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ふたたび、鍛える

                  その114
                ふたたび、鍛える
 わたしは3年前に古希を迎えました。
 そのとき心に決めたことは、「これからは身体を労って過ごそう」ということです。
 例えば、駅でエスカレータと階段の両方あれば、迷わずエスカレータに乗るという類いのものですが。

 若いころは3階ぐらいまでならばエスカレーターを極力使わずにきましたが、60歳を過ぎた頃から、あるときはエスカレーター、またあるときは階段と、その時々の気分によって選り分けるようになりました。

 そして更に歳を重ねるにしたがって両者を前に、「さて?」と迷うようことしばし。
 迷いの理由は、エスカレーターを使うとなんだか後ろめたく、階段を登ればしんどい、と、たあいもない選択に悩むことが多くなってきたのです。
 ご多分に洩れず「老化現象」にほかなりません。

 『論語』に「四十にして惑わず」という教えがありますが、こちらは「七十にして惑わず」と申しましょうか、その惑いにケジメをつけたのが古希の節目でありました。
 70歳の誕生日を境に即断即決、迷わずエスカレータに足を向けるようにしました。
 またそれだけではなく一事が万事、何ごとも迷わず楽な手段や方法を取ると心に決めました。
 電車に乗れば、遠慮なく優先座席に座る、というぐあいに。

 「歳を取るということはこのようなことか」と自嘲しつつも、ささやかながら「生きたいように生きるとはこんなことかも」と、頑張らずに世を渡ることのできる境遇に、チョッピリ満ち足りた気持ちで日々の暮らしを送っていました。

 といって、こと剣道に関しては、まだまだ年齢にあらがう気持ちでいるのですから虫のいい話でありますが。
 我田引水よろしく「七十にして心の欲する所に従って矩を踰(こ)えず」にピッタリと、自己満足の世界を描いておりました。

 そんな「老境三昧」様の生活に浸っていたのも束の間、昨年の冬に癌が見つかり、病床に就くことを余儀なくされました。

 4回にわたる抗癌剤治療を施した後、夏に全摘手術を受けました。10時間に及ぶ大手術でしたが、翌日には早速リハビリに歩行が課せられます。
 全身管に繋がれたまま点滴スタンドに寄りかかって歩くのですが、ふだんなら目と鼻の先、たった10メートルほどの距離を歩くのも、途方もなく遠く感じられる有様です。

 「こりゃいかん、剣道どころではない!」
 果たして元の生活を取りもどすことができるのか、不安に苛まれる日々が続きます。
 苦界に身を置くことを嘆きながら、おぼつかない足取りでリハビリ歩行を続け再起を期する心持ちは、老境三昧とは余りにもかけ離れたものです。

 歩行に少し慣れたところで、ベッドの手すりをつかんで蹲踞のまねをしてみますが、脚の屈伸がままなりません。手すりをつかんだ手に頼らずには腰を下ろせないほど脚が弱っています。

 次は素手にて中段に構えてみます。上虚下実を意識して下腹部に気を籠めようとしますが、臍下丹田の感覚がどこか心許ない。
 それもそのはずです。丹田は膀胱と同じ箇所にあり、その膀胱を摘出しているのですから、トホホ…

 丹田は、決して器官として物質的に存在するものではありません。しかし、膀胱の摘出手術は腹部内腔への損傷が伴い、たとえ傷が癒えたとしても臓器の欠損感とともに丹田の感覚に異変が生じるのは致し方ありません。

 このまま下っ腹に力が入らない状態で剣道を再開することになるのか、と暗澹たる思いに駆られます。
 「ともかく足腰を鍛えねば!」

 そして退院を迎えたその日に、改めて決心をしました。
 あの、古希のとき「身体を労って過ごそう」と決めたことを180度翻し、ふたたび「鍛える」を生活目標に掲げることとしました。

