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日本人は「武士道」を践み行ったか

その五十

日本人は「武士道」を践み行ったか


 新渡戸稲造が著した『武士道』は、当時のアメリカ社会から大変な賞賛を受けたことは前にも述べました。しかし、新渡戸が『武士道』の著述にかけた思いとは別に、大きな働きかけがあったことを見落としてはなりません。


 それは日露戦争と大いにかかわりがあります。


 日露戦争は、わが国にとって近代日本国家の存亡をかけた運命の一戦でありました。


 そのところを詳しく述べた、*前坂俊之著『明治三十七年のインテリジェンス外交 -戦争をいかに終わらせるか- 』(祥伝社新書)をもとにその経緯を記してみます。


 明治37年(1904)2月4日の御前会議で日露開戦が決定いたしました。時の総理大臣、伊藤博文は、すぐさま腹心である金子堅太郎(貴族院議員)を自邸に呼びます。


 金子は、明治4年(1871)から11年(1878)まで、ハーバード大学で法律学を専攻。同大学では当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトとは同期生で、以来二十数年、交友を深めていたとのことです。また金子は、米国に多くの友人がおり、日本きっての米国通でありました。


 その金子が伊藤から、「米国の友好的な対日世論を形成せよ」との密命を帯び、渡米いたします。そして明治37年3月26日、ホワイトハウスに大統領を訪ねました。


 ルーズベルトは、すぐに暖かい手を差しのべ、再会した2日後、金子をホワイトハウスに招待し昼食を共にしながら熱い会話が交わされます。


 本書『明治三十七年のインテリジェンス外交』にある、ルーズベルトと金子の会話(抜粋)を紹介いたします。


《ルーズベルトいわく、

「日本の武士道ということがしきりに新聞紙上に現れるから、いろいろ本を見たのですが、いかんせん武士道について書いた本がありません。よく武士道とか武士とか言いますが、いったいどういうことを武士道というのか、何かこれを書いた本はないでしょうか」と聞きますから、

「それは、書いた本があります。新渡戸稲造というポルチモアの学校で勉強した日本人が、武士道について英文で書いた小さい本です。それを読めばすぐわかります。」

「そうですか、それが欲しい」

「それでは、私がのちほど送ってあげましょう」

と言って、約束しました。》


 ルーズベルト大統領は、熱心なクリスチャンであった新渡戸稲造の『武士道』を読んで、心をどれだけ深くとらえられたか計り知れないものがあります。同書では、



《ルーズベルトはそれを読んで、はじめて日本の武士道を知って、ただちにニューヨークに電報をかけて、三〇部取り寄せました。それを五人の子供に一部ずつやって、

「これを読め、日本の武士道の高尚なる思想は、われわれ米国人が学ぶべきことである。この『武士道』の中に書いてある『天皇陛下』という事を修正すればそれでよろしい。合衆国は共和国であるから天皇はないし、私は主権者であるけれども、大統領である。よって『天皇陛下』を『米合衆国国旗』というふうに直せば、この武士道はすべて米国人が修行し、実行してもさしつかえないから、お前たち五人は、これをもって処世の原則とせよ」と言い聞かせたということを聞きました。

 それから残り二五部は、上下両院の有力なる議員とか、親戚とか、あるいは内閣大臣の人たちにこれを分配して、この『武士道』を読むように言ったのです。》


と記しています。



 そして、このアメリカから発した新渡戸『武士道』は、世界的なベストセラーになったわけですが、そのことはすなわち、会戦中であった日露にたいする世界の世論は、おのずと日本有利に傾いたことは言うまでもありません。


 その後、同年6月7日に交わされたルーズベルトと金子との会話です。


《この日、大統領は私に向っていわく、

「日本は今度の海陸の戦争において、その実力を初めて世界の各国から認められました。この態度で戦争していけば、この戦は必ず日本が勝ちます。しかし、その代りに反対が起こるかもしれません。これは君もよく注意していただきたい。日本の実力を世界が認めるようになれば、ヨーロッパの強国が猜疑の念を抱くでしょう。げんにドイツの大使のごときはこの間、僕に会いに来て言うには、日本が日露戦争について成功すれば、アジアで欧米諸国の勢力と地位にとって非常な妨害になる。ことにドイツは青島の租借地にすぐ影響する。米国もフィリピンは今に日本に取り上げられるぞ。それで、なるべく日本をどうかして押えつけなければいけない…」

 と、しきりに解きました。しかし、私はこれに対して、

「その御心配には及びません。たとえ日本が勝ったところで、成功したところで、日本には武士道というものがあるから、決して他国の既得権たる青島なり、フィリピンなりを取るという心配はありません。そのことは御安心ください」

と注意しておいたのです。》


 すっかり日本の応援団長となってくれたルーズベルトですが、時の日本人は、どれだけルーズベルトの思いを理解していたのか。


 そして、金子が約束した〝日本の武士道〟は、どのように践み行われていったのか。


 前回は、〝「武道への思い」、海外とのギャップ〟について述べましたが、それと同じように、「武士道」についても、ルーズベルトをはじめとする海外からの期待と、日本人との間に意識のズレはなかったのか。

 ここのところをもう一度検証する必要がありそうです。

つづく



* 本書は、『日露戦争と金子堅太郎—広報外交の研究』(松村正義著、新有堂)、『日露戦役秘録』(金子堅太郎著、博文館)を引用・参考文献としています。




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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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