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わが国の〝かたち〟をとりもどそう - 武道のすすめ -  ⑤

その九十三
わが国の〝かたち〟をとりもどそう
- 武道のすすめ -  ⑤
 
十 教育のありかた
 教育は社会の安全と密接に関係する。
 戦後の教育は、子どもたちの自主性を尊重することを是として行われてきた。子どもたちの自主性を尊重するということは、親や教師がひとつのことを教え導こうとする場合には、納得させるための「論理」が必要となる。そして、子どもたちはそれに得心した場合にのみ教えに従うというのが構図となっている。そういうことから近年、型稽古のような「有無を言わさず守らせる」という教育がなおざりにされてきた。
 現在の子どもたちは「なぜ人を殺してはいけないの」また「なぜ援助交際がいけないの」などと、「なぜ」とうそぶいて親や教師たちを困惑させる。その「なぜ」、に満足な論理が展開できず大人たちは子どもの前にたじろいでしまうのである。戦後教育の弊害はここにも表れ、家庭崩壊や教育崩壊の一因にもなっている。
  藤原正彦の近著『国家の品格』は、このような現在の教育問題の根幹について一石投じるものであった。ここにその主要な部分を抜粋する。
 
<論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことはない。数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになった。そして「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになりました。>
 
<野に咲くスミレが美しいことは論理で説明できない。モーツアルトが美しいということも論理では説明できない。しかし、それは現実に美しい。卑怯がいけない、ということすら論理では説明できない。要するに重要なことは論理で説明できない。論理で説明できない部分をしっかり教えるというのが日本の国柄であり、またそこに我が国民の高い道徳の源泉があったのです。>
 
 藤原は、論理の限界を説き、「なぜ」とのうそぶきには、「『駄目だから駄目』ということに尽きる」ときっぱり言い切っている。
 論理を専らとする数学者の言辞だけに、まさに得たり、目から鱗が落ちる思いで本書をおし頂いた。
 この論理によらない教育は、最近各方面で見直されてきた。学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会の教育課程部会は、小学校の国語教育に古文や漢文の暗唱を導入する方向で検討に入ったという。古典の暗唱は精神活動の骨組みを作るのに大きな力を持っているということだが、この暗誦も「型」による習得と同じである。定められた一定の文型を繰り返しひたすら音読することにより暗記する。そして「型」の習得ともいえる暗記が、先人の魂を心の基層部に深く刻印するというものである。
- まず〝型〟にはめることが肝心 -
 
十一 武道と武士道
 戦前、柔道、剣道は、体育の一種目としてではなく、独立教科として教育に採り入れられていた。それは明治期、文明開化を標榜する主知主義教育の偏向が、気力・体力の錬成をおろそかにしたことを認め、古来の武道がわが国の学校に最も適した体育法として重視したゆえである。それは言うまでもなく江戸時代の藩校にならったものである。また気力・体力の錬成のみならず、かつて武士のたしなみであった武道を修練することによって武士道的精神を培うというものである。古来武士道精神は、武道との関連で考えられ、武道と武士道を直結させてきた伝統がある。
 警察では、明治のはじめ近代警察発足とほぼ同じ時期から柔道、剣道を正課として採り入れている。それは柔道、剣道が武術としても人格陶冶の面でも有益なものであるとしてのことである。明治半ば期、警視総監で後に武徳会会長を務めた大浦兼武は、「警察官は武士であり武士道が警察官の精神を支配すべきだ」と主張し、武道の奨励を説いた。さらに大正時代はじめ、警視総監であった西久保弘道(後の武徳会副会長兼武道専門学校校長)は、警察官が武道の訓練をする目的は「体力を鍛え胆力を練ることである」と力説した。また現在でも、警察官に最も必要とされる、「正々堂々」「勇猛果敢」「潔さ」「廉恥」といった武士的な態度は、武道を鍛練することにより培われるとして、その振興が図られている。そして昔日の「主君に献身」というモラルの「主君」を、「国家及び国民」に置き換え、高い倫理観を保持しようと努力してきた。
 このように警察で正課として行ってきた柔道、剣道が、やがて広く国民に波及し、武士の精神文化として、わが国古来の伝統に育まれ、精神と身体が一体化してきわめられた。
 戦後、受難に遭った武道や武士道も、わが国ことごとくに道徳の退潮した今日、失われつつある固有のアイデンティティの復活が叫ばれるなか、ようやく市民権を取りもどしつつある。書店においても、新渡戸稲造の著をはじめ、武士道に関する書物が数多く並べられるようになった。NHK大河ドラマも侍ものが定番となっている。まさに世の中は、「さむらい」の出現を渇望しているかのようである。
- 武道の修行が〝さむらい〟をつくる -
 
