ベネット氏が『日本人の知らない武士道』の中で、


新渡戸は当時、「武士道」は自分の造語だとさえ考えていたのである。


と述べていますが、新渡戸が同書を執筆するにあたって、日本人の心性を一言で言い表す言葉について、推敲を重ね、煎じ詰めた結果、フレーズ「Bushido」に思い至った、のではないでしょうか。


 『武士道の逆襲』では、


新渡戸武士道に見られる武士と武士道との乖離は、実は明治期の武士道論一般がはらむ問題であり、それが今日における武士道概念混乱の淵源ともなっているのである。


と、悪しざまに述べていますが、これは新渡戸稲造の責任ではない。それ以前において、武士道という言葉そのものが人の口に上ることが少ない時代に、よび水の役割を果たした新渡戸を「武士道概念混乱の淵源ともなっている」と責任を問うのは、いささか筋違いと思うのですが…。

 もし、責任というものを問うとするならば、海外からの新渡戸『武士道』への賞賛を、これ幸いとして戦意高揚に利用した軍の指導部と、それに悪乗りした国民にある、と思うものです。


 現実にフレーズ「Bushido」は、新渡戸の思わくから遠く離れ、武士道という言葉だけが都合よく、『葉隠』の武士道にすり替えられてしまいます。

 『葉隠』については、その三十八『師走を迎え』(平成24年12月10日)と、その四十九『「武道への思い」、海外とのギャップ』(平成25年9月27日)で簡単に触れておりますが、『葉隠』は「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の一文を象徴とする武士道書です。この『葉隠』は戦後、軍国主義の権化として一時期禁書扱いにされるほどであったことは前にも述べました。

 その『葉隠』ですが、佐伯真一著『戦場の精神史 -武士道という幻影-』によると、


江戸時代においては全国的には無名の存在であった。佐賀藩内でも一般には好意的扱われず、秘本扱いされていたともいわれている。


とし、さらに、


近世の「武士道」を『葉隠』によって代表させることには問題があろう。『葉隠』には異端の書という位置づけがふさわしいのではないか。少なくとも、『葉隠』の精神が一つの伝統的潮流となって次の時代に継承されたわけではない。それは時代を飛び越えて、二〇世紀の日本人によって発見され、利用されたのである。


と述べています。20世紀は1901年から始まりますから、元号で言えば明治34年です。先に『武士道の逆襲』で、武士道という言葉が知られるようになったのは日清・日露という対外戦争と相前後して、とあったように、新渡戸が『武士道』を著しベストセラーとなった頃と符合いたします。

 まさに、逆輸入された新渡戸『武士道』に触発を受けた日本人が、「武士道」という詞を改めて〝発見〟し、そして〝利用〟すべく『葉隠』を探り当て、そして、これに特化させた武士道を広く国民に吹き込んだ、と考えられないでしょうか。

つづく




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新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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