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考える力

               その116
               考える力
 前回、「攻めの要点について」で取り上げた、稀勢の里の「稽古を改革して横綱を育てたい」(『文藝春秋』令和元年12月号)には、「メンタルが弱くても強くなれる」の副題が付されていました。

「稽古を改革して横綱を育てたい -メンタルが弱くても強くなれる-」
が全体のタイトルであります。

 稀勢の里は、「中毒」といわれるほど基本が好きで、大相撲の伝統をガッチリ受け継いだ基本稽古「四股、鉄砲、摺り足」を、親方となった今でも毎日続けているとのことです。

 その稀勢の里が「稽古を改革して」と語るのは、これら伝統的な稽古法を否定してのことか、と思いきや、さにあらず「メンタルが弱くても強くなれる」ことについての一端を述べたものだったのです。

 稀勢の里は、本誌で自分のことを「めちゃくちゃビビりで、超小心者です」と、メンタルの弱さを吐露しています。

 その上で、こんな自分でも横綱になれたのは、
「小心者の強みは、小心であることを自覚しているがゆえに準備ができることです。だから、別に気持ちが弱くたって構わない。人それぞれ、自分に見合った準備をすることのほうが大事だと思います。」
と述べ、
「私が重視したいのは、心が強いことより脳みそ、考える力です。」
と言い放ち、
「考える力が弱い力士は強くなれません。三役まで出世する力士は、例外なく頭を使っています。もって生まれた才能、素質、勢いである程度までは行けるかもしれませんが、十両、幕内と上がっていくにつれて、考える力がない力士は淘汰されていきます。」
と断言しています。
 
 「考える力」
稀勢の里はこの力によって、横綱への階段を、考え、考え、一歩づつ上り詰めたのでありましょう。

 そして、考え続けて行きついた先が「力を抜く」という極意であり、また「平常心」を心がけるということでした、と述べています。

 力士にして「力を抜く」か、と、ちょっと驚きました。そして「平常心」、これらは取りも直さず剣道の極意でもあります。

 われわれとしては、その中味である、力を抜くための極意、あるいは、平常心を保つための極意、が知りたいところです。
 が、曰く言い難し、か、そこに至る方法について具体的なことは何も示されておりません。
 これも自分で、よく考える、ということでしょう。

 剣道もまったく同じであります。
 よく稽古後、指導者の教えを「干天の慈雨」のごとく仰ぎならっている姿を拝見します。
 教えを仰ぐことは大いに結構です。しかし、言っておきますが、指導者のアドバイスが慈雨のごとく、直接、上達の芽を潤すことはありません。

 やはり自身で考えるしかないのです。
 単独動作おける身の配り、正中の感覚、重心、技の造り上げについて、また、相手と対峙しての心組みや攻め、機の捉え方などなど、考えることは山ほどあります。

 それもそのはず。
 日ごろ何気なくつかっている「稽古」という言葉ですが、稽古の「稽」は「考える」を意味します。「古」は「いにしえ」です。
 過ぎ去った時代、また先人の教えを辿り、今一度、本来の「いにしえを考える」の稽古に思いを致すことが肝心です。

 稀勢の里、改め荒磯寛氏は最後に、
「引退して思うことは、まだ一割程度しか相撲のことをわかっていないのではないか──ということです。それほど相撲は奥が深い。これからは親方として死ぬまで研究を続け、横綱を育てたいと考えています。」
と、生涯修業について言及しております。

 相撲にまけず剣道は奥が深いです。
 新宿剣連の皆さん、この稀勢の里にならい「考える力」でもって、生涯剣道をめざし更なる精進を重ねようではありませんか。
つづく
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攻めの要点について

                    その115
                攻めの要点について
 剣道において間合は非常に大切な要素であります。
 剣を交えた対者との間合が接近すれば自ずと緊迫度が高まります。緊迫度が高まれば、恐懼疑惑の四戒が生じ、力んだり、焦ったり、逸ったりする心の症状が現れやすくなります。

 両者が相対峙し、切迫した間合での攻め合いのなか、A(相手を見る存在)でいられるか、それともB(相手に見られている存在)になるか、によって優劣が決まります。

 まさに「優勝劣敗」、Aが機先を制し、Bは引けを取ることとなります。
 緊迫度が高まったなかBは、先んじて打って出るか、間合を切るか、さもなくば我慢して耐えるか、いずれにせよ不利な情勢やむなしです。