 まさに「老骨に鞭を打つ」ことになりますが、どこまで体力が回復するのか、それとも潰えるのか、新しい挑戦が始まりました。

 それからというもの歩く距離を徐々に増やし、半年後には日に1万歩を優に越えるところまで伸ばしました。
 また、エスカレーターやエレベーターを極力使わず階段をもっぱらとする。電車に乗ったときも優先座席にすり寄ることなく、むしろ背を向ける、という生活を自らに課すこととしました。
 当然、新宿スポーツセンターの道場への上り降りは階段を使うことも、です。
 
 あと2年で後期高齢者の列に連なりますが、これからどのような老後が待っているか、まったく未知数であります。
 いったいこの生活を何歳まで続ければよいのか。まさか、鍛えながら「要介護」となることはなかろう等こもごも。
 ともかくここ当分、楽隠居とは程遠い生活を強いられることは確かです。
つづく
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新しい時代を迎えて

                  その113
                新しい時代を迎えて

 新たな時代「令和」がスタートして4ヶ月になります。
 国内外の情勢は予断を許さぬ状況下にはありますが、それはさておき市井に暮らす人びとは、何ごとにつけても「令和初の」という語を冠し、兎にも角にも晴れやかな気分で日々を送っている昨今です。

 私どもが子供のころ、お年寄りが「明治は遠くなりにけり」とよく口にしていましたが、いよいよ私も年寄りの部類に入りました。そして令和の時代を迎えた今、つい「昭和も遠くなりにけり」と口を衝いて出てきそうなこの頃でもあります。

 さて、本年5月1日に今上天皇が即位されましたが、当日テレビに釘付けになった方も多くおられたことでしょう。
 まだ記憶に新しいと思いますが、新天皇が一番最初に臨まれた儀式は何だったか覚えておられるでしょうか。
 そう、「剣璽(けんじ)等継承の儀」です。

 この「剣璽等継承の儀」は、桓武天皇の時代に定められた由緒ある儀式ですが、われわれ一般にはなんとも馴染みの薄いものであります。
 それもそのはず。新天皇が即位された時にしか行われない儀式ですから、直近といっても平成の御代となる30年前になります。
 また、その前となると大正から昭和に代わる107年前のことになりますから、当時の儀式を記憶に留めておられる方というのは、皆無に等しいと思われます。

 それもまた、天皇陛下崩御という悲しみの中で行われる儀式なので、広く国民に知られていないのは当然のことでしょう。
 しかし、このたびは生前退位という形の皇位継承でありました。剣璽等継承の儀も十分な事前準備のもとで執り行われたので、一般国民も喜びとともにつぶさに拝見することができました。

 少し説明させていただきますと、「剣璽等継承の儀」とは、皇位の証である「三種の神器」を受け継ぐ儀式です。
 三種の神器とは、皇位の標識として歴代の天皇が受け継いできたという三つの宝物。すなわち八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)です。
 このうち天叢雲剣と八尺瓊曲玉を併せて「剣璽」と称されます。

 この三種の神器の一つに「剣」があることに意を強くするものですが、つねづね私は、三種の神器に由来する剣道でありながら、そのことについて余り言及されないことが不思議でありました。
 剣道の側がそのことを言い及ぶことは、差し出がましい、ということでしょうか。なんとなく釈然としない気持ちで年月を過ごしておりました。

 ところが、このたび儀式の放映を見て私は、ハッと気がつくことがありました。
 そもそも「三種の神器」そのものについて、われわれ剣道人のみならず国民おしなべて無関心を装っていた、ということです。それもある意図のもとに。

 三種の神器というとき、多くの国民は神聖な存在として押し戴くのみで、まともに向き合ってこなかったような気がいたします。尊いものとして棚に上げる、というか巷の話題にも上りません。本来的には無関心でおれないはずのものですが…
 それは何故でしょう。

 昭和20年(1945年)、太平洋戦争における日本の敗戦は、日本古来の武道に壊滅的な打撃を与えました。特に剣道は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から国家主義、軍国主義に加担していたという理由で、警察や学校で全面禁止の制裁を受けるなど、一般社会においても剣道の活動は著しく制限を受けます。

