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丹田の有用性について

                    その123
                 丹田の有用性ついて
 前回、その122「丹田の自覚」(2月20日付)が掲載されたころは、すでに新型コロナウイルス感染拡大がかなり深刻な情況となっていました。
 しばらくして新宿スポーツセンターが休館となり、同時に新宿剣連の活動も休止を余儀なくされました。

 これ幸いとばかり、剣談も休止し「号外」でつないでおりました。
 約4か月半に及ぶ休止の後、7月15日から剣連の稽古が再開されました。
 私は、再開後半月経った8月1日に稽古を見学に参りましたが、そのとき、すっかり頭の中から抜け落ちていた「井蛙剣談」の文字がくっきりと浮かび上がってきたのです。
 ということで、約半年の間をおいて続きに入ります。
*
 力みやギクシャク感が伴うことを肯んじて行った空間打突の修錬でしたが、この、力み、ギクシャク感を克服するために、「腹」への傾斜度を強めて修錬したことが「丹田」の自覚を促すこととなったと思われます。

 また、丹田の自覚が、気力の充実や精神の安定をもたらし、より合理的な身体動作を造り上げるのに大いに役立ったといえます。
 そして、辞書に載っている丹田についての記述や『剣道指導要領』の説明も次第に腑に落ちるようになりました。

 よくよく考えてみますと、前に述べましたように、剣道が上肢下肢アンバランスな動作を強いられるものであるならば、他の運動種目より丹田の有用性が説かれるのは当然のことであったのでしょう。

 ふつう人間の歩行は、左足が出るとき右手が出て、右足が出るとき左手が出ます。この両手両足が交差することによって身体のバランスを保つことができます。
 また、ほどんどの運動種目は、この歩行の法則に則って行われているといって過言でないでしょう。

 しかし剣道の動きは、この歩行の運動法則から全くかけ離れています。
 手は、諸手で竹刀を把持するので、両手を捕縛されたごとく、また、足は「送り足」「踏み込み足」という非日常的な足さばきが求められます。
 この歩行の法則からかけ離れ、不自由を強いられた身動きでもって攻防するというのですから。
 この動作が円滑に行われ、しかも一足一刀で技を呈することができなければ、まず剣道の恰好カタチにはなりません。

 剣道を習い始めた当初は、「踏み込み足」と竹刀の「振り切り」が一致することをもって打ち込み動作のカタチが出来たとします。そして多くの場合、このことをもって面の着用が許されます。

 しかし、このカタチを駆使して相手方と丁々発止の対戦ができるようになるまでには、まだまだ修業年月を要しますし、また、このカタチのでき方いかんが、剣道の強弱や良否へ大いに関わって参ります。
 「打ち込み」や「懸かり稽古」などの基本稽古は、この剣道のカタチをしっかり身につけることを主眼に行われます。

 この打突のカタチは、打ち出し、決め、そして残心を示すことによって完結しますが、機会をとらえ技を打ち出す前に、間詰め、見極めなどさまざまなシゴトが必要となります。
 そして、これらのプロセスを不自由を強いられた身ごなしのなかで行わなければなりません。

 そしてもう一つ。
 ふつう「打ち込み」は防具を付けた者同士が相対し、約束動作で打突部位を打ち合って行います。
 面打ちの場合、「メン」の発声と、竹刀で面を打つ「ポン」の音と、右足を踏む「トン」の3つの音が一致すれば、よしとされます。
 メン、ポン、トンの一致、これが「気剣体一致」の第一段階です。

 しかしながら、この「打ち込み」は、相手の打突部位という対象物があってはじめて得られる、心地よい打ちの感触であります。
 それと同じ面打ちを相手無し(空間)で行った場合どうなるか。打つ対象物のない「打ち込み」の身体の、なんと心許ないことか。出来ていたはずのカタチがまるで体を成さないのです。
 それは、部位を打つことによって、こそ得られる、心地よい打ちの感触であったのです。

 これでは本当の〝かたち〟が身についていない。ということにも気付いて、空間打突の修錬を自らに課すことになったのです。単なる恰好カタチにすぎなかったものを、自己の揺るぎなき〝かたち〟に造り上げるために。

