FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

量から質へ

その九十九
量から質へ

 かく言う私も、若い時代は理合など関係なく、闘争本能と力とスピードで戦っていました。
 しかし、青年期も後半に入ると段々と体力の低下を意識しだすようになりました。
このままではいかん!
と。
 そしてながーい低迷期に差しかかります。
 その低迷期を経ることによって、ほんの少し理合に目覚めるわけですが、理合の話に入る前に、そこに至った自分の剣道の生い立ちについて少しお話させていただきます。

 私が剣道を始めたのは、中学校に入り剣道部に入部した昭和34年(1959年)です。もう60年ほど前の話です。当時の子供たちに人気絶頂であった「赤胴鈴之介」に触発されてのことです。

 中年より上の方であれば赤胴鈴之介を知っておられると思いますが、若い人でご存じでない方は、ぜひインターネットで「赤胴鈴之介」を検索してみてください。

赤胴鈴之助の歌
 「剣をとっては日本一に夢は大きな少年剣士、親はいないが元気な笑顔、弱い人には味方する、おう!がんばれ、頼むぞ、ぼくらの仲間、赤胴鈴之助」
 「父の形見の赤胴つけて、かける気合も真空斬りよ、なんの負けるか稲妻斬りに、散らす火花の一騎打ち、おう!がんばれ、すごいぞ、ぼくらの仲間、赤胴鈴之助」♫♬♩♪

 いま歌ってもワクワクします。

 私は、もともと極端に反射神経が鈍くスポーツ音痴なものですから、本来的に剣道には向いていなかったのかもしれません。どんなスポーツをやっても下手くそで仲間に入れてもらえず、行き着いた先が剣道部だったと言っても過言ではありません。

 ですから剣道部に入ったからといってこれまた他のスポーツと同じで、上達はおぼつかなく、中学3年間で試合に出たのが2回ぐらい、勝敗のことは全く覚えておりません。〝ふうふう〟と息が上がったことのみ記憶に残っております
 腕前の方は、中2で三級、中3で一級に合格し、当時誇らしく思っていました。今の段級位が決してインフレ化しているわけではありません。その程度の実力であったということです。

 しかし高校生になって急に身長が伸び(180cm)、学校で一番の背高ノッポとなりました。
 もともと脚力はあった方でしたから、構えたら相手の面布団がそっくり見え、脚力と長い手を効かせ竹刀の先を相手の面布団に届かせるだけ、ポンと音がして「メンあり!」と、まぁ簡単に勝つようになりました。

 竹刀の振り方や手の内など何の頓着もなしにですから、かえって居つきも力みもありません。
 弱点である反射神経や動体視力など全く意に介せず、身長と体力に頼り切り、構えは極端な前傾姿勢で、そう、運動会の徒競走のときの「よーいドン」、あの姿勢です。

 きっと、剣道とはいえない酷いもので、構えのことを指摘されても言うことを聞かず、高慢で鼻持ちならない存在であったでしょう。
 そんなことですが、いちおう間合については常に遠間で戦っていました。身長差があるので、相手と打ち間がぜんぜん違います。いつも自分の技は届くが相手からは届かないところで戦う、フットワークを縦横に使った戦法です。

 相手が打ち間に入って来ようものなら、間合を外したり左右にはぐらかしたりしてやり過ごし、その動きのなかで自分の都合のよいときに素っピョンとメンに跳ぶ、というものでありました。
 おかげで試合では、トップレベルには届かぬものの高校、大学ともそこそこ勝ちを納め、自分なりに満足のいくものでした。

 昭和45年(1970)に兵庫県警察に奉職し、機動隊勤務のかたわら剣道特練員に選ばれ、特練生活を13年間続けます。特練の駆け出し期には高校、大学のままの試合ぶりで直ぐさま選手の座を射止め、ある程度の成績を収めることができました。が…、20歳代の終わり頃になって低迷期がやって来ます。
 今まで得意であった面技がだんだん通用しなく、勝てない日々が続きました。
 このころから試行錯誤が始まります。

 今つくづく思うことですが、自分の利点である身長の高さと脚力の強さが自分の剣道修行の障壁となり、反対に、自分の欠点であった反射神経の鈍さが上達の道筋を追究する手助けになった、と。

 なぜかと申しますと、身長の高さと脚力にまかせての跳びはね剣法から脱却し、道筋に則った剣道に移行しようとすると、反射運動が鈍い私は単なる木偶坊(でくのぼう)になり下がってしまうのです。

 それなりに努力し、姿勢や構えも正しく、素振りも数をかけ打ちもしっかりしてきているのだが、肝心の打突の機会が全く見いだせないわけです。
 機会どころか「先」ということも、また「攻め」の何たるかもわからず、いつも相手に躍らされ、ただ闇雲に打っていっては餌食になるばかり。

 なんとかこの不振を打開しようと、課外に出稽古に行くなど休日も返上で遮二無二修行に励みました。

 その努力の甲斐もあって、次第に「地力」というのがついてきて、強くなったという実感を得ることができました。しかしそれは稽古場だけのことで、試合では全く通用しません。

 自分ながら深く思い悩み、神経症というか、ひどいときには相手と対し構えただけで嘔吐(えず)き掛け声が全く出せないこともありました。
 試合恐怖症、剣道拒否症といってよいでしょう。
もはやこれまでか(~_~;)
つづく
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。