 当然、強者と弱者が対すれば、強者がAで弱者がBになること必定です。しかし、両者の実力が拮抗する場合も、せめぎ合いのなかで、どちらがAの側に位置し、どちらがBの側に落とし込まれるかで勝敗が分かれます。

 ここに剣道が「心の戦い」と言われ、また「打って勝つな、勝って打て」との指導が、今もって厳然と行われている所以であります。

 Bとしては、間合を切っても所詮一時しのぎに過ぎず、いずれ捉まるでしようし、また我慢して踏み止まれば心身がこわばり、身動きが取れなくなります。
 否応なくBは、先に打って出ざるを得なくなります。そこに打突の好機「技の起こり」が生じます。

 起こりをとらえる技を「出ばな技」と言いますが、これは相手に先手を出させ、その先を越すものです。
 よく「先手必勝」という言葉が使われますが、剣道の場合、先に技を出すことが必ずしも先とは言えないようです。

 Aのように、心を鎮め観察眼をもって相手に技を出させるように圧する働き掛けこそが先の本質だと思われます。
 攻め負けたBが、遅れまい、と急ぐゆえに心身の不一致による一瞬の遅れ、「起こり」が生じ、Aがその「出ばな」をとらえる、というのが勝ちの本道です。

 では、このA対Bにおいて、いかにすればAの立場をとることができるか、またBに陥らずにいられるか。

 これはケースバイケースなので、攻め合いの場面を逐一言語化することは難しいですが、一触即発、間一髪の機にいかなる心境や態勢にあるかが肝心です。

 このことについて相撲の話ですが、示唆に富んだ記事がありましたので、ここに紹介させていただきます。

 『文藝春秋』の最新号(令和元年12月号)に、大相撲の元横綱、稀勢の里(荒磯寛)が、スポーツジャーナリストの取材に答えるかたちで述べています。タイトルは「稽古を改革して横綱を育てたい」です。

 稀勢の里は、今年の初場所で引退表明しましたが、引退後も四股、鉄砲、摺り足は今も毎日やっているとのこと。本人いわく「もともと基本が好きで、中毒っぽくなっている」そうである。

 中学校を卒業してから元横綱隆の里の鳴戸親方の下に入門し、努力一筋で横綱まで上り詰めた稀勢の里が語る一言一言に相撲哲学を垣間見ることができます。

 その中で一番目にとまったのが「先に立ったら負け」でした。立ち合いについて述べているのですが、本文をそのまま引用いたします。

 「常識的には、相手よりも最初に勢いよく立った方が優位とされています。違います。相撲では、先に立った人間の負けです。強い力士は、それが分かっているから相手を先に立たせる。白鵬関はどっしりしたイメージそのままに、相手を先に立たせます。仕掛けが速いと思われていた日馬富士関、体が小さく機敏な鶴竜関についても、立ち合いでは後から立っています。」

 まさに剣道の立ち合いも同じです。
 前述のAの圧力に負けたBが、遅れまいと急ぐがゆえ心身にアンバランスを来たし一瞬の起こりを生じさせる。

 ゆったりと受けて立つというのが「横綱相撲」と思いがちですが、実は、実力に裏打ちされた自信と気迫に満ちた偉容が、相手に負の心理作用を引き起こさせるのでしょう。
 対者は「先に立った」のではなく「先に立たされている」のです。

 さきほどA対Bで「相手に技を出させるように圧する働き掛けこそが先の本質」と申しましたが、攻めについて、相撲にも剣道と通底する理合があるものだと感じたしだいです。
つづく

ふたたび、鍛える

                  その114
                ふたたび、鍛える
 わたしは3年前に古希を迎えました。
 そのとき心に決めたことは、「これからは身体を労って過ごそう」ということです。
 例えば、駅でエスカレータと階段の両方あれば、迷わずエスカレータに乗るという類いのものですが。

 若いころは3階ぐらいまでならばエスカレーターを極力使わずにきましたが、60歳を過ぎた頃から、あるときはエスカレーター、またあるときは階段と、その時々の気分によって選り分けるようになりました。

