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士魂

その112
士魂
-『逝きし世の面影』を読む「総集編」-

 『逝きし世の面影』を読み、外国人が日本人の宗教心の薄さについて述べている記述の中で、いちばん興味深く思ったのは、

♢ スエンソン
 「日本人の宗教心は生ぬるい。 …日本人に何を信じているのかたずねてみても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問をそらすような答か、わけのわからない答しか返ってこなかった」

♢ チェンバレン
 「日本人に、あなたの宗教は何か、仏教か神道かとたずねると、全く困った顔つきをするので面白く思った」

この二人の感想です。
 じつは、外国人のこのような問いかけに困り果てたのが、あの『武士道』の著者、新渡戸稲造でありました。

 剣談H25.09.04 その四十八「日本人は武士道を知らない、のか」で取り上げましたが、今一度ごらん下さい。
 新渡戸稲造が青年期、ヨーロッパ留学中に某教授と交わした会話です。

*
 「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教教育なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析をはじめてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。
(岩波文庫版『武士道』矢内原忠雄訳より)
*

 新渡戸稲造著の『武士道』は、皆様方もよくご存じで、お読みになった方も多いと思います。また新渡戸はアメリカ人女性と結婚していましたが、その妻からもその同教授と同じような質問をしばしば受けており、これらのことが『武士道』執筆の端緒となったといいます。

 ヨーロッパ留学から10年ほど後、体調を崩し米カリフォルニア州で転地療養中、「Bushido The Soul of Japan」の書名で出版しました。1899年、新渡戸が38歳の年です。
 1899年といえば明治32年、時あたかも日清戦争(明治27~28年)と日露戦争(明治37~38年)との狭間です。

 しかしその背後には、在米日本人移民排斥運動が深く関係し、アメリカの対日本人観が悪化の一途にあり、また、白人優越の人種差別観が根底にあったようです。

 新渡戸は、「これではならない、日本人はそのようなもんじゃない、なんとかして世界の人に、日本人の精神の核となるもの、日本人の生活を根底から支えているものを知らせたい」という思いで書き上げたとのことです。

 その『武士道』が、当時のアメリカ社会から大変な賞賛を受け、続いてフランス語、ドイツ語などにも翻訳され世界のベストセラーとなりました。その後、逆輸入というかたちで日本語に翻訳され日本人の目にすることとなるわけです。

 この新渡戸『武士道』は、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と説きおこし、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。一言にすれば〝武士の掟〟すなわち武人階級の身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージェ)である」と喝破します。

 そして、「義」「勇、敢為堅忍の精神」「仁、惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」などその中味について解説し、武士の掟であった武士道が、やがて民衆への感化をもたらし、日本の精神的土壌に開花結実し、遍く国民の道徳教育となっていったかを説き明かしました。

 新渡戸稲造は「Bushido」の副題に「The Soul of Japan」と添えているように、彼はもともと武士道の書として世に出すつもりは毛頭なく、日本(あるいは日本人)の魂を世界に知らしめたいとの思いで文を紡いでいったのです。

 世界の架け橋であろうとした新渡戸稲造の著「Bushido」が後年、和訳『武士道』として逆輸入され、フレーズ「武士道」が戦意高揚のために利用されたのですから皮肉なものです。

 剣談その107「ある文明の幻影」の最後に、われわれの先人は、これら外国人からの賞賛の声を甘受することなく、いや、むしろ逆に反発心をもって、オリエンタリズムの側の懐に飛び入り、自国を否定することによって、近代化を推し進めてきたのであります。が、その過程で
「何か置き忘れてきたものはないか」
との提言をいたしました。

 その答えとして井蛙子は、

武士道に由来する剣道を
日本の教育的資産として価値あるものにすべく
今あらためて武士道を言問う必要がある

とする立場です。
しかし、直接的に「武士道」を言挙げするのは、やはりためらわずにはおられません。それは拙談「その四十八」から「その五十八」の武士道シリーズで縷々申し上げたとおりです。
 言挙げするには「武士道」は、あまりにも歴史の手垢にまみれてしまいました。

