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試行錯誤の歩み

                その120
              試行錯誤の歩み
 今までとは全く逆の、力を使わず速さを求めず、上げやすい方向に上げ、落ちるにまかせて下ろすを目指した空間打突の修錬がとめどなく続きます。
 力を入れないのですから、振るとは言わない、単なる「上げ下げ」と言い聞かせての空間打突です。が、今までの力動的な素振りから筋力を否定した空間打突への方向転換はすんなりとはいきません。

 理屈はわかっているが、なかなか思った〝かたち〟が表現できません。
 すり足で行う刀の上げ下げの振りは力みなくできるのですが、それを踏み切り踏み込み足でやろうとすると、どうしてもギクシャクしてしまいます。

 一念発起したはいいが、鏡に姿を映しながら、「決まらない」「不格好」「ぎこちない」「下手糞」「へぼ」「たどたどしい」「不細工」「愚鈍」という否定的な言葉が次々と頭をよぎる日々は続きます。
 出口の見えないトンネルの中にいる、というか退屈でただ耐えるだけ、遅々として時間が進みません。

 ひたすら〝型の文化〟であることを自分に言い聞かせ、「太刀の道」「気剣体の一致」「さらに行ぜよ三万回」など念仏のように唱え繰り返し行う日々です。

 自己の〝かたち〟をつくるために始めた空間打突の修錬でしたが、その退屈さに耐えきれず、幾度か暗礁に乗り上げました。
 ただ、「太刀の道に哲理あり」という初一念が、かろうじて挫折を思いとどまらせてくれました。

 行じること一ヶ月。
 すり足では力まないのに、踏み切り踏み込み足では力んでしまう。このギクシャク感について、一つの気付きがありました。

 それは、左足で踏み切るとき、蹴って跳んでいるということです。跳ぶということは、両足が宙に浮いた状態です。跳んで、できるだけ遠くへ歩幅を稼ぎ、右足で着地する。若いころから当然としていたこの足使いが〝力み〟をもたらしているということです。

 この蹴って〝跳ぶ〟が障害になっていたと。
確かに〝跳ぶ〟打突は遠閒から届く、素速く打てる、という利点はあるものの、跳んで踏み込んで打つ動作は〝力み〟そのものです。まして「速く打とう」と気を急かせれば急かせるほど。

 力みは〝居つき〟にほかなりません。
 蹴って〝跳ぶ〟が力みとなり、ギクシャク感の元凶であったと気付いたのです。

 なお、〝居つき〟については、拙談[その七十二 生死を問う][その七十三 「居つき」について]を参照のこと。

 〝力み〟から脱却しようと、振るではなく刀の「上げ下ろし」、部位を打つと思わず「高さ」を意識した、無機質的な空間打突を心懸けてきたつもりでしたが、この蹴って〝跳ぶ〟が障害となっていたのです。

 この蹴って〝跳ぶ〟も即物的な動作なので、空間打突を発意した当初から排除すべきことであったのです。
 振ると思わず「上げ下ろし」、部位を打つと思わず「高さ」を意識する、と同時に、〝跳ばない〟踏み切り踏み込み足で空間打突をしなければならなかったのでした。

 上半身はうまく〝かたち〟ができても、下肢が目的的な動作となっておれば、身体全体がギクシャクして当たり前です。

 とは気付いたのですが、それじゃ、と、すぐさま跳ばない空間打突を試みてみますと、なるほどギクシャク感はなくなるのですが、それどころか体も刀も速度が緩慢となり、また、踏み込む一足が小幅となって、これじゃ戦えない。こんな緩やかな動きでは間に合わない。

 ここでまた一考、試行錯誤は続きます。
 この緩慢な空間打突を試みながら、その動作が「太極拳のゆるやかに円を描く動きに似ているな」と一瞬、脳裡をかすめますが、今まで「あんな緩慢な動きの拳法が武術として通用するわけがない」と一顧だにしなかった故、ここでも思いを長く留めることなく通り過ぎてゆきました。

 あの太極拳の緩やかな円運動が、『五輪書』の「足の運びやうの事、つまさきを少しうけてきびすをつよく踏むべし。足づかいは、ことによりて大小・遅速ありとも、常にあゆむがごとし」とともに腑に落ちるのは、それから数年経ってからのことです。

 その時は、「しかし皆、よく見ると跳んでいる、よな」と現実的な戦いの場面を想起し、蹴って跳んで遠くへ踏み込んで、速くを競って戦っていることに思いが行きます。
 一念発起してから、「振る」とは言わない、「打つ」とは思わない、単なる「上げ下げ」と言い聞かせてきましたが、跳ばないと間に合わないのなら、きっと刀のはたらきも能動的に使わなきゃ、との思いにしだいに傾いて参りました。

 これまで戒めとしていた〝力み〟ではありますが、跳ばなければ繰り出す技が〝今、ここ〟に間に合わないのであれば、これまで目指してきた空間打突のスタイルを変更せざるを得ません。

 もとい、「跳んで、振って、打つ」への回帰、というか〝力み〟が伴うことを仕方なしとした上での空間打突の再構築です。

 そもそも、切るを前提とした打ち込み稽古から次第に変容し、竹刀剣道が専らとなった。やがて竹刀剣道の競技的な要請から、より遠く、より速くを求めるようになったものと推察されます。

 力まぬ体勢よりも速攻性の方が重視される竹刀剣道であれば、その力みに伴う〝居つき〟という制約の中で相手に攻め勝ち、隙を捉え技を発する。
 剣道の醍醐味ここにあり!
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺もあるではないか。

 ということで、居つくのを承知で、跳んで振っての〝かたち〟づくりに切り換えることとなったのです。
つづく
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新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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