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わが国の〝かたち〟をとりもどそう 武道のすすめ④

その九十二
わが国の〝かたち〟をとりもどそう
- 武道のすすめ - ④

八 わが国の〝かたち〟
 日本の伝統文化は「型の文化」といってよいほど型によって伝承されてきた。
そして日本の伝統文化は、「道」の色彩を色濃く帯び、花道・書道・茶道などに限らず、
闘争の「術」から「道」に発展した「武道」も伝統文化としてその重要な位置を占めている。

 「型」は、もとになる〝かたち〟で、手本、ひな形、一定のしぐさ、動作、しきたり、
慣例、タイプなどの意味がある。また「型」には「鋳型」や「型木」などの語が示すように
他のものに等質的に写される性格を持つ。そしてこれは時間的に過去のものを現在に
うつす時にも用いられ、それぞれの道の達人が残した「型」を後世の人が学んで、
外型によってそれをとらえようとするものである。
 
 そしてその「型」を学ぶことを「稽古」と言った。この何げなく使っている「稽古」
という言葉であるが、稽古の「稽」は「考える、比べる」という意味であり、「古」は「いにしえ」である。
ゆえに稽古とは、「古(いにしえ)」を「稽(かんが)」 えることなのである。
そういった言葉の来歴がわかれば、昔の達人が残した〝かたち〟を後世の人が学ぶ
という伝承の体系が「稽古」の意味として腑に落ちる。
日本人は、この「型」という見事な文化継承のシステムを構築し発展させてきたのである。
 
 また、武道や芸道に限らず、すべての身体表現は「型」によって受け継がれ、
一つの共同体の人たちを類型化してきた。養老孟司は、その著書『日本人の
身体観の歴史』の中で人間の類型化についてこのように述べている。

<社会における型、すなわち礼儀・作法とは、こうした身体の制度化の表現である。
「型」が身体を制度的に統制したことはいうまでもない。武士には武士の農民には農民の、
身体の型がある。それによって、相対する相手をいかなる人物か判断できる。
すなわちそれは、江戸社会における社会的自己の表現となっていった。>

 「気質」と書き「かたぎ」と読むが、これは「形木」から転じたものである。
「気質」は、物事のやり方、慣習、ならわし、様子といった意味に使われるほか、
「職人気質」とか「江戸っ子気質」また「記者気質」というふうに、身分・職業・年齢などに
相応した特有の類型的な気風をいう。これも「型」による継承の一形態である。
 「気質」という自己表現をもった人たちの集まりが安定した社会を形成していた。
このことは社会の安全を考えるうえでぜったい見逃せない視点である。
 「型」によって継承されたのはそれらのものだけではない。
思想的なものも「型」によって受け継がれているのである。

 司馬遼太郎の最晩年の著『この国のかたち』(平成四年~八年刊行、全六巻)は、
わが国が近代日本へ至る思想の道筋を随筆のスタイルで書きあらわしている。
日本の各時代ごとの形質をあつかいつつも、時代を越えて変わらぬものはないか
という、不易の、あるいは本質に近いものを突き詰めた。そして国家としての、また
地域としての、あるいは社会としての日本の様相を〝かたち〟というふうにとらえたものである。
 司馬は、「この国のかたち」という題名を偶然つけたとしている。
本来は「この国の『思想』」とすべきところであったのかもしれない。
しかし、わが国の思想的経路の基本線を描いているうちに、わが国には古来
から固有の思想がないことに思いあたった。
であるから「思想」とすることへの違和感から〝かたち〟と名づけたのであろうと
推察される。固有の思想なきわが国の思想的な基本線に、連綿たる〝かたち〟
の継承をイメージしたものと思われる。
 
