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〝かたち〟から〝型〟へ

                  その121
              〝かたち〟から〝型〟へ
 〝跳ぶ〟空間打突は、上肢下肢のバランスが悪く、なかなか〝かたち〟として納まりがつかない。跳ばない空間打突を試みてみると、なるほどギクシャク感はなくなるが、それを実際の稽古で試してみると体も刀も動きが緩慢で、また、踏み込む一足の幅が小さく、まるで通用しない。

 跳ぶ、すなわち左右の足が同時に宙にある状態はよくない、ということは理論上わかっていましたし、また、かじり読んだ『五輪書』にも、「飛ぶときに起こりが生じる、飛ぶことは即ち居つきなので、飛足は悪い」との教えがありますから。

 「跳ぶ、踏み切り足」は正道でないことはわかりつつも、実際の稽古や試合の現場で互いに応酬しあう技は、跳び足を駆使して繰り出されているのが実情です。
 そのうえ20代後半の我が身は、兵庫県警察の現役選手として結果を出さなければ生き残れない境遇にあります。

 跳ばなければ、打突の機〝今、ここ〟に間に合わない。であれば、これまで目指してきた空間打突のスタイルを変更せざるを得ません。跳んで、振って、打つへの回帰、というか、〝力み〟を伴うことやむなし、とした上での空間打突の再構築です。

 「再構築」というのはちょっと大げさですが、そう思わなければ気持ちが切り替わらない。実際は、現に普段の稽古で行っている打ち込みスタイル、すなわち〝力み〟感はうちやって、自分の身体の内側に意識を向ける独り稽古を空間打突として行うものです。

 下肢の〝蹴る〟と上肢の〝打つ〟を組み合わせた打ち込みを、新たに自己がイメージした〝かたち〟としてつくり上げればよい。

 また、〝力み〟を伴うことやむなし、とするのは、対峙する相手とは常に相対関係にあるという前提のもとです。
 巷での稽古や試合を見ていると、特に若手選手層の剣道スタイルはみな跳び込み技を駆使して戦っています。まさに双方とも力みまくって攻防を繰り広げている有り様です。

 であるならば、こちら側が相手より柔らかな身動き、より力み少なく技を発することができれば有利な戦いが展開できるというものです。
 そのためには、空間打突の修錬によって身体を熟(こな)れさせ、揺るぎない確固とした〝かたち〟をつくりあげることが大切。
 あえて〝跳ぶ〟ことを必要悪ととらえ、遠閒から打突することを主眼とした空間打突の修錬です。

 次ぎに左足で踏み切るとき、蹴って跳ぶ、ということになるのですが、できるだけ左足が床面から離れないよう、また、右足を高く上げないよう注意しました。
 左足で踏み切る(蹴り)の瞬発性と、右足による踏み込む強さは重要であるが、両足が同時に宙にある状態をできるだけ少なくするためです。

 このように、実戦に即した〝かたち〟づくり、へと修錬の方向性は決まり、改めてギクシャク感とのたたかいが始まります。
 この度は〝蹴る〟〝打つ〟と心得ての空間打突ですが、今までと変わらず円滑にいかぬまま暫し続けることによって新たな気付きが立ち現れました。
 
 それは当初の、下肢のスピード感ある〝蹴る〟と、上肢の緩慢な〝上げ下げ〟の組合せから、下肢の〝蹴る〟と上肢の〝打つ〟へと、上肢下肢ともスピード感を持たせることによって、上下のバランス関係を打ち立てるというものです。

 そのためには今まで以上に「上虚下実」の身体を意識して、腹部を充実させ重心を下げ、腹式呼吸によって行うことが大切だということを。
 「上虚下実」というのは、上半身に力みがなく下半身に力が充実している状態ですが、私の場合は、ことさら上虚は思わず、「下実」特に下腹部の充実に心を配りました。
 と、申しますのは、一つの身体で上下正反対のことを物すのは非常に難しく、腹部の充実に重点を置くことで、自然に「上虚」となる、という考えのもとにです。

 もっとも私は以前から「肩に力が入る」という課題をかかえております。常に力を抜くことを心懸けているのですが、これがなかなか上手くいきません。上体の力を抜こうとすれば気まで抜けてしまうのです。
 ですから、この度は「上虚」を意識しないようにしました。「下実」のみに傾注すれば、結果として「上虚」の状態がつくれるのでは、と思ったからです。

 この下腹部の充実に特化した空間打突の修錬を積み重ねたところ、ある時、真っ暗闇のトンネルにさす一点の曙光が兆します。
 まさに光明を見出すがごとく、一転、日ごとの〝かたち〟づくりに長足の進歩が感じられるようになりました。
 
 富士の山を思い描いた構えから繰り出される一打。トンと床を踏む足音とヒュッと空を切る竹刀の音。面、小手、胴、突き…、打ち込み動作の一挙手一投足に全身に気が充溢した感覚です。

 しだいに自己のイメージした〝かたち〟が体現できるようになってきたのです。
 身体と竹刀が一致し、打ち込んだ〝かたち〟があるべき〝型〟に嵌まった身体感覚です。
 いよいよやって来た!

 そして〝かたち〟から〝型〟への質的転換とでも申しましょうか、漠然とした〝かたち〟への思いが、実体を伴った〝型〟を具現している感覚が降りてきたのです。
つづく
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新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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