つなげる工夫
井蛙剣談 その四
震災から2ヶ月が過ぎました。被災地の早期復興と、わが国全体が早く元気を取り戻すことを願うものです。
先日、福島県警に勤務する知人のM氏に安否を伺うメールを送ったところ、次の内容の返事が返って来ました。「しばらく剣道はできる状況ではありませんが、剣道で鍛えた心と体で微力ながら頑張りたいと張りきっています」と。自らが被災者であるにもかかわらず気丈に活躍しておられる姿が目に浮かびます。
それに対し、「剣道の稽古が強い、試合に勝つ、審査に受かるといったそのものより、剣道で鍛えた、あるいは培ったものこそが大事なのです」という内容の返信をしました。
まさにここが剣道の本領発揮の場面であり、そしてまた、このことが警察で剣道・柔道の武道を採用している最大の理由であると思われます。
M氏は八段に挑戦中の身であります、が、今のところ稽古どころではなく、今春の審査は受審そのものが叶いませんでした。
さて皆さん方も、さまざまな事情によって稽古が十分できない環境におかれることがあると思われます。それぞれの立場はいかにあれ、日ごろ剣道で鍛えた体力、培った精神力が普段の生活の中で生かされてこそが剣道の真価だと思うものです。
しかしそれは置いておいて、多忙にかこつけて稽古ができないまま、剣道を記憶のかなたに押しやっておくと、再び稽古を開始したとき、己の実力ダウンに気落ちすることになりかねません。
おりしも震災の少し前の3月5日(土)、稽古後に皆さん方の前で「稽古のつなげ方」についてお話しましたが、この日稽古に来られなかった方も多くおられますので、機宜を得た話題でもありますので、今一度ここに書き記させていただきます。
申し遅れましたが、拙談を進めるに当たって筆者の簡単な自己紹介をさせていただきます。わたしは平成19年春まで警察に奉職していました。もともと兵庫県警で勤務しておりましたが、平成5年春、警察庁へ出向となり、警察大学校に勤務することになりました。警大ではデスクワークが多く、稽古時間の捻出に苦慮するありさまでしたが、八段審査には平成6年秋から挑戦し、5回目の平成8年秋の審査で合格させていただくことができました。-話を戻します-
稽古量は多い方がよいのは当然ですが、生涯を通じて間断なく稽古が続けられる環境にある方はごく僅かでしょう。わたしの場合も八段を目指すころは仕事が大変忙しく、稽古時間の確保は週1回がやっとでした。こういった勤務環境のもと、いかに修業を絶やさず技量を向上させるか、が最大の課題でありました。
わたしが心掛けたことは二つです。その一つは「体力の維持」、二つ目は「1日1回必ず竹刀を持つ」、これだけです。
剣道は、ほかの競技スポーツのように筋パワーをあまり必要としません。しかしながら、日常の生活に必要とされる体力を持ち合わせていなければ、稽古を続けることはできませんし上達もおぼつきません。
警大勤務となってからわたしは、生活に「徒歩」を修業として採り入れることを決意しました。具体的には、徒歩通勤です。当時わたしは北新宿の官舎に住んでおり、警大はJR中野駅近くにありましたから、官舎から警大まで約4Kmを毎日徒歩で往復することを自らに課しました(雨天中止ですが…)。平成13年には警大が中野から府中に移転しますが、府中まではちょっと遠いので、自宅から京王線の新宿駅まで歩いて、新宿から電車に乗り飛田給まで乗るところを2駅手前の調布で降り、調布駅から警大まで歩きました。
一流のスポーツ選手からみればたいした運動量ではないかもしれませんが、中年過ぎの剣士にとっては修業に足る十分なものでありました。
二つ目の、「1日1回は必ず竹刀を持つ」という課題ですが、平日休日を問わず、平均して1日1時間は竹刀を持ちました。仕事が忙しいときは、たとえ10分でも竹刀を触るようにしました。
さいわい警大は道場が完備しているので、仕事の前後または昼休みを有効に使って、主に竹刀で素振りをしました。素振りの方法も、ふつう稽古前に行われる準備運動的なものから、しだいに進化させ、〝有効打突の表現〟を念頭においた型稽古的な素振りを心掛けました。はじめは無味乾燥と思われた素振りも、工夫を積み重ねながら行うと、これのみで上達が体感できるようになります。
それもそのはずです。もともと竹刀や防具が考案される江戸中期以前の剣術修業は、「形稽古」か、さもなくば「一人で刀を振る」ことであったことを思えば、わたしの行ったこの素振りも、あながち方向は違っていないと考えられます。
ともかく技が決まった〝かたち〟をいかにつくり上げるかを日々の修業とし、次の稽古に備える。週1回の稽古は、まさに「試合のごとく」、1週間修業した成果を試す場とする。そして稽古の反省を踏まえて、次の1週間修業する。といったことのくり返しでした。決して万全な修業生活とは言えませんが、わたしなりに充実した日々であったと言えましょう。
どうか皆さん、この程度の修業で上達が実感でき、充実した生活を送ってこれたわけですから、日ごろ稽古時間の確保が困難な状況にある人は、ぜひ、わたしの実践した修業法を採り入れてみませんか。とにかく、どんな忙しいときも剣道を念頭から離さないことが大切です。それぞれに「つなげる工夫」を傾けてください。