 そんな中、「剣」を包する「三種の神器」は七面倒臭い存在となってしまいました。
 約7年間の空白期を置き、昭和27年(1952年)に「全日本剣道連盟」が設立されますが、あの時のGHQによる弾圧がトラウマとして日本人の心に棲み着いたことは紛れもない事実です。
 
 また終戦直後、戦勝国から俄に天皇制廃止論が起こったことを知った国民は、皇室と剣の関連性が露わになることを恐れ、「三種の神器」を口の端に上らせることを極力慎んだものと推察されます。

 ですから、本物の三種の神器とは真正面に向き合うことをよしとせず、その一方で昭和30年代には、庶民が備えておきたい高価で有用なものの代表を3つ上げて、テレビ・洗濯機・電気冷蔵庫を「三種の神器」と呼び、時の流行語としました。
 また、その10年後には、カラーテレビ・クーラー・自動車を「新三種の神器」と讃え、現在に至ってはデジタル家電3種が挙げられたりしています。

 このように、奥の院にあるものを茶化したかたちで現出させた、というのが裏の本質かも知れません。
 
 ここで皆さんに知っていただきたいことは、新天皇はご幼少の頃、ナルちゃん時代に剣道を習っておられたということです。

 「時事ドットコムニュース」(戦後生まれの初の天皇に 雅子さま支え、務め果たす)に下の写真とともに記事が載っています。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201905reiwastart0001

天皇寒げいこ

[剣道部の寒げいこに励まれる学習院初等科5年の新天皇陛下=1971年1月、東京都豊島区の学習院大学体育館【時事通信社】]

 さあ皆さん、新しい令和の時代が幕開けした今、改めて剣と皇室との関わりに思いを致してみようではありませんか。
つづく

復帰しました

                   復帰しました
 皆様方、大変ご無沙汰しております。
 私的事情により剣談の執筆、中断を余儀なくされ約1年半が経過いたしました。
 その事情とは、昨年の冬、膀胱に癌が発見されたことによるものです。
 思わぬ罹病に打ちひしがれながらも、ひととおりの抗癌剤治療の後、全摘手術を受け、数ヶ月の療養生活を経て、なんとか復帰することができました。

 思い起こせば昨年の年明け早々、1月9日に「明治維新150周年を迎えて」を掲載いたしました。その後2月5日に「『逝きし世の面影』を読む」を書き終えた後、検診で癌が発見されました。

 このシリーズは、書き終えるまで10回分ぐらいの紙数が必要だとの目算です。
 癌のうちでも膀胱癌は比較的生存率が高いとされていますが、癌には違いなく、どうなるかわからない我が身です。

 取りあえず内視鏡手術を行い、その様子を見て次の治療を考えるというものでした。内視鏡手術は3月初旬の予定。
 急がねば!

 その後、2月14日「ある文明の幻影」「『逝きし世の面影』参考資料」、2月19日「陽気な人びと」、3月1日「簡素とゆたかさ」、3月12日「親和と礼節」と筆を速め書き進めます。

 その間、3月7日に受けた内視鏡手術では、なんと、簡単に摘出することができない「悪性の癌」との告知を受けました。
 向後しばらく抗癌剤治療を施し、約3ヶ月後に全摘手術を行うとのこと。

 ひとまず退院後、3月21日に「信仰と祭り」を書き上げます。
 お気づきの方もおられるかも知れませんが、その冒頭で、このシリーズの内容を大幅割愛することに触れています。
 突き付けられた病状を考慮に入れ、なんとか早く締めくくりを付けたい、との思いからです。
 もっとも、直に本書『逝きし世の面影』を読んでいただければよい、との考えがあったわけですが。

 そして4月2日、シリーズ総集編「士魂」を書き上げ、これまで約7年間に亘って書き連ねてきた剣談の筆を擱くこととしました。
 いつ再開するか見通しがつかない状態なので、今まで毎号、末尾につけていた〝つづく〟を付すことなく。