 力みやギクシャク感と戦いながら、わが身体の内側に目を向け、また反対に身体の内側から聞こえる声に耳を傾け、幾度となく繰り返す空間への打突で〝かたち〟づくりに取り組むなか、しだいに丹田の有用性に気が付くのです。
つづく
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ごあいさつ

              ごあいさつ
 暑中見舞い申し上げます。
 長かった梅雨もやっと明けてくれました。
 いよいよ本格的な夏の到来です。

 関東甲信と東海地方が梅雨明けした8月1日(土)、ひさびさに新宿スポーツセンターに足を運び、一般の部「60歳以上」の稽古を拝見しました。
 昨今、コロナ禍の下、なにかと悪しく取り沙汰されている〝新宿〟ゆえ、その連想を引きずったまま道場に顔を出しました。
 が、なんと、整然と日本剣道形の稽古が行われているではありませんか。

 しかも本格的な剣道形講習会のごとく、栗原先生が自ら、逐一、手本を示し、説明をほどこし、凜々しくも懇切丁寧に指導されておりました。
 面をつけての稽古は、基本と回り稽古を合わせ10分余りと短いものでしたが、しっかり全剣連のガイドラインに則って行われておりました。

 2月半ばから約半年ぶりに道場に顔を出しましたが、皆さんのマスクをつけた剣道着姿を拝見し、通常の活動に戻るには今しばらく月日の経過を要すると痛感した次第です。
 私自身、まだ対人稽古は始めておらず、独り稽古をもっぱらとしております。
 年齢、体力と相談しつつ、できるだけ早い復帰を目指します。

 ところで申し遅れましたが、このたび全剣連の役員改選により、3月17日付をもって全日本剣道連盟副会長を仰せつかることとなりました。
 身に余る重職ではありますが、剣道の普及振興のため尽力する所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 奇しくも起こったコロナ禍の下、ことごとく行事が中止や延期を余儀なくされております。
 マスクやシールドの着用、また、いわゆる「三密」を避けるなど、さまざまな制約を受けての剣道の活動となりますが、この状況はしばらく続くと思われます。

 このように逼塞した状況下にある剣道界ですが、今この時にこそ、コロナ後を見すえ、文化としての新たな基軸を模索しつつ、じわじわ匍匐前進してして参りましょう。

 剣道はこれまでも、幾度もの苦難を乗り越え、ここまで歩んできました。伝統に支えられながらも、社会の変容を受け入れつつ進化し現在があります。
 また、この度のコロナ受難も、剣道の文化としての洗練度を高める契機となる、と密かな期待を抱いております。

 戦後、女子剣道が勃興し、昨今の隆盛をみた最大の理由は、安全性が確保されたことでした。
 当時はまだ3K(「危険」「汚い」「臭い」)という言葉自体はありませんでしたが、剣道はまさに3Kそのものでありました。

 それが時の変遷により次第に、足がらみ、スコップ突き、組み討ちなどの荒技が姿を消しました。いまでは見事、それらの技は放逐されました。
 まさに文化としての洗練度を高めたといって過言ではありません。

 コロナ後にもう一つ、洗練度を高めるキーワードは何かと申せば、それは「清潔」と考えます。
 マスクやシールドの着用に加え、防具類に対しても今まで以上の清潔さが求められるようになると思われます。
 「強く」「きれいで」「しなやかに」
 この合言葉でもって、皆さんとともに3Kから完全脱却いたしましょう。

 皆さん、これから猛暑の本番を迎えます。
 熱中症にならぬよう万全を期し、今夏を乗り切ってください。
 ご自愛専一のほどお祈り申し上げます。
井蛙剣士 頓真

号外 いかがお過ごしですか?

いかがお過ごしですか?