 司馬は本文で、「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型と
いうものを大小となく煮詰め、もしエキスのようなものがとりだせるとすればと思い、
『かたち』をとりだしては大釜に入れて…」と、健全であったわが国の地域、社会の
ことわりを見つめている。<註4>
 宗教あるいは思想による教化といった面が少ないわが国だけに、いかに
〝かたち〟「型」を大切にして心のやすらぎを得、また自己をコントロールしてきたかがわかる。
- わが国の〝かたち〟をとりもどし治世の国を再現させよう -

<註4>司馬は『この国のかたち』の中で、日露戦争以降、太平洋戦争が終わる
までのことを負の歴史として描いている。これは司馬が学徒出陣したことに関係がある。
本文中「国家が自分の人生を攫(さら)ってしまった」ともあり、かなりの被害者意識
がはいっている。それゆえ本来、題名を「『わが国』のかたち」とすべきところを、
ちょっと突きはなして「この国」としたものではないかと思われる。負の歴史を語る
主たる部分は、「統帥権」をはじめとする軍部や組織に対する辛辣な批判である。
しかしそれらのことについては、時代的な経過年数からして、未だ歴史としての審判
が下されていないと思われるので、ここではその部分を割愛して考察の対象とした。

九 「型」、その束縛と自由
 現代人は〝かたち〟や「型」と言えば、堅苦しいものととらえがちである。
とくに戦後の教育で育った世代は古くさいと思ってしまう。ところが、わが国でも
封建時代の昔から、あらゆる「道」には、自由とか個性というものが発揮されて
いたことを知るべきである。
 しかしそれは初めから解き放たれたような自由や個性ではなく、まず厳格な
制約のもとに身を置くことからスタートするのである。まず諸芸能などを習うとき
弟子は、師匠の教える「型」の中に自己をたたき込んで、そしてその窮屈な型の
中に入って実践することからはじまる。
 中林信二は、その著書『武道のすすめ』の中で、日本的な技芸の特色として
次のように述べている。 

<型は定められた一定の形式であり、伝統的な意味を持つことによって強い制約
が加えられている。そしてその制約は厳格に守られなければならない。
したがって多くの武道伝書の修行論に、型の重要性が繰り返し述べられているが、
素直に、忠実に、真剣に、工夫しながら、師の型をそのまま真似て自己のものとして
実現することが強調される。
 一方において諸芸の修行論は、型を離れることを強調する。型がいかに重要なもの
で尊ぶべきものであっても、型のみにとらわれていてはその芸は死んでしまう。
大切なことは、その型を離れ、自己の個性的な技として自由に生き生きと表現され
なければならない。
 芸道の修行過程を表す言葉として、古来より守・破・離<註5>といわれるが、
これは型より入り、型を自己のものとして活用し、最終的には型を離れ自由無礙な
働きをすることを教えたものであろう。 
…中略… 
 運動の定型化は、運動の個人性や発展性の原理をすべて無視し、問題解決
の方法を形式化するものであって、技術本来の発展から反対の方向にあると
いう批判がよく聞かれる。武道をはじめ日本の伝統的な芸道の持つ、このような
束縛・受動的・没個性的な型の反復が、自由・能動的・個性的な技の体得へを跳躍する
 …中略… 
 窮屈さの中で、ひとつのこと(事)を何度も繰り返してやる、その結果として内面的
に精神化の方向へ鍛練してゆく。そして、その型の根本である原理というか、
筋道のようなものを自然に会得することになる。>

 反復・鍛練という稽古方法は不合理で、没個性的であるように見える。しかし実は、
それにより学習する者の知識や技能を本当に自己のものとする習得能力が高まって
いることを見直す必要がありそうだ。

- 〝型稽古〟を見直そう -

つづく
<註5>修行段階における技術の深まりに応じた、それぞれの段階のあり方を示した
ことばとして用いられている。「守」は、その流派の趣意を守り、それを確実に身に
つけること。「破」は、身につけた流儀に拘泥せず、他流とも交流し、自己の技術を
拡張・真価させる段階。「離」は、自己の技術をさらに深め、独自の新しいものを
確立していく段階のことである。
平成28年10月25日
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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