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道徳の国ニッポン

井蛙剣談 その三


 新宿剣連会員の皆様には、ホーム道場のスポーツセンターが営業時間の短縮により、思うように使えず、引き続き5月も同じ状況とのことです。ご不便をおかけし申し訳ありません。一日も早い復旧を望むものです。

 前回は、センバツ高校野球を取っかかりとして、近代スポーツと剣道とを対比させ、ルールの成り立ちや勝負観の違いについて述べました。そして剣道では、「常に道徳的規範を背負いながら試合することが求められる」と申し添えました。

 そこで今回は、新宿剣連の基本理念にもどり、「なぜ昔の日本は比類なき道徳の国であり得たのか」について思いをいたし、そこから伝統と文化に培われた剣道の修業のありかたを見つめ、われわれ常日頃の稽古へとつなげていきたいと思います。

 新渡戸稲造著の『武士道』は、皆様方もよくご存じで、お読みになった方も多いと思います。新渡戸稲造は、わが国の道徳教育についての疑問を自分自身に投げかけました。そして彼が『武士道』を著すきっかけとなった経緯を本書の中でこのように述べています。新渡戸が青年期、ヨーロッパ留学中における某教授と交わした会話です。



「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教教育なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析をはじめてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。



 そして新渡戸は、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と説きおこし、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。一言にすれば『武士の掟』、すなわち武人階級の身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージェ)である」と喝破します。

 次に、「義」「勇、敢為堅忍の精神」「仁、惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」など武士道の中味について論述しています。そうして武士の掟であった武士道が、やがて民衆への感化をもたらし、日本の精神的土壌に開花結実し、遍く国民の道徳教育となっていったかを説き明かしました。

 この著は、新渡戸稲造が38歳の年、明治32年(1899)に英文で書かれたものです。明治32年といえば日清戦争と日露戦争の狭間にあり、日本に対する世界の認識が極めて薄い時代でありました。『武士道』初版はアメリカで出版され、たいへんな賞賛を受けました。この『武士道』を読み感激した当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、すっかり日本びいきとなり、同書を何十冊も買い、他国の首脳に送ったといいます。またルーズベルト大統領は、後に起こる日露戦争の早期終結に力を注いでくれたと言われています。この『武士道』は、アメリカのみならずフランス語、ドイツ語などにも翻訳され世界のベストセラーとなりました。今われわれが書店で目にする新渡戸著の『武士道』は、いずれも日本語に翻訳された、いわば〝逆輸入もの〟と言えます。

 前回、「剣道は武士道の伝統に由来する」と申しましたが、今あらためて「武士道」を言問う必要があるのではないでしょうか。先ほどの新渡戸稲造がヨーロッパ留学中の某教授と交わした会話は、岩波文庫版『武士道』、矢内原忠雄の日本語訳で、広く知られまた共感を呼ぶくだりであります。ところが最近になってある学究筋から、この『武士道』の内容について、「本来の武士道ではない」と、間違いを指摘する向きもあります。クリスチャンであった新渡戸の武士道は、キリスト教を武士の生き様に投射したものである、などと。しかし、学問上の問題は別として、わが国の黎明期にあって、日本人論を英文で斯くも堂々と世界に宣揚し、サムライ・スピリットを普遍せしめた歴史的功績は極めて大であると考えられます。つづく



─ お知らせ ─

 『文藝春秋』今月号に、公益社団法人全国老人福祉施設協議会が主催する「60歳からの主張」平成22年度受賞作決定発表が載っておりました。なんと、その欄の「エッセー・小論文部門」に、わが新宿剣連の中田満千江さんの名前があるのです。受賞作品の題名は「剣道四段をめざして」です。中田さんは少年部で稽古に励んでおられ、昨年、三段を取得されました。ぜひご覧ください。

 作品原稿を読むには、下記[全国老人福祉施設協議会]のホームページから入っていただいて、[もう一つの成人式 60歳からの主張]にお進みください。HPの表彰式集合写真、後列左から2番目が中田さんです。なお、文中「Sさん」とあるのは、同じ少年部で稽古されている坂井憲行さんのことです。



全国老人福祉施設協議会HP

 https://www.roushikyo.or.jp/jsweb/html/public/


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感想

真砂先生

いつもお世話になっております。
さっそく、井蛙剣談その三を拝読いたしました。
共感するところ、大でした。
私もイタリアで、「なぜ日本人は宗教を信じていない人が多いのに、礼儀作法等
道徳の精神が行き渡っているのか」と、
質問を受けたことがありました。彼らにとって、宗教が唯一、道徳を学ぶ場であ
り、行動の規範のようでした。
だから、宗教を信じない日本人の多くが、それでも礼儀正しいことに不思議がっ
ていたのです。
私は、「武道や華道と言った文化が継承されているからだと思う」と答えた記憶
があります。
武道を学ぶことで、礼儀作法や精神鍛錬、あるいは武士道の精神を学ぶのだと。
だからこそ、彼らは「剣道が他のスポーツと違って、奥が深くて興味深いのだ」
と言っていました。
それまで、日本では剣道をしていなかった自分に「文化としての剣道」を教えて
くれたのは、他でもない外国人でした。
以来、現在の私があります。

大切な視点

柳沢さん、新渡戸稲造が112年前に経験した同じ事を、イタリアで体験をしましたね。
新渡戸さんは、はたと考え込んだ末にやっと「武士道」に思い至った。
柳沢さんは、即座に、「武道や華道と言った文化が継承されているからだと思う」と答えられた。
さすが!です。
新渡戸の「武士道」、柳沢の「武道や華道」、その核は「道」です。
皆様のご意見をいただくようになって、にわかに忙しくなりましたが、近いうちに日本文化の核である「道」について、拙談を載せたいと思っております。
井蛙剣士
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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