剣道とは、なにか④

井蛙剣談 その三十四
剣道とは、なにか④
 拙論、昭和59年9月13日付け『警察倫理の確立 -主として剣道の修錬を通じて-』
中の「剣道の倫理的意義について」(抜粋)をご紹介していますが、前号までの項目
1.はじめに
2.剣道とスポーツ
3.身体の鍛練と健全な精神の問題
4.技術の美について
5.美と倫理
に続きます。

 なにせ30年近く前のもので現在の感覚に合わない記述があるかも知れませんが、ど
うかそこのところを斟酌してお読みいただければ幸いです。
*
6.伝統文化として見た武道の倫理的価値
 日本の伝統文化として武道の倫理的価値を論ずるならば「武士道」と切り離して考
えることはできない。
 新渡戸稲造は、その著『武士道』(『現代語で読む武士道』奈良本辰也訳・解説、
三笠書房)で次のように述べている。<註1>

[もともと武士道は、中世の特権階級である武士の行動様式についての共通の道徳規
範であった。その武士の美徳が、やがて国民の美的感覚に訴え、一般大衆を感化し、
やがて「大和魂」といった日本固有の精神文化を形成してきたのである。そしてその
伝統的精神は今もわれわれ日本人の個々の肉体にしみつき伝承されている。]

 『武士道』は明治32年、新渡戸が38歳のとき英文で著したものである。明治32年と
いえば日清戦争の4年後、日露戦争の5年前の年。このような時代背景のもと新渡戸は
日本人論である『武士道』を、この上ない愛国心をもって世界に発信した。
 しかし敗戦による反省によるものか、戦後、欧米的な価値をためらいもなく大量移
入する一方、日本古来のものに覆いをかぶせ続けてきた。その結果、本来日本人が
持っていたところの美しい伝統的価値を見失いかけているのが現状ではないだろう
か。
<中略>
 中林信二氏は、論文『日本文化としての武道 -その技術観と人間観-』(『体育
の科学』第三十巻第九号「特集・武道を考える」)の中でも次のように述べている。
<註2>

[古来日本人は、芸道や武道において、技の習熟と人格の向上が相即するものとして
とらえ、それが道的性格として現代武道の考え方にも大きく影響している。]

[相手の動きに瞬間瞬間に変化即応する運動は、精神的にも身体的にも不安定性と緊
張があり、そこに、精神の集中、心の安定、自己統制、心の持ち様といったメンタル
な能力が要求される。そして武道の運動形態の原形は闘争の技であるところから、一
種の限界状況の体験と、そこから成立してきた技術として、その技の実現のために内
面的な充実が必須のものとなり、限界状況を克服し超越する境地が強調される。]

<中略>
 日本人の心のよりどころとして、日本古来の精神文化である武道が、今日広く国民
に見直されてきたのは自然のなり行きであろう。
 すなわち、長年我々の心の中に置き忘れていた日本人固有の心情が今あらためて開
花しつつある。そしてそれを現実のものにさせるのが武道の役割であると考えるもの
である。

<註1> 新渡戸稲造の『武士道』を取り上げましたが、当時の社会情勢では未だ武士
道を危険思想視する向きが多かったという事情もあり、軽くふれる程度にとどめてい
ます。
<註2> 中林信二氏は当時、筑波大学助教授であり、武道論の研究者として名高く、
警察大学校講師も勤めておられました。筆者も警大で教えを受けた一人ですが、残念
ながら病を得、昭和61年4月、44歳という若さで逝去されました。

7.現代剣道の倫理的価値
 武道に関する精神論は、すでに研究し言い尽くされた感があるものの、その生死を
超越した高度な精神論は容易に理解できるものではない。筆者のような浅学でまた修
行のなされてない者が、今ここでいたずらに文面を連ねても空回りに堕するのが関の
山なので、ここでは先ほど引用した「4.技術の美について」(中井正一著『美学入
門』)の理路を援用し、次のように剣道の修行に当てはめてみた。

 竹刀と肉体と精神が一体となり相手と対したとき、いかに相手に隙を生じさせ、い
かに打突するかという技術の法則の完壁化をめざし、一生かかって創造、発展させる
のが剣道の修行である。
 自分の中にあった、自然に最も近いフォームを探り当てるため、あらゆる稽古を自
分が納得するまで行ない、何度も試行と錯誤を繰り返すうちに、いつしか、偶然と思
えるぐらい劇的に一つの法則にめぐりあう。
 これはまさしく感動的な出会いというか発見というか、一生涯わが身を剣道の虜に
してもまだ余りあるぐらい価値あるものだ。その美的感動が、また1ランク上の法則
を探る原動力となる。
 そして、その美的な感動を幾度か繰り返すうちに感性が洗練され、いつしか道徳能
力が備わる。すなわち「5.美と倫理」でも述べた、「つり合い」「比例均衡」「他
愛」と同一機軸にある主体の客観化または客体の主観化という主客一致の境地であ
る。
 また、真の法則の追求という修行を積めば積むほど自然の法則の広さと深さを知
り、宇宙の中に空しく存在している自己を深く認識するにいたる。すなわち自己の不
完全性の認識が、ぜったい謙虚の心を生むのである。この心境に到達できれば、試合
に勝って優勝しようが、いくら強くなろうが自己の過大視、絶対視という錯覚が起こ
りうるはずがない。これが剣道のめざす「真善美」一体の境地であると考える。

 佐藤忠三範士著『剣道と人生』(富士印刷)では、剣道における道徳的理法につい
て次のように述べている。

[道徳を学んで剣理を知り、剣道を修練して道徳の活用を知る。両者形を異にする
が、その根元は一つである。ここにおいて剣理は道徳に生き、道徳は剣理に生き、両
者は一致する。 …中略… 剣道を学んで一を体得し、一歩一歩を力強い信念をもっ
て踏み占め、精進して行けば、その人の剣道の技術の進歩ばかりでなく高い情操、優
雅な精神を養われ、世の中のあらゆる道徳に通達して、よく人と和し、生活全般を支
配するに至るであろう。]

[この変転極まりない世に処して、天地自然の原理にしたがって、その帰趨するとこ
ろを究め、且つ万象の情理を弁えて修錬体得する高度の剣道は、高遠なる人格を磨く
に因となり果となり、最も適切な修養の道と言えるであろう。]

 幸いにも剣道は他のスポーツと違って一生涯、年齢、性別、段位を問わず各々のレ
ベルにおいて楽しみ修錬することができる。時代の変遷により刀剣が竹刀にかわった
としても剣の理法は厳然として命脈を保ち現代に生き続けているのである。ここに人
間「道」として剣道の真価がある。
     以下次号、次の項目に続く
8.試合について倫理的考察
9.おわりに
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新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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