時間と距離

その三十九

時間と距離

 新年明けましておめでとうございます。新宿剣連の皆様方におかれましてはお健やかに新しい年をお迎えのこととお慶び申しあげます。

 本年は皆様方にとってよりよき年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

 また、14日(祝)の「新年顔合わせ懇親会」には元気でお会いできますことを楽しみにしております。


 年末には新内閣が発足し、それに触発されるかのように株価の上昇、円安と、ほのかにデフレ脱却、景気浮揚への兆しがうかがえる新年であります。どうか皆様方におかれましても、本年を躍進の年としていただくようお祈りするものです。

 前回に続きます。


 その昔、「人生50年」また「東海道五十三次」といわれ、現代より遙かに寿命は短く、また旅に出るのも自分の足をたよりに何日もかけて行き通いしていました。

 いまや平均寿命が30年も伸びた上、東海道は日帰り旅行ができる時代となりました。

 しかし、その伸びた寿命、30年、あだやおろそかにはできません。

 突拍子に登場しますが、30年といえば、幕末、明治維新の指導者を数多く育てた吉田松陰は30歳で没しています。

 しかも松陰は、30年の生涯を決して短いものとせず、国への思いを後進に託すことにより、目一杯の人生を生き、天命を全うしました。

 吉田松陰の功績については皆様方よくご存じだと思いますが、ここでは松陰が辿った足跡のみに焦点を当て綴ってみます。どうかその時代、時系列における、時間と距離、を実感していただければ幸いです。

 松陰がはじめて萩の城下を出るのは21歳になってからのことです。それから亡くなるまでの9年間の足跡を辿っていきます。

 史実に基づいて足跡を記したつもりですが、学術的に堪えうるものでないことを先にお断りしておきます。

*

嘉永3年〔1850〕21歳
【8月25日】九州巡遊のため萩城下を出発【8月29日】関門海峡を渡り門司に上陸、佐賀を経由
【9月5日】長崎【9月13日】肥前日ノ浦【9月14日】平戸に到着<家学の歴史を探り約50日滞在>
【11月6日】長崎から熊本を経由<学友と交じる>【12月29日】萩に帰る。

嘉永4年〔1851〕22歳
【3月】萩を出発、35日かけて江戸へ>>>
【4月9日】桜田の藩邸に到着<佐久間象山に入門、藩内外で多くの学友を得る> <学友と奥羽行きを画策>
【12月14日】無許可で藩邸を脱する。千住>松戸>筑波>笠間を経由【12月17日】水戸に到着<水戸学者と交わる>

嘉永5年〔1852〕23歳
【1月20日】水戸を出発し会津から新潟そして佐渡に渡る。さらに新潟にもどり、秋田>弘前>青森>盛岡>仙台>米沢>日光>足利>館林
【4月5日】江戸に到着【4月10日】「帰国して沙汰を待て」との藩命下る【4月18日】江戸を出発>>>【5月12日】萩に帰り着く。
【12月8日】藩庁より士籍剥奪の沙汰が発せられる。その一方で10年間諸国遊学の許可が下る。

嘉永6年〔1853〕24歳
【1月26日】萩城下を出発、瀬戸内は海路>>>【2月1日】大坂>河内の国>大和の国>伊勢>美濃>土地の学者を訪ねながら木曾街道、中山道を経由>>>【5月】江戸へ到着。まっさきに伯父を訪ね鎌倉へ【6月1日】江戸に帰る。が、ペリー来航を知り、すぐさま浦賀へ【6月9日】久里浜談判の情報をつかむと、その夜浦賀を発ち、不眠不休、翌日、江戸に帰る。
【7月】ロシア艦隊4隻が長崎港に入ったとの情報を得る【9月18日】ロシアに行くべし!の決意のもと江戸を発つ。東海道を上り京都を経由し大坂から海路>>>【10月3日】豊後の鶴崎へ上陸する【10月19日】熊本【26日】島原【27日】長崎に入る。が、ロシア鑑は既に出港して居ず、行き違いとなる。やむなく江戸へ取って返す>>>>>【12月27日】江戸に到着。

安政元年〔1854〕25歳
【1月14日】ペリー艦隊再来【3月18日】〝密航〟を決意、下田へ【3月26日】アメリカ艦に乗り込みを決行するも拒否され岸に送り返される。居合わせた幕府の役人に自首、江戸の獄に入れられる。<在獄1年余>

安政2年〔1855〕26歳
【9月23日】江戸を発ち檻かごに乗せられ萩へ>>>【10月24日】萩、野山の獄に入れられる【12月15日】藩命により出獄、生家に預けられる。近隣の子弟で学び来る者が多く、幽室が塾と化する(「松下村塾」)。

安政3年〔1856〕27歳~安政4年〔1857〕28歳
 松下村塾にて子弟の薫陶に務める。

安政5年〔1858〕29歳

 幕府が勅許を得ないまま日米修好通商条約を結ぶと、熱烈な尊王論者の松陰は、急に反幕府的言動を強め、老中暗殺の血盟を結ぶに及ぶ。

安政6年〔1859〕30歳

 安政の大獄を強行した幕府により疑惑をかけられ江戸送りとなる。伝馬町の獄に投じられ、老中暗殺計画について尋問を受ける。ひるむことなく老中暗殺の須要を直言する【10月27日】斬首刑に処せられる。

(暦は旧暦、年齢は数え年で表記)

*

 いかがでしょう。松陰のような激しい東奔西走の行脚は、当時においても特異なものでしょうが、その時代における、時間と距離、を実感していただけたでしょうか。

 年のはじめにあたって、本年こそ、一刻々々を大切に生きたいと思うしだいです。

                                    つづく
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Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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