スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

竹の文化として

その四十四

竹の文化として


 講武所「規則覚書」で「撓は柄共すべて長さ曲尺にて三尺八寸より長きは相成らず」(その四十二「竹刀の長さについて」所収)の定めにあるように、この文頭にある〝撓〟をシナイと読むわけですが、当時はこの文字が多く用いられていたようです。

 撓う(しなう)からシナイと呼び名され、そののち竹製の刀ということで「竹刀」の文字があてられたものと思われます。

 もともとシナイは、*上泉伊勢守がささら竹を革の袋に入れて稽古刀に使用していたと伝えられており、新陰流では古くから〝袋じない〟を用いていたとのことです。

 その袋じないから現在のような四つ割竹のシナイへ移り変わるには、今しばらく時の経過を要しますが、そもそものシナイの素材である竹について今一度考えてみましょう。


 「ゆるぎなきもの」(その四十一)で、上田弘一郎著の『竹と日本人』(日本放送出版協会発行)を紹介しましたが、同書は、竹以外のものでは用を達せられないものとして、茶道具や邦楽の尺八・竜笛・能管・笙などの中に竹刀を併記しています。


 また同書は、 竹と日本人とのこまやかな関係は古く神代にさかのぼる。竹は日本の文化を生み育ててきたともいわれ、昔から人間生活ときってもきれない密な関係にある。縄文時代の土器には竹を画いたものが多く、弥生時代から古墳時代には祭祀具として竹が用いられていた。竹が昔から人間のあらゆる生活面に利用され、いかに人間の生活に欠かせないものであったか、また竹がいかに日本文化の発達に貢献したかを述べています。


 さらに同書は、発明王エジソン(1847~1931年)が竹の炭素をフィラメントにして白熱電灯をつくったことに言及し、


どの種類がよいか世界中の竹について研究した結果、日本産、なかでも京都府八幡市男山付近のマダケを最適として利用した。そして1882年に竹の炭素をフィラメントとした白熱電灯をつくり、タングステン電球ができるまで10年間ニューヨークの夜空を明るくした。


 そして、

『竹取物語』は日本文学のはじまりと言われ、成立年、作者ともに定かではないが、延喜年間(901~922年)ともいわれる。竹と人間との親近感と、ミステリーに富んでいる、現代でも人気を呼び、夢とロマンにみちている。

…中略…

日本人は竹やササに強い生命力を感じとり、そこに心霊が宿るものと信じてきた。これは、日本の芸能や民俗の行事に、竹やササが数限りなく多用されていることからわかる。竹やササこそ日本の芸能や民俗に縁のふかい植物であったといえる。

と述べています。


 いかがですか。少し長い引用になりましたが、日本人と竹の深いつながりがわかっていただけたことと思います。


 日本刀は、平安時代後期に作られたものが最高の刀とされ、当時と等質の刀は現代の科学技術の力をもってしてもつくることができないと言われており、まさに鉄の文化の粋とされるものです。


 そして、竹刀の原点は日本刀であることはまぎれもありません。


 しかし、日本刀と竹刀とのかかわりにおいては、優劣で比べるものではなく、前にも申し上げましたが双方とも進化の余地が残されていない点について、ゆるぎなき価値を有するものであるといえましょう。


 前回、剣道八段研修会での会長講話を紹介しましたが、**武安義光会長は竹刀のことを「出藍の誉れ」という言い表しをされました。


 「出藍」とは、藍(あい)から採った青色は、藍よりも青い、という意味で、「出藍の誉れ」は、弟子がその師匠を越えてすぐれているという名声、ですから「竹刀は刀をしのぐ」とは言わないまでも、文化的進化の所産として構築された新たな体系であると解釈してよいでしょう。



 けだし至言。これを受け井蛙某は、竹刀剣道の真価は〝竹刀=日本刀〟を超え、竹の文化として世界に通ずる普遍的な価値を創造し発展させていくべきものと考えるものです。



 人間の根源にある闘争という不可避的な本能を、「礼儀」と「かたち」のなかに封じこめ、打突の機と竹刀の手ごたえをよすがとした、竹の文化として、剣道の更なる国際的な普及が望まれます。

 世界平和をめざす一つの道筋として。つづく


* 上泉伊勢守

  室町末期の剣客・兵学家。伊勢守、のち武蔵守信綱。上野の人。諸国を遊歴。陰流などを学び、新陰流を興す。門人に柳生宗厳(むねよし)・疋田文五郎らがいる。( ~1577?)『広辞苑』より


** 武安義光会長は、本年6月の役員改選により会長を退任され、最高顧問に就任されました。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。