 昨日(4月7日)、安倍晋三首相から7都府県に「緊急事態宣言」が発出されました。期間は、5月6日まで1ヶ月とのことです。
 日本全体に押し込められた閉塞感が漂っております。特に首都圏にお住まいの新宿剣連の皆さん方におかれましては、外出を自粛され巣籠もり生活を強いられる情況かと拝察いたします。
 
 また、これに先立ち4月5日には全剣連から「緊急声明」が出されました。
 すっかり耳馴染みとなった、「密閉」「密集」「密接」の3密ですが、残念ながら、剣道の稽古はこの3つの条件がすべて含まれているとのことです。
 緊急声明では、実際、すでに一部の地域では剣道の稽古による感染クラスターが発生しているようです。したがって、感染の流行が収まってくるまでは、対人的な稽古は中止してください、と報じております。

 先般、新宿スポーツセンターの休館に際し、拙稿号外「休館やむなし! たたみ一畳の修業」を掲載いたしましたが、あれから1ヶ月余りが経ちました。
 当初、同センターの休館の期間は3月末までとしていましたが、現時点では5月10日まで延長となりました。
 
 「たたみ一畳の修業」において、剣道の技量を落とさないためにも、また、健康を維持する上においても日常生活に一工夫、加えていただく必要があると申しましたが、いかがお過ごしですか。

 1日1回、竹刀を持っていますか?
 また、竹刀を持って、どのような練習をしていますか?

 時間のない方は、1日何本という目標を定め素振りをするは大いに結構です。ぜひ毎日続けてください。

 時間に余裕のある方は、この稽古休止期間を〝これ幸い〟ととらえ、自己の剣道の根本を見直す絶好の機会としてください。
 「たたみ一畳の修業」を今一度お読みいただき、自分の身体の内側に意識を向ける練習を心がけてください。

 両手で竹刀を把持した身体がバランスよく挙措進退ができ、有効打突の身体表現が満足にこなすことができれば、立合稽古の場に戻ったとき、目を見張る上達、請け合いです。

 「ドレミファソラシドドレミファ……」を延々と繰り返す、小田切碧生君のピアノの基礎レッスンのように、ひとり稽古を黙々と続けてください。
 1ヶ月後、皆様方と元気で顔を合わせ、剣を交えることを楽しみにしております。
 いま少し、辛抱いたしましょう。

井蛙剣士 頓真

「力を抜く」を読んでの感想文

               「力を抜く」を読んでの感想文
 新宿スポーツセンターの休館が4月15日まで長引き、皆様方におかれては剣道難民の状態に陥っておられないかと懸念しております。
 前回お示しした、「たたみ一畳の修業」続けておられるでしょうか。

 こんなとき、少年部(中学生の部)に所属している小田切 碧生君と会う機会がありました。そのとき、小田切君から井蛙剣談の感想文を渡されたました。
 拙談に対するコメントなど、皆無の状態で書き進めて参りましたが、少年剣士から感想文を手渡されるなんて、不可思議でありました。

 実は会員の林 裕子さんから、本年1月10日付「力を抜く」を読むように薦められて、が発端のようです。
 小田切君は、この春中学2年生になるのですが、この感想文はとてもこの年齢の少年が書いたものとは思われない内容なので、ここに紹介いたします。


「力を抜く」を読んで
小田切 碧生
 僕は剣道が強くありません。「スポーツとして好きか?」と聞かれたら、正直、好きではないかもしれません。
それなのにどうして続けているんだろう、と自分でも思います。両親にも同じことをよく聞かれます。
 でも、なぜか〝続けていくべき〟だと思っています。
 それは、〝自分が生きていくうえで、必要なことが剣道には詰まっている〟気がするからです。
 必要なことというのは、誰かに襲われたとき、棒きれ一本で防御するためというような実用的なことではありません。というか、僕の剣道の腕前では、戦うよりも走って逃げた方が、絶対、有効だと思います。

 僕が今、剣道を続けているのは、剣道という戦う技術そのものよりも、その精神というか根底に流れている物の考え方が、人生において、とても大切なものだと思う、からかもしれません。

 それは僕が幼いころから続けているピアノとも似ています。
 剣道もピアノも「基本」をとても大切にします。剣道の素振りや切り返しは、何十年も剣道を続けている先生方も必ず行いますが、ピアノもハノンなどのように、指の動きをスムーズにするための「ドレミファソラシドドレミファ……」を延々と繰り返すような基礎レッスンが欠かせません。

 メロディもリズムも変化がないので新しい曲を練習するのに比べると、すごく退屈で、でもなかなかキレイに揃わないのでうんざりすることもたびたびありますが、これをさぼると、とたんに他の曲もきれいに弾けなくなります。

