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センバツ高校野球の開催に思う

井蛙剣談  その二
                                                  
                                    平成23年4月11日                                   

 東日本大震災の影響により、各種剣道行事が中止または延期となっております。被害に遭われた方々を慮るとともに、この非常事態に際し、晴れがましい行事を自粛するのは当然のこととして受け止めています。また会場が避難所に利用されているなど、物理的に不可能という状況もあります。                          
 そんなさなか春の甲子園、センバツ高校野球は3月23日予定どおり開幕され、4月3日まで12日間の日程で行われました。一生に一度かもしれない、念願の出場権を得た選手たちのことを思うと大会の中止は酷である。被災地より選抜された高校も出場を望んでいる。国民的行事となっている高校野球ゆえ、開催する方がかえって国民を元 
気づける等々のメリットがあげられ、チャリティー色を前面に出すなど一定の条件の下での開催でした。                                        
 一方〝剣道のセンバツ〟第20回全国高等学校剣道選抜大会(春日井市総合体育館3月27日~28日)は中止となりました。剣道の大会は国民的行事という面においては野球に遠く及びませんが、大会に臨む選手の気持ちは、甲子園の球児と寸分変わらぬものがあります。各方面から実施を望む声が上がったようですが、あえて主催者側は「中止」の決断を下しました。                                  
 このたび大会開催について野球と剣道は相反する判断を下したわけですが、その善し悪しや様々な外的な要因は抜きにして、そもそも大会のあり方自体が根本的に違うような気がします。これは野球と剣道の対比というより、西欧の近代スポーツと日本の伝統的武道との違いと考えた方がよいかもしれません。そのへんのところを整理す
る意味で、少し私見を述べさせていただきます。
 まず大会(試合)についての見方ですが、野球やサッカーやバスケットボールなどの近代スポ-ツの多くは、「まず競技ありき」といえます。ですから、それらスポーツ種目の成立には、先んじてル-ルが設定されます。ルールがあることによってはじめて競技が成り立つからです。
 いっぽう剣道ですが、確かにルールは存在します。しかし剣道の大本はその昔、さむらい時代の真剣勝負が前提としてあり、そして剣術修業(行)の方途として竹刀・防具による稽古法が開発されました。そして竹刀・防具を使って安全に修業できるようになったことで、試合(競技)が可能となったわけです。ですから前提に真剣での
対峙があるので、ルールの設定が先立つ近代スポーツとは成り立ちが違うといえます。また試合は本番(真剣勝負)でなく、修業の一環であると考えられていたので、試合はあくまで「仮に勝負を論ずる」ものとされてきました。試合そのものが本番である競技スポーツと、仮に勝負を論ずるといった剣道とは最初から勝負観に開きが存
在します。
 ですから剣道で、一本(有功打突)の取り決めは、試合・審判規則に規定する「有功打突の条件」が先に立つわけではありません。もともと竹刀・防具稽古法を続けるなかで、「一本」とする価値が形成され、しだいに普遍化していったという過程をたどります。したがって、「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突
部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの」(剣道試合・審判規則第12条)とする有功打突の条件は、いわば後付け的に文言化されたものに他なりません。
 また、同様にルール設定のねらいにも大きな隔たりがあります。競技スポーツの世界では、その競技種目が面白いか面白くないかは、ル-ルの設定如何にかかります。ですからルール設定の際には、競技者や観戦者に対し興味を増進させることを考慮に入れねばなりません。更に競技スポーツでは、ル-ルの許容枠ぎりぎりのプレイが高
度な技術と称賛され、勝つための有効な技術となります。例えば、テニスやバレ-ボ-ルなどで、ネットやラインすれすれに落とされるサーブ、また、バスケットボ-ルの3歩ぎりぎりで行われるパス等は、見事なプレイと誉め称えられます。それらルール〝すれすれ〟〝ぎりぎり〟の行為は、当然のことフェア・プレイの範囲内とされま
す。このように、ル-ルが技術の成り立ちに大きく影響を与えているので、ルールの変更によって技術自体が大きく変わってきます。
 しかし前述したように、剣道のルールには試合を面白くさせるという思惑が入る余地は全くありません。また、ルールの変更によって剣道の技術が変わるものではありません。剣道におけるルールは、あくまでも普遍性、統一性そして安全性の観点から設けられるものです。また剣道では、概してルールの許容枠すれすれの行為は、「よ
し」とされません。というより、なるべく許容枠から内へ内へと試合する態度が要求されます。言い換えれば、日常生活の道徳規範を常に背負いながら試合することが求められるということです。
 高校野球で球児といわれているように、一所懸命修錬に励む剣道少年のことを〝剣児〟というふうに親しみを込めて呼ばれることは将来ともに望めないでしょう。しかし、武士道の伝統に由来する剣道は、日本に本来あるべき教育の礎として、大きく「国民的資産」であるといえるのではないでしょうか。
 ともかく剣道界の昨今、すべてに自粛ムードが広がっていますが、桜花の咲きほころびとともに、事情の許すかぎり日頃の稽古は続けていただきたいと思います。
 わがホーム道場の新宿区スポーツセンターは目下、営業時間短縮のため、大人の部の稽古ができない状況にあります。そんななか四谷の「習成館」の道場をお借りしての臨時稽古会が、館長の柴田章雄先生のお計らいで行われているようです。有り難いことです。深謝いたします。
 「粛々」と、そして「黙々」と稽古をつなげ、近い日に皆様と剣を交えることを楽しみにしております。               
         
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新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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