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錯綜する「武士道」の概念

その五十一

錯綜する「武士道」の概念


 「その四十九」と「その五十」で述べましたが、武道においても、また武士道においても、それらに共感を示す海外の人達からの期待と、その本家本元である日本人の所行との間に少なからぬ意識のズレがあると考えられます。


 それはすなわち、われわれの剣道にだって例外なく起こりうる、と、受け止めなければなりません。


 おりしも、全剣連の月刊『剣窓』11月号に、わが新宿剣連会員であるギブソン・スチュアートさんが、「日本での稽古に思うこと」と題した随筆を寄稿されました。その原稿を「新着情報」に掲載しましたので、小論と関連づけてご覧ください。



 本文に入ります。

 菅野覚明著『武士道の逆襲』(講談社現代新書)では、


《「武士道」は、過去の日本人が残した大きな思想的遺産の一つである。私たちがかつて何であり、今何であろうとしているのかを問うときに、武士道の全体像をとらえる作業を欠かすことはできない。》


としながらも、


《今日「武士道」という用語は、肝心の日本人の間で、きわめて曖昧かつ混乱した使い方をされている。何をもって武士道と呼ぶかという核心の部分がはっきりしないまま、言葉だけが語る者の気分次第で一人歩きしているのである。》



《そもそも、武士道という言葉が一般に広く知られるようになったのは、明治中期以降のことである。とくに、日清・日露という対外戦争と相前後して、軍人や言論界の中から、盛んに「武士道」の復興を叫ぶ議論が登場してくる。今日の武士道イメージの骨格を形づくっているのは、おおむねこの時期に数多く著された武士道論であり、新渡戸『武士道』もその中の一つである。》


と、「武士道」概念の錯綜ぶりを記しています。


 明治維新によって、武士の時代は終わりを告げます。武士が消滅するとともに、武士道も過去のものになりました。



 ところが前述のように、明治中期以降になって言論の世界の中で、「武士道」という言葉が大流行を見せることになります。いわゆる「明治武士道」といわれるものです。


 これは、新渡戸稲造が『武士道』を著した思いとは、全く別の方向で広まっていったものと言わざるをえません。


 同書『武士道の逆襲』では、
 

《明治中期に明治武士道が流行するに至るまでには、そのことを準備したいくつかの前提が考えられる。中でも大きいのは、帝国陸海軍の創設にかかわる思想的な動きである。》


《明治六年(一八七三)、徴兵令が布告され、わが国の武力は国民が兵士となってこれを担うようになる。》


《それまでの「武士道」に代わって、新たに近代における戦闘者の思想を形づくることになる。近代日本における戦闘者の思想の基本を確立したのが、明治十五年に発布された『軍人勅諭』である。》


《西南戦争という大反乱を鎮圧したとはいえ、創設から間もない帝国軍隊は、組織・編制や装備・用兵といった外形においても、また戦闘者としての自覚や士気にかかわる内面においても明治十年代には未だなお形成の途上にあったといってよい。幼児にも喩えられる未完成の軍隊を、一刻も早く頑健な肉体と強固な魂を備えた精強の軍隊へと育て上げること。これが、帝国軍隊の草創期に立ち会った者たちに共通する大目標であった。》

 
と述べています。


 当時、軍の指導者たちが最重要視したのは、「軍の統制」とそれを支える精神的原理、いわゆる「軍人精神」でありました。


 この軍人精神を叩き込むため、古来の主従関係を支えた武士の思想を換骨奪胎させ、この精神原理を構築しようという発想のもと唱えた武士道、これが「明治武士道」にほかなりません。


 このような軍の指導者が唱道する武士道と、新渡戸が著しルーズベルトが共鳴した武士道とは、全く中味が異なるものでありました。


 では、その時代における日本国民の「武士道」にたいるす理解は、いかほどのものであったでしょうか。
 

 軍の統制と軍人精神を仮託させた明治武士道は、米欧から賞賛を受けたキリスト教的武士道も、わが国古来からの武士道をも包摂したものであるかのように、時の勢いに乗って、紋切型に、「武士道」、「武士道」…と、言葉だけが独り歩きし、兵士だけでなく国民全体の士気をも昂揚させていったと考えられます。


 そして日清・日露の戦役に勝利いたします。


 特に日露戦争について、前掲の『明治三十七年のインテリジェンス外交』によると、


《ロシアとの国力差は、面積六〇倍、国家歳入八倍、陸軍総兵力一一倍、海軍総トン数一・七倍である。太平洋戦争開戦時の日米差よりはるかに大きい。

 一方、約三〇〇年の鎖国を解いて世界にデビューしたばかりのアジア極東の孤島日本の存在など、当時は世界で全く知られていなかった。その新興貧乏小国がいきなり世界の超大国ロシアに戦いを挑んだのだから、世界は驚愕し、がぜん注目を浴びた。》


と記しています。


 日露戦争は、けっして日本が独力で勝ったものではありません。陰に日なたに英米の全面的な支援があって奇跡的に勝利につながったものです。

 しかし多くの日本人は、持ち前であった慎ましさを忘れ、この戦勝に舞い上がり驕りたかぶります。

 軍歌『愛国行進曲』で「金甌無欠(きんおうむけつ)揺るぎなき、わが日本の誇りなれ」と謳うように…


 同書は終章で、

《ルーズベルトが金子に託した、「日本は勝っても、あまり誇らないように自重してもらいたい」の不安はすっかり当たってしまったのである。結局のところ、国民の慢心と強欲が、国際政治や外交に携わる者たちの能力に反映され、その失敗によって、国民が辛酸をなめさせられることになる。》


と締めくくっています。


 慎ましやかに身すぎ世すぎする日本人が、西欧から光を当てられることによって誇りを芽ばえさせ、そして、いつしか自信過剰のふるまいとなり、しだいに居丈高となって、ついには鼻持ちならぬ存在におちいる。


 あのルーズベルトと金子との会談から40年後、今度は日米が太平洋戦争で激突することとなります。

つづく



 ギブソン・スチュアートさんの随筆「日本での稽古に思うこと」は、いかがでしたか。文中の道場で失望したことについての記述は、決して新宿剣連のことではありません。

 しかし、ギブソンさんの思いについては、われわれは真摯に受け止め、日ごろ何気なく行っている一挙手一投足についてもう一度点検してみる必要がありそうです。


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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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