 真砂先生が書かれていた「力を抜く」というのも同じです。しっかり鍵盤を叩かないと、いい音は出ないのですが、ずっと指や腕、肩に力を入れたままだと音がギクシャクして来たり、美しい音ではなくて、うるさい音になってしまいます。

 僕は昨年、ピアノの先生に「脱力ができていない」と、何度も、何度も指摘されました。最初はよく分からなくて、そっと弾いてみたり、軽いタッチを心がけたりしましたが、先生は「それは違う」というのです。
 でも、何度も叱られて、先生の弾き方を見せてもらううちに、〝ピアノは指で弾くのではない〟ことに気が付きました。

 肘や肩、指に常時、力を入れて鍵盤を叩くのではなく、重心を左右にわずかに移動させたり、手首をやわらかく使うことで、体に力を入れなくても(入れない方が)スムーズな動きになり、なめらかで豊かなメロディを奏でることができ、鍵盤を弾く一瞬だけ、パッと指に力を込めて、瞬時に脱力することで鍵盤につながっているピアノの弦が美しい響きを作るのです。

 という理論は、先生に教えていただいたり、本を読んで理解しましたが、なかなかうまくいきません。ピアノも剣道と同じで、基礎練習で指の動き脱力のタイミングを何度も何度も練習することが必要なんだと思います。
 この基礎練習が必要なこと、日々こつこつ努力をすることの必要性は、ほかのどんな物事にも共通すると思います。
 毎日ちょっとずつでも辞めないで努力するから得られる自信とか進歩の大切さをピアノと剣道は教えてくれる気がします。

 真砂先生の書かれたエッセイを読んだ後、稀勢の里関が引退して、弟子に稽古をつけたというニュースをネットで見ました。
 引退して親方になっても基本の稽古を続けている元稀勢の里は、弟子たちに稽古をつけたとき圧勝し解説者の舞の海さんが「初場所に出ても優勝できる、元稀勢の里は今が一番強い」と言ったそうです。
 横綱を引退し、現役ではなくなった後も、基本の稽古を続ける稀勢の里はものすごくかっこいいです。
 新宿剣連には、僕の何倍も生きている年を重ねた方々たくさんいますが、その方たちは稀勢の里と同じく、基本の大切さを知っているのだなあと思いました。
 強くなるための剣道ではなく、生き方を学ぶ道としての剣道を、これからも学んでいきたいです。

 文中の「ハノン」? こちらが常識がないのか、ちょっと聞き慣れない言葉なので調べましたら、フランスの作曲家、シャルル゠ルイ・ハノンが1873年に作曲した練習曲集のことらしいです。

 いかがですか。剣道とピアノを対比させて基礎練習の大切さを理論的に述べています。習い事の上達の要諦を自分なりに解き開き、咀嚼し、平たくまとめた文章に感心いたしました。
 そして、引退後も基本の稽古を続ける稀勢の里を「ものすごくかっこいい」との受け止めは、実に求道的であります。

 今秋11月、74歳を迎える私は、運転免許の更新期でもあります。同時に免許返納を決めている身ではありますが、なんだか新たにピアノを習いたい気分になりました。
 一つの道にドップリ浸かってきた人間は、かえってその求道に〝慢心はないか〟常々反省しなければなりません。他の習いを始めるのもその一つかと。
 その時は、小田切君、指導をよろしくお願いします。

 皆さん、このコロナ「禍」を、自己の剣道の基礎を内側から見直す、たたみ一畳の修業、で「福」と転じさせようではありませんか。
井蛙剣士 頓真

号外 休館やむなし! たたみ一畳の修行

                  号外
                休館やむなし!
               たたみ一畳の修業
 肺炎を引き起こす新型コロナウイルス感染拡大防止のため、新宿スポーツセンターが臨時休館することとなりました。

 期間は、令和2年3月1日(日)から3月31日(火)までの1ヶ月間。利用再開については、今後の状況により変更する場合があるとのことです。

 したがって新宿剣連の稽古は、3月まる1ヶ月、一般の部(午前・午後)、少年の部ともすべて中止となりました。

 会員の皆様方の中には、春の昇段審査に向け、いよいよ稽古に拍車を加える時期に入っており残念なことであります。
 これから先は、新宿スポーツセンターに限らず公の施設での剣道の活動は出来なくなると見込まれます。