 武士道に代わる言葉としては、「士魂」とよぶ言い方があります。
 「士魂」は、武士道の同義語として「武士の精神」を言い表した言葉です。

 謂われあって武士道と言うのが好ましくないのであれば、この「士魂」を武士道に代え呼び習わしては、との思いもあります。

 ですが、これとて、いついかなる時に、お定まりのワンフレーズとして歪曲されステレオタイプで用いられることがないとは言いきれません。

 なにはともあれ剣道が武士道なり士魂の所在を示すものとして確固たる地歩を占める必要があるとつよく思うものです。

 わたしは、この『逝きし世の面影』を読むことによって、なにものかが明治維新期においても太平洋戦争後と同様、わが国の歴史と伝統を意図的に分断してきたのだということを、改めて自覚する機会となりました。

 いま、歴史と伝統を重んじることの重要性が盛んに言われていますが、まさに、われわれがおこなっている剣道こそ歴史と伝統そのものなのです。

 あの二つの分断を堪え忍び、現在まで様式や精神の大筋を変えることなく延々とつなげてきた剣道こそ、わが国の歴史の背骨であります。

 どうか皆様方、意を強くもって更に精進をかたむけようではありませんか。

 これを以て、年初「明治維新150周年を迎えて」から始まった「『逝きし世の面影』を読む」のシリーズ 
〝今こそ発揮したい、幕末明治維新版、クールジャパン〝
を閉じさせていただきます。
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信仰と祭り

その111
信仰と祭り
-『逝きし世の面影』を読む「第十三章」-
 これまで「第一章 ある文明の幻影」「第二章 陽気な人びと」「第三章 簡素とゆたかさ」「第四章 親和と礼節」とすすめて来ました。以下本書は、「第五章 雑多と充溢」「第六章 労働と身体」「第七章 自由と身分」「第八章 裸体と性」「第九章 女の位相」「第十章 子どもの楽園」「第十一章 風景とコスモス」「第十二章 生類とコスモス」へ続きますが、割愛させていただき「第十三章 信仰と祭り」へジャンプいたします。

 以前、日本人は宗教的にひじょうに寛容であると同時に、ひとつ間違えば節操に危ういものを潜ませている、ということを申し述べました。

 剣談H28.09.26その九十『わが国の〝かたち〟をとりもどそう - 武道のすすめ - ②』「四 節操に危うい国、日本」です。今一度お目通しください。
*
四 節操に危うい国、日本 
 昔も今も日本人は、キリスト教やイスラム教などの一神教の国の人たちと比べると、きわめて宗教的に寛容である。神前で読経したり、神社に神宮寺をつくったり、寺院の境内に守護神を祭って鎮守としたりする。卑近な例をあげれば、年末にはクリスマスを祝い、お正月には神社で柏手を打つ、結婚式は教会、七五三は神社、葬式はお寺でということはごくふつうに行われている。それは宗教としてではなくそれぞれ使い分けてイベント的にこなしている。そういう面では懐が広いというか、非常に大らかな国民である。
 古代からわが国には「八百万の神」といって、森羅万象に神の発現を認めるならわしがある。いわゆる「多神教の神」である。またこの神は仏教とも習合し、それぞれ矛盾なく信仰されてきた。このことが他の宗教を大らかに受け入れられる素地となってるのだと考えられる。
 しかし、このようなふるまいは一神教の人たちから見たら原理、原則のない「なんでもあり」の世界で、極めて節操のない所行としかうつらないのである。
 そのとおり、日本人は一つまちがえば節操がまるでなくなる危うい国民なのである。自分さえよければ式の詐欺・偽造・捏造(ねつぞう)は、いまに始まったものではない。…中略… 消費者を欺く行為を平然と行う事案など、この種の組織ぐるみの事件が頻発してやまない。これは手違いとかミスなどというものではなく、明らかに故意に行われた犯罪である。そしてその組織のトップも、同僚も部下も、「みんなが黙っていれば大丈夫」という心算を共有して行われる類(たぐい)のものである。…中略…
- われわれ日本人は〝節操に危うい国民〟であることをしかと自覚すべし -
*
 この文を書いたのは平成18年ですが、あのときはまだ本書『逝きし世の面影』の存在を知りませんでした。いまこの書を読んで見ますと、ここに登場する外国人も、日本人の宗教心の薄さについて述べていたことに今さらながら気づかされます。

♢ ヴィシェスラフツォフ
 「日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させるものとしては少しも作用していない」