 また、その前日の4月1日には、東京剣道祭に出場しましたが、これをもって竹刀も置くこととなります。

 何の自覚症状もないまま癌を告知され、抗癌剤治療や摘出手術を施されることの不可解さに苛まれる日々。藁をもつかむ思いでセカンド・オピニオンを受け、更にサード・オピニオンと試みましたが、残念ながらどれも最初の診断を覆すものではありません。

 もう、覚悟するしかない。
 得体の知れないものを相手に、闘病の決心をいたしました。
 お陰様で、4度にわたる抗癌剤治療も副作用は少なく、またその後に受けた摘出手術も10時間に及ぶものでしたが、なんとか無事乗り越えることができました。

 退院後は数ヶ月、自宅療養に専念し、丸1年間の休止期間を経て、本年4月から稽古を再開しました。
 稽古を始めてから約5ヶ月が経過しましたが、皆様方に手心を加えていただいているお陰で、つつがなく今日の日を迎えることができました。
 これからも何かとご迷惑をおかけするかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
 また、「その112」以来とどこおっている剣談ですが、これも近々再開する予定ですので、併せてよろしくお願いいたします。
                         令和元年8月29日
                           頓真    
                           (真砂 威)

士魂

その112
士魂
-『逝きし世の面影』を読む「総集編」-

 『逝きし世の面影』を読み、外国人が日本人の宗教心の薄さについて述べている記述の中で、いちばん興味深く思ったのは、

♢ スエンソン
 「日本人の宗教心は生ぬるい。 …日本人に何を信じているのかたずねてみても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問をそらすような答か、わけのわからない答しか返ってこなかった」

♢ チェンバレン
 「日本人に、あなたの宗教は何か、仏教か神道かとたずねると、全く困った顔つきをするので面白く思った」

この二人の感想です。
 じつは、外国人のこのような問いかけに困り果てたのが、あの『武士道』の著者、新渡戸稲造でありました。

 剣談H25.09.04 その四十八「日本人は武士道を知らない、のか」で取り上げましたが、今一度ごらん下さい。
 新渡戸稲造が青年期、ヨーロッパ留学中に某教授と交わした会話です。

*
 「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教教育なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析をはじめてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。
(岩波文庫版『武士道』矢内原忠雄訳より)
*

 新渡戸稲造著の『武士道』は、皆様方もよくご存じで、お読みになった方も多いと思います。また新渡戸はアメリカ人女性と結婚していましたが、その妻からもその同教授と同じような質問をしばしば受けており、これらのことが『武士道』執筆の端緒となったといいます。

 ヨーロッパ留学から10年ほど後、体調を崩し米カリフォルニア州で転地療養中、「Bushido The Soul of Japan」の書名で出版しました。1899年、新渡戸が38歳の年です。
 1899年といえば明治32年、時あたかも日清戦争(明治27~28年)と日露戦争(明治37~38年)との狭間です。

 しかしその背後には、在米日本人移民排斥運動が深く関係し、アメリカの対日本人観が悪化の一途にあり、また、白人優越の人種差別観が根底にあったようです。

 新渡戸は、「これではならない、日本人はそのようなもんじゃない、なんとかして世界の人に、日本人の精神の核となるもの、日本人の生活を根底から支えているものを知らせたい」という思いで書き上げたとのことです。

 その『武士道』が、当時のアメリカ社会から大変な賞賛を受け、続いてフランス語、ドイツ語などにも翻訳され世界のベストセラーとなりました。その後、逆輸入というかたちで日本語に翻訳され日本人の目にすることとなるわけです。

 この新渡戸『武士道』は、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と説きおこし、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。一言にすれば〝武士の掟〟すなわち武人階級の身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージェ)である」と喝破します。

 そして、「義」「勇、敢為堅忍の精神」「仁、惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」などその中味について解説し、武士の掟であった武士道が、やがて民衆への感化をもたらし、日本の精神的土壌に開花結実し、遍く国民の道徳教育となっていったかを説き明かしました。

 新渡戸稲造は「Bushido」の副題に「The Soul of Japan」と添えているように、彼はもともと武士道の書として世に出すつもりは毛頭なく、日本(あるいは日本人)の魂を世界に知らしめたいとの思いで文を紡いでいったのです。