 そして更に歳を重ねるにしたがって両者を前に、「さて?」と迷うようことしばし。
 迷いの理由は、エスカレーターを使うとなんだか後ろめたく、階段を登ればしんどい、と、たあいもない選択に悩むことが多くなってきたのです。
 ご多分に洩れず「老化現象」にほかなりません。

 『論語』に「四十にして惑わず」という教えがありますが、こちらは「七十にして惑わず」と申しましょうか、その惑いにケジメをつけたのが古希の節目でありました。
 70歳の誕生日を境に即断即決、迷わずエスカレータに足を向けるようにしました。
 またそれだけではなく一事が万事、何ごとも迷わず楽な手段や方法を取ると心に決めました。
 電車に乗れば、遠慮なく優先座席に座る、というぐあいに。

 「歳を取るということはこのようなことか」と自嘲しつつも、ささやかながら「生きたいように生きるとはこんなことかも」と、頑張らずに世を渡ることのできる境遇に、チョッピリ満ち足りた気持ちで日々の暮らしを送っていました。

 といって、こと剣道に関しては、まだまだ年齢にあらがう気持ちでいるのですから虫のいい話でありますが。
 我田引水よろしく「七十にして心の欲する所に従って矩を踰(こ)えず」にピッタリと、自己満足の世界を描いておりました。

 そんな「老境三昧」様の生活に浸っていたのも束の間、昨年の冬に癌が見つかり、病床に就くことを余儀なくされました。

 4回にわたる抗癌剤治療を施した後、夏に全摘手術を受けました。10時間に及ぶ大手術でしたが、翌日には早速リハビリに歩行が課せられます。
 全身管に繋がれたまま点滴スタンドに寄りかかって歩くのですが、ふだんなら目と鼻の先、たった10メートルほどの距離を歩くのも、途方もなく遠く感じられる有様です。

 「こりゃいかん、剣道どころではない!」
 果たして元の生活を取りもどすことができるのか、不安に苛まれる日々が続きます。
 苦界に身を置くことを嘆きながら、おぼつかない足取りでリハビリ歩行を続け再起を期する心持ちは、老境三昧とは余りにもかけ離れたものです。

 歩行に少し慣れたところで、ベッドの手すりをつかんで蹲踞のまねをしてみますが、脚の屈伸がままなりません。手すりをつかんだ手に頼らずには腰を下ろせないほど脚が弱っています。

 次は素手にて中段に構えてみます。上虚下実を意識して下腹部に気を籠めようとしますが、臍下丹田の感覚がどこか心許ない。
 それもそのはずです。丹田は膀胱と同じ箇所にあり、その膀胱を摘出しているのですから、トホホ…

 丹田は、決して器官として物質的に存在するものではありません。しかし、膀胱の摘出手術は腹部内腔への損傷が伴い、たとえ傷が癒えたとしても臓器の欠損感とともに丹田の感覚に異変が生じるのは致し方ありません。

 このまま下っ腹に力が入らない状態で剣道を再開することになるのか、と暗澹たる思いに駆られます。
 「ともかく足腰を鍛えねば!」

 そして退院を迎えたその日に、改めて決心をしました。
 あの、古希のとき「身体を労って過ごそう」と決めたことを180度翻し、ふたたび「鍛える」を生活目標に掲げることとしました。

 まさに「老骨に鞭を打つ」ことになりますが、どこまで体力が回復するのか、それとも潰えるのか、新しい挑戦が始まりました。

 それからというもの歩く距離を徐々に増やし、半年後には日に1万歩を優に越えるところまで伸ばしました。
 また、エスカレーターやエレベーターを極力使わず階段をもっぱらとする。電車に乗ったときも優先座席にすり寄ることなく、むしろ背を向ける、という生活を自らに課すこととしました。
 当然、新宿スポーツセンターの道場への上り降りは階段を使うことも、です。
 
 あと2年で後期高齢者の列に連なりますが、これからどのような老後が待っているか、まったく未知数であります。
 いったいこの生活を何歳まで続ければよいのか。まさか、鍛えながら「要介護」となることはなかろう等こもごも。
 ともかくここ当分、楽隠居とは程遠い生活を強いられることは確かです。
つづく