♢ ゴロヴニン
 「寺社なんかに一度も詣ったことはないといったり、宗教上の儀式を嘲笑したりして、それをいくらか自慢にしている日本人をわれわれは沢山知っている」

♢ ハリス
 「僧侶や神宮、寺院、神社、像などのひじょうに多い国でありながら、日本ぐらい宗教上の問題に大いに無関心な国… この国の上層階級の者は、実際はみな無神論者であると私は信ずる」

♢ オールコック
 「寺院の境内では芝居が演じられ、また射的場や市や茶屋げ設けられ、花の展示、珍獣の見せ物… こういった雑多な寄せ集めは、敬虔な感情や真面目な信仰とほとんど両立しがたい」(浅草のこと)

 また、神仏に手を合わせるのは単なる便宜的な社会慣習とみなし、宗教は娯楽、巡礼はピクニックだとも指摘しています。

♢ リンダウ
 民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。

と、宗教心の薄さと礼儀正しさが同居していることにも言及しています。

 著者も、
「知識階級が仏教や神道というこの国の伝統的宗教から離れ、従って旧い信仰を保っている民衆から切り離されたのは、明治以来の近代化・世俗化の結果だと信じてる。あに計らんや、それは徳川期いらいの伝統であったのだ」
と驚きをあらわにしています。

♢ バード
 「破綻した虚構にもとづく帝位、人々から馬鹿にされながら、表面上は崇敬されている国家宗教、教養ある階級にはびこる懐疑主義、下層階級の上にふんぞりか返る無知な僧侶。頂点には強大な専制をそなえ、底辺には裸の人夫たちを従え、最高の信条はむき出しの物質主義であり、目標は物質的利益であって、改宗し破壊し、キリスト教文明の果実はいただくが、それを実らせた木は拒否するひとつの帝国」

と手厳しく指摘しています。

 それを著者は、
「新時代の産物というよりむしろ、徳川というアンシャン・レジームからひき継いだ知識層の心性だったとみるべきである。むしろその底には儒学的合理主義と徹底した現世主義が存在した」
と結論づけています。

 井蛙剣談「その八十九」~「その九十三」掲載の『わが国の〝かたち〟をとりもどそう - 武道のすすめ -』は、敬虔なる宗教心はもちあわせていなくとも、高い道徳心とぶれない基軸をもって生きる、ということをテーマにしたものです。あわせて今一度ごらんください。
つづく

親和と礼節

その110
親和と礼節
-『逝きし世の面影』を読む「第四章」-

 これまで日本の地を初めて踏んだ多くの欧米人が最初に抱いた感想で好印象のものばかり紹介しましたが、その内実は好ましいものばかりではありませんでした。
 その一例を紹介しますと、

 「街路の穢物は際限がなかった。両側にはほとんど裸体の市民が立っていた」
 「江戸は… 壮麗な建造物は全然見当たらず、街並み自体、家畜小屋が何列も並んでいるようなもの」

 また、「天然痘の痕跡のある人が多い」とか、「疥癬もありふれた病気である」や「盲目の人が多い」という指摘もあります。

 それと、前に「乞食がいない」という証言を紹介しましたが、ここでは「乞食がたくさんいる」との記述も散見されます。

 これについて著者は、乞食の存在を否定するものではないが、おそらく乞食と上げられている者の中に、托鉢僧とか山伏とか虚無僧といった宗教的な物乞いや、お伊勢参りや巡礼、旅芸人にいたるまでその範疇に入れられている、と釈明しています。

 さらに著者は、
「欧米人観察者が日本の古き文明に無批判ではなかったこと、それどころかしば しば嫌悪と反発を感じさえしたこと… しかしその批判者が同時に熱烈な讃美者 でもありえたのはどういう理由によるのだろうか。日本のさまざまなダークサイ ドを知悉しながらも、彼らは眼前の文明のかたちに奇妙にも心魅かれ続けたので ある」
と述べています。

 そして、外国人にしか気がつかない日本人の特質として、

♢ チェンバレン
 「江戸社会の重要特質のひとつは人びとの生活の開放性にあった。外国人たちはまず日本の庶民の家屋がまったくあけっぴろげであるのに、度肝を抜かれた」

オールコック、モースも同様の所感を述べています。

♢ スエンソン
 「どこかの家の前に朝から晩まで立ちつくしていれば、その中に住んでいる家族の暮らしぶりを正確につかむことができる」

と述べ、この開放感がベースとしてあって庶民間の共同体意識が醸成されるとしています。

♢ アルミニヨン
 「人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階級にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」

