FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゆるぎなきもの

ゆるぎなきもの

 前2回は、吉田松陰の生涯を通して当時の寿命の短さと距離の間遠さについて述べました。何ヶ月もかけて歩いていた距離を今では短時間で行くことができ、通信の手段や速度においても当時と今では雲泥の差、人と人との交信が非常に緊密になりました。


 しかし一方で、携帯電話や電子メールなどの発達による交信の便利さが、かえって人と人とのつながりを軽薄なものにしていることも前回(「一期一会」)指摘したとおりです。


 さいわい剣道は、打ち込み、切り返し、懸かり稽古といった昔ながらの稽古法を連綿と受け継ぎ、また〝礼に始まり礼に終わる〟立合のなか、熱き攻防をくり広げつつ、人と人とが濃密な関係を築きあげ、ひいては「交剣知愛」の精神にまで昇華をみるにいたりました。


 剣道は、今の世に失われしものを厳然としてまもり続けているのです。

大英博物館所蔵の竹刀

 ここに掲示した写真は、大英博物館所蔵の竹刀です。これは明治大学教授の長尾進氏が、平成15年(2003)に長期在外研究員として英国に1年間滞在中、同博物館顧問であるVictor Harris氏(宮本武蔵『五輪書』最初の英訳者)の協力を得て写真撮影したものです。


 2本の竹刀が写っていますが、上の竹刀は明治3年(1870)に同博物館に寄贈されたものです。寄贈者は不明とのことですが、長さが四尺八寸(145.4cm)もあり、おそらく幕末に使用されていたものと推測されます。


 下の竹刀は、イギリス王室の先代グロースター公爵が、昭和3年(1928)の昭和天皇の即位式に招かれたおり、剣道に興味を示され英国に持ち帰ったものです。近年になって現グロースター公爵より寄贈されました。長さは三尺八寸五分(116.7cm)です。

 この2本の竹刀は30cm近く長さが違いますが、本体部が四つ割竹で出来ており、柄革・中結・弦・先革といった部品にいたるまで、現在われわれが使っているものと拵えにおいて何ら変わりありません。


 この、四つ割竹を柄革・中結・弦・先革で仕組む旧来からの方法が、イノベーションの時代といわれる今日にいたるまで、ゆるぎなく受け継がれているのです。

 おそらくこれまでには安全性・統一性・公平性また使い具合など、改良のため色々と試行錯誤がくり広げられてきたことでしょう。が、現在も根本的には、幕末期に使われていた竹刀の域を一歩も出ていません。


 いっぽう電子機器の進歩は目を見張るものがあります。電話機を例に上げますと、1876年(明治9年)にアメリカの物理学者ベル(Alexander Graham Bell)が有線電話を発明しましたが、それから百数十年、とどまることなく時代とともに進化を重ね、今の携帯電話やスマートホンにつながっています。


 このようにあらゆるものが生成発展するなかにあって剣道は、幕末・明治期から現在にいたるまで、不易の価値をまもり続けていると言ってよいでしょう。


 竹の研究においては不世出の大家と言われる農学博士上田弘一郎は、著書『竹と日本人』(「日本放送出版協会」発行)で、次のように述べています。


 竹は、日本の文化を生み育ててきたともいわれ、昔から人間生活ときってもきれない密な関係にありました。現代でも竹の用途は広く、ことに文化面のなかには竹以外のものでは用を達せられないものが少なくありません。


 そして竹以外のものでは用を達せられないものとして、茶道具や邦楽の尺八・竜笛・能管・笙などを例に上げ、その一つ、竹刀について次のように記しています。


 代用品づくりがずいぶん研究されたが、形はできても肝心の妙音がでないので、竹以外に適当なものが見つからない。これは竹のもち味である強い弾力性の活用である。弾力性の強弱は一個の維管束のまわりの靱皮繊維の数と長さでみられる。マダケは数が三三八、長さは二・三ミクロンで他の種類よりも優れているので本種が適している。


そして、「ちなみに維管束は鉄筋にあたる強さがある。」と言及しており、日本刀をまざまざとさせる竹刀の存在が浮かび上がります。


 日本刀は、平安時代後期に作られたものが最高の刀とされ、当時と等質の刀は現代の科学技術の力をもってしてもつくることができないと言われています。

 つまり進化の余地が残されていない。


 日本刀は、「折れず、曲がらず、よく切れる」という特色をもっています。竹刀は、日本刀をなぞってつくられたものですが、またその竹刀も、強い弾力性をもつことにより、日本刀と同じく「折れず、曲がらず」を兼ねそなえるものです。


 そして、先ほど「妙音」と表現されていましたが、竹刀で打つとえも言われぬ快音を発します。それは、日本刀の「よく切れる」に代えて余りある、文化的に洗練された手ごたえ感覚といえないでしょうか。


 「竹刀は日本刀」の観念をもって取り扱うとされていますが、妙音奏でる竹刀こそ、剣の理法を修錬する、この上ない要具であると考えるものです。

つづく


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

待望のアップです

「井蛙剣談」なかなかアップされず「まだかまだかと、一日千秋の思いで待っておりました。
「竹刀」の話を拝読しながら、剣道を習いたての頃、集まる仲間が少ないと先生が、みんなを集めて「今日はしないの削り方を教えるぞ。」とおっしゃり、削り方や、削る道具――勿論ナイフ(あの当時は肥後守でしたか)などなく、牛乳ビンを割ったガラス片――について教えてくださったことや、大学時代「竹刀は1回使うごとに弦をゆるめ柄を左にまわしながら使え。」と師範からご指導頂いたことがふと頭をよぎりました。
壊れた竹刀を武道具店に持っていって修理をお願いする子供を見て愕然としたことがあります。また、今の時代、甲手なども「手の内は修理するよりも、買ったほうが安い。」というのもわからないではないですが、「防具」ではなく「剣道具」である事を考えると「道具に対する愛着」といったものは死語なのかと考えてしまいました。
剣道具を犬の散歩のごとくガラガラと引きずる高校生や大学生の姿を見る半面、竹刀で道具袋の紐を吊って肩にに背負う範士の先生方の高邁なお姿。
そんなことは個人の矜持の問題であるといってしまえばそれまででしょうが……
「伝統文化」としての剣道も考えなくてはと思う今日この頃でありました。
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。