新しい時代を迎えて

                  その113
                新しい時代を迎えて

 新たな時代「令和」がスタートして4ヶ月になります。
 国内外の情勢は予断を許さぬ状況下にはありますが、それはさておき市井に暮らす人びとは、何ごとにつけても「令和初の」という語を冠し、兎にも角にも晴れやかな気分で日々を送っている昨今です。

 私どもが子供のころ、お年寄りが「明治は遠くなりにけり」とよく口にしていましたが、いよいよ私も年寄りの部類に入りました。そして令和の時代を迎えた今、つい「昭和も遠くなりにけり」と口を衝いて出てきそうなこの頃でもあります。

 さて、本年5月1日に今上天皇が即位されましたが、当日テレビに釘付けになった方も多くおられたことでしょう。
 まだ記憶に新しいと思いますが、新天皇が一番最初に臨まれた儀式は何だったか覚えておられるでしょうか。
 そう、「剣璽(けんじ)等継承の儀」です。

 この「剣璽等継承の儀」は、桓武天皇の時代に定められた由緒ある儀式ですが、われわれ一般にはなんとも馴染みの薄いものであります。
 それもそのはず。新天皇が即位された時にしか行われない儀式ですから、直近といっても平成の御代となる30年前になります。
 また、その前となると大正から昭和に代わる107年前のことになりますから、当時の儀式を記憶に留めておられる方というのは、皆無に等しいと思われます。

 それもまた、天皇陛下崩御という悲しみの中で行われる儀式なので、広く国民に知られていないのは当然のことでしょう。
 しかし、このたびは生前退位という形の皇位継承でありました。剣璽等継承の儀も十分な事前準備のもとで執り行われたので、一般国民も喜びとともにつぶさに拝見することができました。

 少し説明させていただきますと、「剣璽等継承の儀」とは、皇位の証である「三種の神器」を受け継ぐ儀式です。
 三種の神器とは、皇位の標識として歴代の天皇が受け継いできたという三つの宝物。すなわち八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)です。
 このうち天叢雲剣と八尺瓊曲玉を併せて「剣璽」と称されます。

 この三種の神器の一つに「剣」があることに意を強くするものですが、つねづね私は、三種の神器に由来する剣道でありながら、そのことについて余り言及されないことが不思議でありました。
 剣道の側がそのことを言い及ぶことは、差し出がましい、ということでしょうか。なんとなく釈然としない気持ちで年月を過ごしておりました。

 ところが、このたび儀式の放映を見て私は、ハッと気がつくことがありました。
 そもそも「三種の神器」そのものについて、われわれ剣道人のみならず国民おしなべて無関心を装っていた、ということです。それもある意図のもとに。

 三種の神器というとき、多くの国民は神聖な存在として押し戴くのみで、まともに向き合ってこなかったような気がいたします。尊いものとして棚に上げる、というか巷の話題にも上りません。本来的には無関心でおれないはずのものですが…
 それは何故でしょう。

 昭和20年(1945年)、太平洋戦争における日本の敗戦は、日本古来の武道に壊滅的な打撃を与えました。特に剣道は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から国家主義、軍国主義に加担していたという理由で、警察や学校で全面禁止の制裁を受けるなど、一般社会においても剣道の活動は著しく制限を受けます。

 そんな中、「剣」を包する「三種の神器」は七面倒臭い存在となってしまいました。
 約7年間の空白期を置き、昭和27年(1952年)に「全日本剣道連盟」が設立されますが、あの時のGHQによる弾圧がトラウマとして日本人の心に棲み着いたことは紛れもない事実です。
 
 また終戦直後、戦勝国から俄に天皇制廃止論が起こったことを知った国民は、皇室と剣の関連性が露わになることを恐れ、「三種の神器」を口の端に上らせることを極力慎んだものと推察されます。

 ですから、本物の三種の神器とは真正面に向き合うことをよしとせず、その一方で昭和30年代には、庶民が備えておきたい高価で有用なものの代表を3つ上げて、テレビ・洗濯機・電気冷蔵庫を「三種の神器」と呼び、時の流行語としました。
 また、その10年後には、カラーテレビ・クーラー・自動車を「新三種の神器」と讃え、現在に至ってはデジタル家電3種が挙げられたりしています。