と記しているのに対し著者は、
 「江戸時代の庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助であると言っているのだ。…開放的な生活形態がもたらす近隣との強い親和にこそその基礎があったのはなかろうか。…開放的で親和的な社会はまた、安全で平和な社会でもあった」
と述べ、安全と平和に関連し、ふつうの町屋は夜、戸締まりをしなかったことを、

♢ クロウ
 「住民が鍵もかけず、何らの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている」

また、ポンペ、オリファント、ムンツィンガー、モースも同様に記し、かぎりなく〝開放的で親和性が強い社会〟であると同時に、〝争いの少ない和やかな社会〟でもあったと表現しています。
 また、

♢ モース
 「なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来ったかが、段々判ってくる」

♢ ボーヴォワル
 「われわれを野蛮人扱いする権利をたしかに日本人に認めないわけにはいかないと感じた」

という記述もあり、少々面映ゆくも感じます。
 さらに礼節に関しては、

♢ ディアス
 「日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるということである」
 「日本人旅行者は、切符売場とか汽車のドアのところに群がることをせず、到着順に並んで、誰一人として先に並んでいる人の場所を横取りしようとはしない」

♢ ヤング
 「よく行き届いた完璧なまでの秩序と、親切とやさしい感情である」

♢ モース
 「挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやりは、日本人の生まれながらの善徳であると思われた」

♢ アーノルド
 「この〝日出る国〟ほど、やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにもほかにありはしない」

としながらも、

♢ チェンバレン
 「日本人は、自国の風習の中に留まっている時には、まことに身だしなみがきちんとしているが、ヨーロッパ風の生活のある状態に置かれると、汚らしくなるとまで言わなくても、だらしなくなってしまう」

と、今も日本人にありがちな「旅の恥はかき捨て」を指摘する記述も見られます。

 人びとの礼儀正しさといえば、何よりも異邦人の眼を驚かしたのは、彼らが街頭や家屋内で交わすながながとしたお辞儀だとしています。

♢ カッテンディーケ
 「礼儀は適度を越して滑稽なところまで行っている。…中略… ちょっとした言葉を交わしている間に、お互いに腰をかがめてお辞儀し、果てしもなくベラベラと喋っている」

♢ オールコック
 「かれらは両手をひざのところまでおろし、身をかがめ、息を殺したような感じで口上をのべる」

 このことについて、日本人の礼儀正しさの本質を、次のように分析した記述があります。

♢ アーノルド
 「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」
 「社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも合意している」

 著者は、
「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持ちのよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表れていたのは、故なきことではなかったのである」
と述べています。
つづく

簡素とゆたかさ

その109
簡素とゆたかさ
-『逝きし世の面影』を読む「第三章」-

 私たちは子どものころから、何となく江戸時代の民衆、特に農民の生活は暗く貧しく悲惨なイメージが頭の中に植え付けられてきました。
 今も、無慈悲な代官、重い年貢、飢饉、間引き、口減らし、など重苦しく暗い映像が浮かび上がってきます。

 ところがその当時、日本を訪れた外国人は口をそろえて、地上の楽園、満足、幸福に満ちていると述べています。

 むろん人びとの生活はそれぞれの状況により貧富の差があるのは当然のことでしょうが、たとえ貧困であったとしても、貧困が不幸と結びついていないことを彼らは主張します。

♢ ハリス
 アメリカ領事館のある下田近郊の柿崎では、
「貧寒な寒村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない」
 「この貧民は、貧に付き物の悲惨な兆候をいささかも示しておらず、衣食住の点で世界の同階層と比較すれば、最も満足すべき状態にある」

 また、下田を発ち江戸入りを果たすべく東海道の神奈川宿をすぎると、
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者 も貧者もない。──これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。

 そして江戸入りの当日、
「私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない」

♢ モース
 「日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない」
 「少なくとも日本においては、貧困と人家の密集地帯が、つねに野卑と不潔と犯罪とを誘発するとは限らないのである」

♢ スミス
 「徳川時代をつうじて年貢は苛酷なまでに重圧的であった、という通説はまったく誤りであり、時とともに農民に剰余が残るようになった」
 江戸時代後期においては、「課税は没収的ではなかった」し、「時とともに軽くなったのである」

