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演武大会に思う

その二十八

演武大会に思う

 昨年5月、「京都大会について」と題し、歴史に足を踏み入れることの意義と、剣の真髄を求める心持ちについて述べました。どうぞ今一度振り返って「その五」をご覧ください。

 今年も5月2日から5日まで、全日本剣道演武大会(通称「京都大会」)が「武徳殿」で開催されました。

 「武徳殿について」は、京都府剣道連盟ホームページ参照のこと。

http://www.kyoto-kenren.or.jp/butokuden/index.html
 今年の演武大会は、全日本剣道連盟「設立60周年記念」という冠を掲げ、第108回を数えるものでした。

 この大会の歴史について、昨年「その五」で書ききれなかった内容もありますので、本大会プログラムから抜粋したものをお載せいたします。


「本大会の歴史」抜粋 

[武徳会創立直後の明治28年10月より3日間、大日本武徳会本部主催により、第1回武徳祭大演武会が行われた。当時、武徳殿は、まだ造営されておらず、平安神宮前の博覧会跡に、テント張り仮道場を沢山設けての実施であった。参加者は320名。第2回は、1.440名、第3回には1.065名の参加者をみた。明治32年5月4日の第4回大会から新たに武徳殿が主会場となり、以来毎年実施された。第35回大会(昭和6年)にはラジオの実況放送が行われるなど、昭和19年まで盛大に挙行された。

 戦後、全日本剣道連盟が結成されてからの、最初の大会は京都大会の名称で、昭和28年5月4・5日の両日、会場を同じく旧大日本武徳会武徳殿において、開催された。終戦後、剣道がほとんど禁止状態におかれ、8年間の空白を経てからの、初めての全国大会でもあり、本大会の成果は将来における剣道発展の指針となるばかりでなく、一般社会の各方面からも多大の関心が持たれたのである。

 この第1回京都大会は、剣道の新しい出発を飾るにふさわしい立派な大会となった。その後の大会も、各種武道形・杖道・居合道の演武、剣道個人試合(参加資格は昭和50年まで五段以上、以後六段以上、平成13年からは六段以上称号を有する者)が行われ、全国の剣道人が1年間の修錬の成果を披露する演武大会として、また全国剣士の交歓の場としても普及し、今日に至っている。]


 以上、演武大会についてご紹介しましたが、これはあくまで皆様方に興味をもっていただくことにより、大会への参加あるいは見学をいざなうものです。が、ここまで詳しく書き記しながら、自らのことについてほっかぶりを決めこむわけには行きません。最後に自分の立合について述べ、締めくくりとします。


学び得たこと
 5月5日(祝)の午後、東会場の番付600番、私は大阪の作道正夫範士と立合わせていただきました。

 教育者として名高い作道範士のことはご存じの方も多いかと思います。作道氏と私は、八段昇段も範士受称も一緒で、かつ同年の65歳です。親交も古く、尊敬する剣士のおひとりです。このたび本演武大会で立合わせていただくのは3回目です。前回は平成15年ですから、9年ぶりに剣を交えることとなります。



 当日の朝、稽古会場で顔を合わせ、「よろしくお願いします」と挨拶を交わす、が、作道氏(以下、敬称略)のいつもにもました謹厳なさまに、〝すでに立合ははじまっている〟と。いま一度わが身を引き締め武徳殿におもむく。


 立合に際しては、お互いが申し合わせたように、そろって正面上座に向かって深々と頭を下げる。そして相対(あいたい)し目礼を交わし、呼吸を合わせ、大きく三歩ふみ出し剣を抜き合わせる。

 緊張とはうらはらに、彼我のおりなす空間の心地よさにひたる。


 『剣窓』5月号掲載の組み合わせで作道がお相手と知り、恐悦至極と心得、今日の日にそなえた。その間、立合に際しての心算や手立などは一切浮かべることなく、ただ作道の立姿を胸に時をすごした。あれから9年間、錬り上げたであろう作道の剣域に、真っ向から割り入るのみ。


 さし向かう剣と剣。「無心」「無我」が、戦いにおける至高の境地とされる。が、わが心持ちはそれとはことなる。

あくまで気をたしかに、現前する相手の一挙手一投足に目をそそぎ、圧力をかけながら打突の好機を待つ、という構えをふむ。


 両者おもむろに立ち上がる。静止のまましばらくした後、じりっ、と間を詰める。が、作道の身体からは何の反応もない、ただ透明な視線が反射し、こちらの出方をうかがっている。


 つぎに剣先で峰(棟)をおさえてみる、これもなすがままにさせて手ごたえなし、視線だけが鋭く返ってくる。

 できる、また剣境を上げた。


 ふつう、ここまで圧をかけたなら、〝身にほころびを見せる〟か、〝打ち気にはやる〟、さもなくば〝固まる〟かであって然るべきところを、作道は怯(ひる)むことも勇みたつこともなく、いっさい驚懼疑惑(四戒)のそぶりをみせない。

 さすが、とさらに畏敬の念をつよくする。


 仕切り直しては、緩に急に攻めかけるが、ついぞ勝機を見出すことができぬまま時間が過ぎる。このまま終わってしまうかも、と。


 ややあって、気のかみ合わせに微妙な変化が生じ、すこし作道の身体がふくらむ。静から動へのきざしがふつっと。えたり。気と機が接する刹那、作道の竹刀がはしる、同時に我が太刀はその上から合する。しかと間に合い、切り落とす。


 次の瞬間、「うぉっ!」との大喚声。観戦者の軍配は、作道のメンに上がる。



 以上、立合の描写を試みましたが、実に気持ちよく仕合うことができました。立合が終わって、武者溜りで作道氏とひとしきり。両者いずれともなく「まいりました」との会話にはじまり、作道氏「ねらってたでしょ」、私「えぇ、そこしか」、と。<中略>そして作道氏は「足を痛めてまして…」と左内腿をおさえ不調を告げました。


 あ、そうか、とはじめて作道氏の心の裡が腑におちる。

 足の不調が自らの心を研ぎ澄まさせ、いわば精神的に「背水の陣」を敷かせた。かたや私の構えは〝間に髪を容れず〟としたもの。そこに一髪、後れが生じたということでしょう。
 

 このたびの立合では、大きな学びを得ることとなりました。このつぎ作道氏にお手合わせを願えるのは、古稀すぎてのことでしょう。日々精進。

 平成24年5月5日、日記には「生涯最高の立合と思う」としるす。

つづく



「井蛙剣談」への思い

 この綴りを「井蛙剣談」と名付けたのは、古く頓阿が著した「井蛙抄」をもじってのことです。

 「井の中の蛙大海を知らず」という自嘲を込めつつも、「井の中は誰より知っている蛙」になりすまして書き進めたいと思います。頓真


「井蛙抄(せいあしょう)」

歌学書。頓阿(とんあ)著。6巻。1360~64年(延文5~貞治3)頃成る。古代・中世の歌論書の所説を集成し、さらに師二条為世からの聞書や当時の歌壇の逸話を集めたもの。(『広辞苑』より)
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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