 世界の架け橋であろうとした新渡戸稲造の著「Bushido」が後年、和訳『武士道』として逆輸入され、フレーズ「武士道」が戦意高揚のために利用されたのですから皮肉なものです。

 剣談その107「ある文明の幻影」の最後に、われわれの先人は、これら外国人からの賞賛の声を甘受することなく、いや、むしろ逆に反発心をもって、オリエンタリズムの側の懐に飛び入り、自国を否定することによって、近代化を推し進めてきたのであります。が、その過程で
「何か置き忘れてきたものはないか」
との提言をいたしました。

 その答えとして井蛙子は、

武士道に由来する剣道を
日本の教育的資産として価値あるものにすべく
今あらためて武士道を言問う必要がある

とする立場です。
しかし、直接的に「武士道」を言挙げするのは、やはりためらわずにはおられません。それは拙談「その四十八」から「その五十八」の武士道シリーズで縷々申し上げたとおりです。
 言挙げするには「武士道」は、あまりにも歴史の手垢にまみれてしまいました。

 武士道に代わる言葉としては、「士魂」とよぶ言い方があります。
 「士魂」は、武士道の同義語として「武士の精神」を言い表した言葉です。

 謂われあって武士道と言うのが好ましくないのであれば、この「士魂」を武士道に代え呼び習わしては、との思いもあります。

 ですが、これとて、いついかなる時に、お定まりのワンフレーズとして歪曲されステレオタイプで用いられることがないとは言いきれません。

 なにはともあれ剣道が武士道なり士魂の所在を示すものとして確固たる地歩を占める必要があるとつよく思うものです。

 わたしは、この『逝きし世の面影』を読むことによって、なにものかが明治維新期においても太平洋戦争後と同様、わが国の歴史と伝統を意図的に分断してきたのだということを、改めて自覚する機会となりました。

 いま、歴史と伝統を重んじることの重要性が盛んに言われていますが、まさに、われわれがおこなっている剣道こそ歴史と伝統そのものなのです。

 あの二つの分断を堪え忍び、現在まで様式や精神の大筋を変えることなく延々とつなげてきた剣道こそ、わが国の歴史の背骨であります。

 どうか皆様方、意を強くもって更に精進をかたむけようではありませんか。

 これを以て、年初「明治維新150周年を迎えて」から始まった「『逝きし世の面影』を読む」のシリーズ 
〝今こそ発揮したい、幕末明治維新版、クールジャパン〝
を閉じさせていただきます。

信仰と祭り

その111
信仰と祭り
-『逝きし世の面影』を読む「第十三章」-
 これまで「第一章 ある文明の幻影」「第二章 陽気な人びと」「第三章 簡素とゆたかさ」「第四章 親和と礼節」とすすめて来ました。以下本書は、「第五章 雑多と充溢」「第六章 労働と身体」「第七章 自由と身分」「第八章 裸体と性」「第九章 女の位相」「第十章 子どもの楽園」「第十一章 風景とコスモス」「第十二章 生類とコスモス」へ続きますが、割愛させていただき「第十三章 信仰と祭り」へジャンプいたします。