おわりに
 目下、新たな教育改革が進められており、「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人」の育成が教育目標に掲げられた。また改革の方向を示すことばの中に、伝統的な美徳を強化しようとする文言が随所に盛り込まれている。「武士道」というものが見直されてきた背景にはそういった気風の醸成がある。今いう「武士道」は、封建制度のもとで暗い陰を落とした因循姑息な悪しき一面ではなく、古来より伝わる「大和魂」「大和心」を元とした日本人特有の心根を集大成したものをさしている。それはまさしく「日本人のアイデンティティー」を意味し、国民精神を育むはたらきをもつものである。英国には「英国人魂」があり、ドイツには「ドイツ人魂」があるように、どの国の国民にも、どの民族にも、国民精神というべきものがある。国民の精神は、一人ひとりの国民にとって生きる力の根源になるものであり、また、国民の精神を共有する社会は、互いに尊敬し合い、無用の争いが少なく、共に同じ方向に向かって生きていくことができる力強い社会となるのである。今いかに戦後失われた公序良俗の美風を再生させるかが問われている。
 わが国の伝統的な武道の修行には、「武士道」をあげるまでもなく、人間を形成する教育法として現代教育に欠けたさまざまな優れた要素をもつ。
 少しでも多くの人が柔道、剣道をはじめとする各種武道をたしなむことによって、日本人らしい倫理観や道徳観が培われることを切に願うものである。
 
◇あとがき
 筆者は現在、警察大学校で術科(主に剣道)指導の職にある。このたびのテーマである「社会の安全と日本人の倫理」を筆者の立場で考えるとき、全国各地に遍く存在する警察署の柔剣道場を効果的に活用するにしくものはないと思いを強く致すものである。
 平成十四年に国家公安委員会規則として「少年警察活動規則」が制定された。そして同規則第九条(少年の規範意識の向上等に資する活動)に「柔道、剣道等のスポーツ活動その他の少年の規範意識向上」が掲げられた。また同規則の実効を図るため警察庁次長通達で「警察署の道場等における少年柔剣道教室、スポーツ大会はもとより、少年の居場所づくりに資する多種多様な活動を新たな発想に基づき推進することが期待されるものである」と述べられているところである。
 周知のとおり警察では警察官必須の術科として柔道、剣道の訓練が義務づけられている。そして警察署には必ず柔剣道場が設置されており、また指導者となり得べき高段の警察官を多く擁している。もっとも同規則制定以前から多くの警察署では道場を開放して、柔道、剣道指導担当者や有志の警察官により、地元の少年への指導が行なわれている。また警察署の道場による柔道、剣道の活動は少年指導だけに止まらず、広く地域住民や愛好家の武道交流の場となっているところもある。しかし同規則の趣旨を体しようとするならば、全国的に見てまだまだ不十分と言わざるを得ない。「仏作って…」とならないためにも、なお一層の推進が図られてしかるべきだと考える。この小文の副題を「武道のすすめ」としたが、全国各警察署を拠点とした柔道、剣道普及発展のための一助となれば幸いである。
 また筆者は同時に、現代武道の競技スポーツ化を懸念する者であることをつけ加えたい。武道のあり方についても言及すべきであったのかもしれないが、紙数の都合と本題の論点をぼやけさせないためここでは控えた。武道の中味についての問いかけは、機会を改めて文を起こすこととしたい。 了
 
- 参考・引用文献 -
『武士道』新渡戸稲造(岩波文庫)
『菊と刀』ルース・ベネディクト(社会思想社、現代教養文庫)
『日本人の身体観の歴史』養老孟司(法蔵館)
『この国のかたち』司馬遼太郎(文藝春秋)
『国家の品格』藤原正彦(新潮社)
『いま、なぜ「武士道」か 美しい日本人の精神』岬龍一郎(致知出版社)
『「剣道事典」-技術と文化の歴史-』中村民雄(島津書房)
『日本人の精神再興』(第3回剣道文化講演会抄録)
「月刊剣窓」平成17年3月号・鳥居泰彦
平成28年11月8日
 
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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