創立60周年を迎えて

その二十二

新宿区剣道連盟が創立され60周年を迎えました。この節目の年に本連盟の会長をさせていただいているご縁を感慨深く受け止めている次第です。

 2月5日(日)には記念行事が行われ、午前は「記念稽古会」、午後からは「祝う会」が開催されました。ご来賓、会員、早大同好会そして少年少女剣士を含め総勢二百人になんなんとする行事が盛会裡に執り行われました。

 お忙しい中ご出席いただきました講師、ご来賓の諸先生方には、錦上花を添えていただき誠に有り難うございました。また、運営に携わっていただいた周年行事実行委員会の皆様方に厚くお礼申し上げます。

 新宿剣連は昭和27年に設立されました。皆さんの中には、伝統文化といわれ悠久の歴史を誇る剣道としては、「60年」とはいささか短い、と感じられる向きもあるでしょう。

 その理由については「祝う会」の席でも申し上げましたが、昭和20年(1945年)、太平洋戦争における日本の敗戦は、日本古来の武道に壊滅的な打撃を与えました。特に剣道は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から国家主義、軍国主義に加担していたという理由で、警察や学校で全面禁止の制裁を受けるなど、一般社会においても剣道の活動は著しく制限されました。
 そして剣道は、実質的に約7年間の空白期を置くこととなります。

 昭和27年(1952年)、講和条約が発効し、日本の独立が回復するとともに剣道が復活、「全日本剣道連盟」が設立されました。同年、新宿剣連は東京都剣連傘下の団体としていち早く産声を上げます。
 それが60年前です。
 剣道の長い歴史の中で、空白後の「60周年」ということです。

 今あらためて本連盟の創設に関わられた方々のご労苦に対し、敬意と感謝の意を表する次第です。剣道は、その後多くの困難を乗り越えて、当時には予想できなかったような今日の普及、発展を実現することができました。また女性剣士の隆盛には目を見張るものがあります。本剣連におきましても、会員の皆様方のご努力の結集によって今日の盛況に至っております。

 折しも本年4月から中学校の体育において武道が必修科目として完全実施されることになります。武道といっても柔道、弓道、合気道など9つの種目があり、できるだけ多くの学校に剣道を選択して欲しいと願うものです。

 つきましては、われわれ剣道人にとって〝心すべきこと〟がいくつか挙げられます。

 ご存じと思いますが、戦前においては、武道は正課として採り入れられておりました。やがて戦時色が濃くなるにつれ国策によって武道奨励の度合が強まってきます。

 福島大学教授の中村民雄氏は、その編著『史料 近代剣道史』で次のように述べています。
[剣術(道)を正科に編入させようとする請願運動は、常に、何らかの政治的・社会的危機意識の高まりの中で主張されてきた。第一は、民権論と国権論が激しく対峙した明治十年代後半、第二は、日清・日露戦争前後の国粋主義台頭期、第三は、満州事変勃発以降の天皇制ファシズム下における戦時体制移行期、第四は、占領末期から講和条約締結後の右傾化の時期などである。]

 ここで、太平洋戦争直前における正科編入への動きと社会的背景の主な流れを順を追って見てみましょう。

・ 昭和12年(1937年)3月、第70帝国議会衆議院において「劍道を小學校竝青年學校の正科目と為すの建議案」が可決。
  同年7月、「盧溝橋事件」を契機として「日中戦争」が始まる。

・ 昭和13年3月、第73帝国議会衆議院において「武道振興ニ關スル建議案」が満場一致で可決。
  同年4月、「国家総動員法」公布。

・ 昭和14年5月、「小學校武道指導要目」を公布、尋常小学校5年生以上の男子に準正科として柔剣道が科せられる。
  同年7月、アメリカが「日米通商航海条約」破棄を通告。

・ 昭和15年7月、「武道振興ノ基調」答申、国民皆武の振興と啓発の必要性についてを言及。
  同年9月、「日独伊三国同盟」調印、10月「大政翼賛会」発足。

・ 昭和16年(-41年)3月、「国民学校令」公布、体操科は体練科と名称を変更し、独立教材群を形成。
  同年12月、「太平洋戦争」に突入。

 さらにその翌年の昭和17年(-42年)になって、民間団体であった「大日本武徳会」(明治28年創設)が、厚生省・文部省・陸軍省・海軍省・内務省の五省共管の国家管理下におかれることとなるのです。

 教員の中で武道教師が優遇されたことは言うまでもありません。このように武道は戦争遂行のための中枢的存在に位置づけられ、剣道も次第に「戦技化」の道をたどっていったとされています。

 前掲書では、
[三本勝負の形式が一本勝負に変更されたのは、昭和十四年三月改正の「大日本武徳會劍道試合審判規程」においてである。さらに、同年六月二十七日、「凡ての競技は一本勝負が妥当」との持論を抱く石黒文部次官が岩原体育課長にその調査・研究を命じたことにより、一段とその方向性を強めていった。 …中略… 武道の戦技化と歩調を合わせ一本勝負が徐々に採用されていったのである。]
と述べられています。

 また同書では、戦時下においては、竹刀の長さを短く重量を重く規定し、より日本刀に近いものへと改められたと記されています。このように国は、国家総動員体制の中、〝実戦即応型剣道〟を提唱したことは想像に難くありません。

 剣道の修業過程が人間形成に有意義とされ、教育剣道を目指すさなかにあって、実戦即応型剣道とは、まさに〝先祖返り〟ともいえる恐るべきことです。
 
 剣道が重視されることは結構なことではありますが、国家目的のために剣道の概念が、ねじ曲げようとされたことについては、慚愧に堪えない思いです。

 再び今日、教育の混迷が続くなか、武道の教育性が認められることは時代の趨勢でありましょう。このたび武道必修元年の年にあたって、いま一度〝剣道とは何か〟ということについて、それぞれがしっかりとした持論を形成しておく必要があります。

 とにもかくにも戦前の〝武道だのみ〟となった、轍を踏む、ことのないよう心しなくてはなりません。
つづく

「井蛙剣談」への思い

 この綴りを「井蛙剣談」と名付けたのは、古く頓阿が著した「井蛙抄」をもじってのことです。 「井の中の蛙大海を知らず」という自嘲を込めつつも、「井の中は誰より知っている蛙」になりすまして書き進めたいと思います。


頓真



井蛙抄(せいあしょう)

歌学書。頓阿(とんあ)著。6巻。1360~64年(延文5~貞治3)頃成る。古代・中世の歌論書の所説を集成し、さらに師二条為世からの聞書や当時の歌壇の逸話を集めたもの。(「広辞苑」より)



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「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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