震災から2ヶ月が過ぎました。被災地の早期復興と、わが国全体が早く元気を取り戻すことを願うものです。
先日、福島県警に勤務する知人のM氏に安否を伺うメールを送ったところ、次の内容の返事が返って来ました。「しばらく剣道はできる状況ではありませんが、剣道で鍛えた心と体で微力ながら頑張りたいと張りきっています」と。自らが被災者であるにもかかわらず気丈に活躍しておられる姿が目に浮かびます。
それに対し、「剣道の稽古が強い、試合に勝つ、審査に受かるといったそのものより、剣道で鍛えた、あるいは培ったものこそが大事なのです」という内容の返信をしました。
まさにここが剣道の本領発揮の場面であり、そしてまた、このことが警察で剣道・柔道の武道を採用している最大の理由であると思われます。
M氏は八段に挑戦中の身であります、が、今のところ稽古どころではなく、今春の審査は受審そのものが叶いませんでした。
さて皆さん方も、さまざまな事情によって稽古が十分できない環境におかれることがあると思われます。それぞれの立場はいかにあれ、日ごろ剣道で鍛えた体力、培った精神力が普段の生活の中で生かされてこそが剣道の真価だと思うものです。
しかしそれは置いておいて、多忙にかこつけて稽古ができないまま、剣道を記憶のかなたに押しやっておくと、再び稽古を開始したとき、己の実力ダウンに気落ちすることになりかねません。
おりしも震災の少し前の3月5日(土)、稽古後に皆さん方の前で「稽古のつなげ方」についてお話しましたが、この日稽古に来られなかった方も多くおられますので、機宜を得た話題でもありますので、今一度ここに書き記させていただきます。
申し遅れましたが、拙談を進めるに当たって筆者の簡単な自己紹介をさせていただきます。わたしは平成19年春まで警察に奉職していました。もともと兵庫県警で勤務しておりましたが、平成5年春、警察庁へ出向となり、警察大学校に勤務することになりました。警大ではデスクワークが多く、稽古時間の捻出に苦慮するありさまでしたが、八段審査には平成6年秋から挑戦し、5回目の平成8年秋の審査で合格させていただくことができました。-話を戻します-
稽古量は多い方がよいのは当然ですが、生涯を通じて間断なく稽古が続けられる環境にある方はごく僅かでしょう。わたしの場合も八段を目指すころは仕事が大変忙しく、稽古時間の確保は週1回がやっとでした。こういった勤務環境のもと、いかに修業を絶やさず技量を向上させるか、が最大の課題でありました。
わたしが心掛けたことは二つです。その一つは「体力の維持」、二つ目は「1日1回必ず竹刀を持つ」、これだけです。
剣道は、ほかの競技スポーツのように筋パワーをあまり必要としません。しかしながら、日常の生活に必要とされる体力を持ち合わせていなければ、稽古を続けることはできませんし上達もおぼつきません。
警大勤務となってからわたしは、生活に「徒歩」を修業として採り入れることを決意しました。具体的には、徒歩通勤です。当時わたしは北新宿の官舎に住んでおり、警大はJR中野駅近くにありましたから、官舎から警大まで約4Kmを毎日徒歩で往復することを自らに課しました(雨天中止ですが…)。平成13年には警大が中野から府中に移転しますが、府中まではちょっと遠いので、自宅から京王線の新宿駅まで歩いて、新宿から電車に乗り飛田給まで乗るところを2駅手前の調布で降り、調布駅から警大まで歩きました。
一流のスポーツ選手からみればたいした運動量ではないかもしれませんが、中年過ぎの剣士にとっては修業に足る十分なものでありました。
二つ目の、「1日1回は必ず竹刀を持つ」という課題ですが、平日休日を問わず、平均して1日1時間は竹刀を持ちました。仕事が忙しいときは、たとえ10分でも竹刀を触るようにしました。
さいわい警大は道場が完備しているので、仕事の前後または昼休みを有効に使って、主に竹刀で素振りをしました。素振りの方法も、ふつう稽古前に行われる準備運動的なものから、しだいに進化させ、〝有効打突の表現〟を念頭においた型稽古的な素振りを心掛けました。はじめは無味乾燥と思われた素振りも、工夫を積み重ねながら行うと、これのみで上達が体感できるようになります。
それもそのはずです。もともと竹刀や防具が考案される江戸中期以前の剣術修業は、「形稽古」か、さもなくば「一人で刀を振る」ことであったことを思えば、わたしの行ったこの素振りも、あながち方向は違っていないと考えられます。
ともかく技が決まった〝かたち〟をいかにつくり上げるかを日々の修業とし、次の稽古に備える。週1回の稽古は、まさに「試合のごとく」、1週間修業した成果を試す場とする。そして稽古の反省を踏まえて、次の1週間修業する。といったことのくり返しでした。決して万全な修業生活とは言えませんが、わたしなりに充実した日々であったと言えましょう。
どうか皆さん、この程度の修業で上達が実感でき、充実した生活を送ってこれたわけですから、日ごろ稽古時間の確保が困難な状況にある人は、ぜひ、わたしの実践した修業法を採り入れてみませんか。とにかく、どんな忙しいときも剣道を念頭から離さないことが大切です。それぞれに「つなげる工夫」を傾けてください。
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