 以前、日本人は宗教的にひじょうに寛容であると同時に、ひとつ間違えば節操に危ういものを潜ませている、ということを申し述べました。

 剣談H28.09.26その九十『わが国の〝かたち〟をとりもどそう - 武道のすすめ - ②』「四 節操に危うい国、日本」です。今一度お目通しください。
*
四 節操に危うい国、日本 
 昔も今も日本人は、キリスト教やイスラム教などの一神教の国の人たちと比べると、きわめて宗教的に寛容である。神前で読経したり、神社に神宮寺をつくったり、寺院の境内に守護神を祭って鎮守としたりする。卑近な例をあげれば、年末にはクリスマスを祝い、お正月には神社で柏手を打つ、結婚式は教会、七五三は神社、葬式はお寺でということはごくふつうに行われている。それは宗教としてではなくそれぞれ使い分けてイベント的にこなしている。そういう面では懐が広いというか、非常に大らかな国民である。
 古代からわが国には「八百万の神」といって、森羅万象に神の発現を認めるならわしがある。いわゆる「多神教の神」である。またこの神は仏教とも習合し、それぞれ矛盾なく信仰されてきた。このことが他の宗教を大らかに受け入れられる素地となってるのだと考えられる。
 しかし、このようなふるまいは一神教の人たちから見たら原理、原則のない「なんでもあり」の世界で、極めて節操のない所行としかうつらないのである。
 そのとおり、日本人は一つまちがえば節操がまるでなくなる危うい国民なのである。自分さえよければ式の詐欺・偽造・捏造(ねつぞう)は、いまに始まったものではない。…中略… 消費者を欺く行為を平然と行う事案など、この種の組織ぐるみの事件が頻発してやまない。これは手違いとかミスなどというものではなく、明らかに故意に行われた犯罪である。そしてその組織のトップも、同僚も部下も、「みんなが黙っていれば大丈夫」という心算を共有して行われる類(たぐい)のものである。…中略…
- われわれ日本人は〝節操に危うい国民〟であることをしかと自覚すべし -
*
 この文を書いたのは平成18年ですが、あのときはまだ本書『逝きし世の面影』の存在を知りませんでした。いまこの書を読んで見ますと、ここに登場する外国人も、日本人の宗教心の薄さについて述べていたことに今さらながら気づかされます。

♢ ヴィシェスラフツォフ
 「日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させるものとしては少しも作用していない」

♢ ゴロヴニン
 「寺社なんかに一度も詣ったことはないといったり、宗教上の儀式を嘲笑したりして、それをいくらか自慢にしている日本人をわれわれは沢山知っている」

♢ ハリス
 「僧侶や神宮、寺院、神社、像などのひじょうに多い国でありながら、日本ぐらい宗教上の問題に大いに無関心な国… この国の上層階級の者は、実際はみな無神論者であると私は信ずる」

♢ オールコック
 「寺院の境内では芝居が演じられ、また射的場や市や茶屋げ設けられ、花の展示、珍獣の見せ物… こういった雑多な寄せ集めは、敬虔な感情や真面目な信仰とほとんど両立しがたい」(浅草のこと)

 また、神仏に手を合わせるのは単なる便宜的な社会慣習とみなし、宗教は娯楽、巡礼はピクニックだとも指摘しています。

♢ リンダウ
 民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。

と、宗教心の薄さと礼儀正しさが同居していることにも言及しています。

 著者も、
「知識階級が仏教や神道というこの国の伝統的宗教から離れ、従って旧い信仰を保っている民衆から切り離されたのは、明治以来の近代化・世俗化の結果だと信じてる。あに計らんや、それは徳川期いらいの伝統であったのだ」
と驚きをあらわにしています。

♢ バード
 「破綻した虚構にもとづく帝位、人々から馬鹿にされながら、表面上は崇敬されている国家宗教、教養ある階級にはびこる懐疑主義、下層階級の上にふんぞりか返る無知な僧侶。頂点には強大な専制をそなえ、底辺には裸の人夫たちを従え、最高の信条はむき出しの物質主義であり、目標は物質的利益であって、改宗し破壊し、キリスト教文明の果実はいただくが、それを実らせた木は拒否するひとつの帝国」

と手厳しく指摘しています。

 それを著者は、
「新時代の産物というよりむしろ、徳川というアンシャン・レジームからひき継いだ知識層の心性だったとみるべきである。むしろその底には儒学的合理主義と徹底した現世主義が存在した」
と結論づけています。

 井蛙剣談「その八十九」~「その九十三」掲載の『わが国の〝かたち〟をとりもどそう - 武道のすすめ -』は、敬虔なる宗教心はもちあわせていなくとも、高い道徳心とぶれない基軸をもって生きる、ということをテーマにしたものです。あわせて今一度ごらんください。
つづく
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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