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「私の好きな言葉」について

その七十六
「私の好きな言葉」について

 新しい年が明け、はや二十日ほどが経ちましたが
 改めまして、明けましておめでとうございます。どうか本年も剣を通じてご交誼のほど、よろしくお願い申し上げます。
 今年一年が皆様方にとって、さらによき年となりますようお祈り申し上げます。

 前回は、『武道講話』の抜き書きをお示しし、武道修錬の目的を「身心錬磨の道」とする、西久保弘道の講演内容を紹介しました。
 この西久保の信条に、我が意を得たり、とするものであります。そういった観点から剣道の修錬を考えると、単なる「避け」は、その目的を違えるものと言わざるを得ません。

 正中線をしっかり自己の体軸として自覚し、かつ、左拳を聖なる手と心得、左拳を体軸の線上から外さないという覚悟をもっての日ごろの稽古に当たられるなら、立派に身心錬磨の道となり得ると信じるものです。
 剣道とは何か、ということを心法と技法の両面から考えても、「正中線」と「左拳」は一大キーポイントであるといえます。

 この剣談を綴りはじめたのが平成23年3月ですから、今年で4年目となります。回数も76回を数えることとなりました、が、筆者といたしましては書き記す内容が単なる思い付きではないか、また思い込みで書き散らしているのではないかと、毎回、試行と錯誤の繰り返しであります。

 さて、皆様方ご存じの剣道誌『剣道時代』、昨年12月号で巻頭の「私の好きな言葉」欄に執筆する機会を得ました。
 すでにお読みいただいた方もおられるかと思いますが、さすが全国紙だけあって井蛙の剣談と違い、多方面からご感想をいただきました。

 このたび「私の好きな言葉」として掲げさせていただいたのは、『五輪書』冒頭にある次の一文です。

 兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、
                万事におゐて、我に師匠なし

 本文は、末尾に添付しましたのでご覧ください。
 ところが読者からいただいた感想の中には、「わからない」と疑問符の投げかけが幾つかありました。

 それもそのはず、「兵法の利にまかせて … 我に師匠なし」を掲げながらも、その一文については何の説明もほどこさず、そこから派生することわり二題について力説するものでした。もちろん文字数の制約があってのことですが…、なんだか煙に巻いたようなこととなってしまいました。

 なるほどです。うっかりすると、この一文は読み飛ばしてしまうおそれがある箇所かもしれません。現に筆者の手元にある『宮本武蔵 五輪書』(神子侃著 徳間書店)を見ましても、ここのところを、

 自分は、兵法の道理にしたがって、これをさまざまな武芸の道としているから、あらゆることについて師匠はない。

と訳しており、この部分については余り重きを置いていない感じがいたします。
 そんな一行を切り取って「私の好きな言葉」として掲げたものが、何の説明も加えないのは余りにも不行届きでした。その反省をこめ、この場をお借りして若干の補足をさせていただきます。

 はじめの「兵法」については、本文中に詳しく記していますのでここでは省略いたします。
 次の「利」ですが、ここではこの「利」を「理」と同義ととらえます。ほんらい「利」と「理」は同音異義語です。一般的に「利」は、都合のよいこと、役に立つ、という意味で「功利」「利に走る」といった使われ方をされます。それに対し「理」の方は、物事の筋道、ことわり、という意味で「理法」「理に適う」といった使われ方をします。しかし実利主義者でもあった武蔵は、あえて「利」の文字を使って「理」の含みをも持たせたものと解せます。

 「諸芸・諸能」は、色々な芸道・芸能のことです。現に武蔵自身が、武芸のみならず水墨画や歌、書、彫刻など諸芸をたしなみ、優れた才能を発揮したことは皆さんもご存じのとおりです。

 最後に「万事におゐて、我に師匠なし」ですが、これを「あらゆることについて師匠はない」では、あまりにも突慳貪(つっけんどん)で味気ないように思われます。
 実は「兵法の利にまかせて …」の前に、次のような前置きがあります。

 我、三十(みそじ)を越へて跡を思いみるに、兵法至極して勝つにはあらず。自ずから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。又は他流の兵法、不足なる所にや。その後なおも深き道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、自ずから兵法の道に会う事、我、五十歳のころなり。それよりこのかたは尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。

 宮本武蔵は、60歳のころから『五輪書』を書きはじめ62歳で書き上げますが、50歳ころには剣聖の域に達していたのでしょう。そういった前提をもって、あのひとくだりを井蛙が訳せば、

 (太刀の理法は、すべてに通底する上達の理法である)太刀の理法に則って諸芸・諸能にいそしんできたので、万事において自分には師匠というものは必要なかった。

となります。多少こなれたでしょうか。
 つまり現代風に言えば、「剣の理法は、すべての芸道に通じる開かれた上達の道筋である」と解するものです。

 このたび多くの方から感想をお寄せいただいたゆえ、舌足らずのところを補わせていただくことができました。
 どうかこの剣談の方にも、お気づきの点などお寄せいただければ、筆を執る標となりますので、よろしくお願いいたします。つづく
平成27年1月19日
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プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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