 このように、奥の院にあるものを茶化したかたちで現出させた、というのが裏の本質かも知れません。
 
 ここで皆さんに知っていただきたいことは、新天皇はご幼少の頃、ナルちゃん時代に剣道を習っておられたということです。

 「時事ドットコムニュース」(戦後生まれの初の天皇に 雅子さま支え、務め果たす)に下の写真とともに記事が載っています。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201905reiwastart0001

天皇寒げいこ

[剣道部の寒げいこに励まれる学習院初等科5年の新天皇陛下=1971年1月、東京都豊島区の学習院大学体育館【時事通信社】]

 さあ皆さん、新しい令和の時代が幕開けした今、改めて剣と皇室との関わりに思いを致してみようではありませんか。
つづく

復帰しました

                   復帰しました
 皆様方、大変ご無沙汰しております。
 私的事情により剣談の執筆、中断を余儀なくされ約1年半が経過いたしました。
 その事情とは、昨年の冬、膀胱に癌が発見されたことによるものです。
 思わぬ罹病に打ちひしがれながらも、ひととおりの抗癌剤治療の後、全摘手術を受け、数ヶ月の療養生活を経て、なんとか復帰することができました。

 思い起こせば昨年の年明け早々、1月9日に「明治維新150周年を迎えて」を掲載いたしました。その後2月5日に「『逝きし世の面影』を読む」を書き終えた後、検診で癌が発見されました。

 このシリーズは、書き終えるまで10回分ぐらいの紙数が必要だとの目算です。
 癌のうちでも膀胱癌は比較的生存率が高いとされていますが、癌には違いなく、どうなるかわからない我が身です。

 取りあえず内視鏡手術を行い、その様子を見て次の治療を考えるというものでした。内視鏡手術は3月初旬の予定。
 急がねば!

 その後、2月14日「ある文明の幻影」「『逝きし世の面影』参考資料」、2月19日「陽気な人びと」、3月1日「簡素とゆたかさ」、3月12日「親和と礼節」と筆を速め書き進めます。

 その間、3月7日に受けた内視鏡手術では、なんと、簡単に摘出することができない「悪性の癌」との告知を受けました。
 向後しばらく抗癌剤治療を施し、約3ヶ月後に全摘手術を行うとのこと。

 ひとまず退院後、3月21日に「信仰と祭り」を書き上げます。
 お気づきの方もおられるかも知れませんが、その冒頭で、このシリーズの内容を大幅割愛することに触れています。
 突き付けられた病状を考慮に入れ、なんとか早く締めくくりを付けたい、との思いからです。
 もっとも、直に本書『逝きし世の面影』を読んでいただければよい、との考えがあったわけですが。

 そして4月2日、シリーズ総集編「士魂」を書き上げ、これまで約7年間に亘って書き連ねてきた剣談の筆を擱くこととしました。
 いつ再開するか見通しがつかない状態なので、今まで毎号、末尾につけていた〝つづく〟を付すことなく。

 また、その前日の4月1日には、東京剣道祭に出場しましたが、これをもって竹刀も置くこととなります。

 何の自覚症状もないまま癌を告知され、抗癌剤治療や摘出手術を施されることの不可解さに苛まれる日々。藁をもつかむ思いでセカンド・オピニオンを受け、更にサード・オピニオンと試みましたが、残念ながらどれも最初の診断を覆すものではありません。

 もう、覚悟するしかない。
 得体の知れないものを相手に、闘病の決心をいたしました。
 お陰様で、4度にわたる抗癌剤治療も副作用は少なく、またその後に受けた摘出手術も10時間に及ぶものでしたが、なんとか無事乗り越えることができました。

 退院後は数ヶ月、自宅療養に専念し、丸1年間の休止期間を経て、本年4月から稽古を再開しました。
 稽古を始めてから約5ヶ月が経過しましたが、皆様方に手心を加えていただいているお陰で、つつがなく今日の日を迎えることができました。
 これからも何かとご迷惑をおかけするかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
 また、「その112」以来とどこおっている剣談ですが、これも近々再開する予定ですので、併せてよろしくお願いいたします。
                         令和元年8月29日
                           頓真    
                           (真砂 威)
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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