 さて、この休館1ヶ月の期間をいかに過ごすか。
 剣道の技量を落とさないためにも、また、健康を維持する上においても日常生活に一工夫、加えていただく必要があります。

 思えば9年前、東日本大震災の発生により同スポーツセンターが休館を余儀なくされました。
 その時、拙談その四「つなげる工夫」で申し上げましたが、ぽっかりと開いた空白期を無為に過ごすと、再び稽古を開始したときご自身の実力低下に嘆くこととなります。
 ぜひ今一度、「つなげる工夫」を読み直してください。
http://shinjukukendo.blog105.fc2.com/blog-entry-4.html

 ここに、「徒歩を修業に採り入れた」と記していますが、ちょうど今の時期、これ幸いと、通勤時など人混みを避ける意味でも、ぜひ実践してください。

 また、「1日1回は竹刀を持つ」についても、必ずしも広い場所、天井が高い部屋でなくても、たたみ一畳のスペースがあれば十分修錬を積むことができます。
 竹刀が天井につかえるようでしたら、短棒または折り畳み傘などでも結構です。

 要するに、剣道で一番難しいとされる「有効打突の身体表現」つまり、技が決まったカタチをつくる練習をしていただきたいのです。

 送り足、踏み込み足で身体移動しつつ、一本の得物を両手で把持し、ブレることなく振り切る練習です。

 これは先般、その118「〝かたち〟への目覚め」から121「〝かたち〟から〝型〟へ」で申しました空間打突そのものですが、ご自宅ではドンと床を強く踏む必要はありません。
 いっそ、スローモーションでやってみませんか。

 しっかりしたカタチとバランスのとれた身体感覚が身についていないとスローモーションの空間打突は難しいものです。

 ちょうど自転車の遅乗り走行のようなものです。初心者は倒れるのを怖れギクシャク一所懸命にペダルを漕ぐのですが、上手になっていくにつれバランスが安定し遅乗りができるようになります。

 要するに「人車一体」になれるかがポイントです。
 同じく、われわれ剣士が求めるべきは「気剣体一致」です。

 ちょうどこの時期を利用して、今までの道場稽古で見過ごされていた、ひとり「気剣体一致」への修錬を心懸けてみませんか。

 日頃は、慌てて自転車のペダルを漕ぐがごとく〝急ぎ打ち合い〟の稽古で崩れた形を矯正し、遅乗り自転車の名人のごとくゆったりとした技能を身につけましょう。

 遅乗りの自転車技術が物の用に立たないのと同じで、〝ゆっくり技〟そのものの実益はありませんが、ゆっくりと有効打突の身体表現ができる技能が大切なのです。

 〝ゆっくり技〟の体現、即「気剣体一致」の体得と言えましょう。
 必ずや道場での立合稽古で生かされるでしょう。
 あの太極拳の練習の動きを思い描き、〝ゆっくり技〟をつくり上げてください。

 〝ゆっくり技〟そのものは武術としての用をなしませんが、ゆっくりとブレることなく濃密な描線で移り動く技能を体得すれば、実戦において対者の隙、〝今、ここ〟に寸分の狂もなく〝間に合う〟動きとなるのであります。

 ちょうど、銃口から発射された弾丸が後で修正が利かないのと同じように、一気に発されたスピード技は軌道修正が利きません。
 その反対に、〝ゆっくり技〟はミサイルのように、発した後も相手の動きに応じて誘い導くことができるというものです。
 言うは易く行うは難し、ですが。

 いかがでしょう。
 納得された方は、すぐ実践です。
 師匠は、ご自身です。

 ひとり打ち込みに、少しでも「面白い」という心持ちが立ち現れたらしめたもの。その「面白い」を突き詰め、「しなやか」「快い」「楽しい」など、ポジティブでリズミカル♫な感覚を染みこませてください。

 それでは、1ヶ月後にお会いすることを楽しみに。
 ご精進をお祈りいたします。
井蛙剣士 頓真
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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