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量から質へ ②

その100
 平成23年3月から、ゆるゆると書き綴って参りました拙談ですが、このたび100回を数えることとなりました。
 丸6年、64歳から70歳まで、自分なりによく続いたものと感慨深いものがあります。これも支えていただいたホームページ委員の皆様はじめ、愛読いただいている方々による叱咤激励の賜と厚く感謝申し上げます。
 当初は、技術論に踏み込むのは僭越との考えで、もっぱら剣道周辺論に終始しておりましたが、昨秋迎えた70歳を機縁に、少し技術的なものにも触れるようにいたしました。
 どこまで続けられるかわかりませんが、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

 さて剣談ですが、転換期を迎え、試合恐怖症や剣道拒否症に苛まれる日々を送っているところからです。
 
量から質へ ②
 しばらくそんな状態が続きますが、あるとき、ふと気付いたことがあります。それは、〝圧力〟ということです。
 間合については総じて剣道界、「遠間をよし」として近間を嫌う傾向にあるのですが、間合を考える上で、もし今の自分が遠間であった若い頃の自分と試合すればどうなるかを考えました。
いや、とても太刀打ちできない!

 では、昔の自分に打ち勝つにはどうすればよいか。
 それには、間合を詰めるしかない。相手が下がっても左右にはぐらかされても相手をとらえられる距離まで圧力をかけるようにじわじわ詰め寄るしかない。

 詰め寄って切迫状態をつくり、相手の緊張感を高め、焦らせ急ぐ気持ちにさせることができれば、それが「攻め」につながるのでは、との思いです。

 これを攻めの一つの理合とするならば、一概に間合は距離の遠近のみをもって論ずべきではないとの考えに至ったのです。

 しかし、これは同時に相手との距離を縮めることですから、どうしても近間と思われてしまいます。周りから「間合いが近くなった」と心ない誹りを受けたり、愁眉の目で見られることが多々ありました。

 信念とする「間合は距離の遠近をもって論ずべきではない」も、負けが込んでいる人間には大勢を相手になかなか貫き通せるものではありません。また元のフットワークを使うやりざまに戻ったり、はたまた地力で圧す攻めへと思い直したりと試行錯誤の日は続きます。

 試合も個人戦であれば負けても人様にそれほど迷惑がかからないのですが、団体戦となれば様相が一転します。とくにチームの勝敗がもろにかかってくる後ろのポジションともなれば責任重大です。

 そんな試行錯誤の状態で迎えた本番です。7人制の三将で出場することになりました。そして最強と言われる強豪チームとの一戦を迎えます。しかも私の相手はチームを引っ張るポイントゲッターで全国に名を馳せる選手です。

 いま試行錯誤のさなかにある「地力で間合を圧する攻め」といっても、その相手に地力の勝負で勝てるという自信は全くありません。かといって元に戻ってフットワークを使い相手の間隙を衝く陽動戦法も効くような相手でもありません。

 「どうするかなぁ?」と心細い思いで先鋒次鋒戦を見守っていました。すると、この若手選手たちは相手をものともせず、果敢に立ち向かっているではありませんか。
 この、若手の善戦ぶりを見て、やにわに士気が鼓舞され、思わず、「もう、やめた!」の声を発していたのでした。

 「もう、元にはもどらない。がっぷり、地力勝負でいく!」と強く心に決めた瞬間です。

 そして同点同本数で迎えた三将戦は——
 蹲踞から立ち上がるや、雲散霧消、まったく躊躇する気持ちが消え去り、肚坐ってじわじわと相手を圧する自分がいました。

 遠間からの跳び込み面が得意で売っている自分です、が、一転。重々しくじわりじわりと詰め寄るものだから、相手は様子が呑み込めないのか、気攻めに圧されてか、少しずつ後ずさりを始めます。そして攻め勝ったかたちで数合あって一頻りの後、一歩踏み出せば、面に達するその極み、に、相手の手元が浮いた、その刹那——

 いったい何が起こったのかわからぬまま、我が切っ先が相手の小手を仕留めていたのです。
 今まで試合において、このような小手を決めたことは一度たりともありません。まさに、「やったー!」の場面です。が、なぜかそういった心境にはあらず。ただ審判の「小手あり」の宣告が空漠と耳に届いていた、というありさまです。

 「二本目」となっても、守るとか逃げるといった思惑は全く浮かばず、ただ先の攻め口をなぞるのみ。そして先ほどと同じ小手技を決めるのですが、それにさほどの時間は要しませんでした。
 かくしてチームの勝利に貢献でき、はたまた自分の確固とした戦うかたちを身につけた一戦でした。

 28歳から実に6年間、低迷時代に終止符を打つ一戦でもありました。昭和55年(1980)秋の話です。
 その翌々年、大将に昇格し、2年間務め上げ、特練生活に終止符を打ち37歳で剣道指導専門職になることができました。

 さて、冒頭に述べました〝圧力〟という発想の根源ですが、武道を大別すると「触覚」を主とする武道と「視覚」を専らにする武道とに分けられます。

 触覚武道というのは、実際に相手と身体接触する柔道、合気道、相撲などです。
 いっぽう視覚武道には、間合をとって相(あい)対峙する剣道、なぎなた、空手などがあります。

 そこで視覚武道と言われる剣道を、「動体視力や反射神経に劣る自分が、このまま視覚に頼った稽古を続けていても上達の目はない」との考えに至りました。

 なんとか触覚的に〝がっぷり〟組み合う剣道ができないか。それには相手に詰め寄るしかない。
 触覚といっても身体の接触ではありません。得物である竹刀の交わりです。

 剣先が密に関われば、竹刀そのものが「触覚器」としての役割を担います。そしてその触覚器を通して相手の息づかいや思わくをはかり、技を発す前のふつふつ湧き上がる〝兆し〟をとらえるのです。

 「その九十四『気剣体一致を創る』(H28.12.05)」(『剣道時代』H28.12月号所収)で紹介した稽古法によって、竹刀に血を通わせ神経を巡らせ身体と竹刀を一体化させる稽古を積み重ねました。
 そして、ある程度自信が備わってきたときに、

もはやメガネは要らない!

と、視覚に見切りをつけました。

 それまでは剣道用のメガネをかけてやっていましたが、ある時点できっぱりと決別しました。このことに気づかせてくれたのは、ほかならぬ反射神経の鈍さです。

スポーツ音痴バンザーイ
\(^o^)/
つづく
平成29年3月31日

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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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