♢ ジーボルト
 「日本には、測り知れない富をもち、半ば飢えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も日本ではヨーロッパよりもなお一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意によってさらに堅く結ばれている」

♢ ケンペル
 「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい」

♢ カッテンディーケ
 「日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる」

♢ オールコック
 「自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」

♢ メイラン
 「日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある」

♢ ツユンベリ
 「耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった」
 「最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類を見出せないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである」

 また、「簡素」についても次のように述べています。

♢ モース
「村落そのものの眺めは、まことに雑多である。ある村は家々の前に奇麗な花壇がしつらえており、風趣と愉楽の気分に溢れ、ことのほかさっぱりして美しい感じをたたえている」

♢ カッテンディーケ
 「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである」

♢ ハリス
 江戸で将軍定家に謁見したとき、
「想像されるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった …中略… 殿中のどこにも鍍金の装飾を見なかった」

♢ バード
 「日本には東洋的壮麗などというものはない。色彩と金箔は寺院に見られるだけだ。宮殿もあばら屋もおなじ灰色だ…富は存在するにせよ、表には示されていない。鈍い青と茶と灰色がふつうの衣装の色だ。宝石は身につけない」

♢ オールコック
 日本の豊かさを〝次元の違う豊かさ〟〝異質のゆたかさ〟と表現し、
 「これほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」
 「幸福よりも惨めさの源泉となり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲にもとづく競争がここには存在しない」

♢ オイレンブルク
「日本人は要求が低くて、毎日の生活が安価におこなわれている」

♢ チェンバレン
 「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。…ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
 「日本には貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」

♢ シッドモア
 「どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない」
 「木綿着数枚で春、夏、秋、冬と間に合ってしまうのだ」

 筆者は、
「農村にも貧富のさまざまな程度が分布するのは当然として、当時の日本の農村がおしなべて幸福で安楽な表情を示していたことは、欧米人の証言からしてほぼ確実といってよかろう。だとするとここで私たちは、苛斂誅求にあえいでいた徳川期の農民という … 長くまかり通って来た定説を一応吟味してみないわけにはいかない」
と述べています。
つづく

陽気な人びと 『逝きし世の面影』を読む「第二章」

その108
陽気な人びと
-『逝きし世の面影』を読む「第二章」-

 19世紀の中ごろ、日本の地を初めて踏んだ多くの欧米人が最初に抱いたのは、その国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった、と述べています。

♢ スミス
 「日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかに流れてゆくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」

♢ ヒューブナー
 「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人びとは幸せで満足していたのである」

♢ パーマー
 「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと溶けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」

♢ リンダウ
 「日本人ほど愉快になり易い人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける」

♢ ディクソン
 「頭をまるめた老婆からきゃきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる」

♢ メーチニコフ
 「のべつまくなしに冗談をとばしては笑いころげる人足たちに見とれずにはおられなかった」

♢ ブラック
 「笑いはいつも人を魅惑するが、こんな場合の日本人の笑いは、ほかのどこで聞かれる笑い声よりも、いいものだ。彼らは非常に情愛深く親切な性質で、そういった善良な人達は、自分ら同様、他人が遊びを楽しむのを見てもうれしがる」

♢ クライトナー
 「日本人はおしなべて親切で愛想がよい。底抜けに陽気な住民は、子供じみた手前勝手な哄笑をよくするが、これは電流のごとく文字どおりに伝播する」
 「陽気の爆発は心の底からのものであって、いささかの皮肉も混じっていない」

また、日本人の陽気さだけでなく善良さについても言及しています。

♢ アンベール
 当時の横浜の海岸の住民について、
「みんな善良な人たちで、私に出会うと親愛の情をこめたあいさつをし …中略… 根が親切と真心は、日本の社会の下層階級全体の特徴である」

♢ ブスケ
 「彼らはあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、気分にむらがなく、幾分荒々しい外観は呈しているものの、確かに国民のなかでも最も健全な人びとを代表している」

♢ バード
 馬で東北地方を縦断するという壮挙をなしとげるなかで、もう暗くなっていたのに、落とし物を一里も引き返し取りに行ってくれた馬子に対し何銭か与えようとしたのを、
「目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ」と、無償の親切に感動した。

 そこで著者は、「善意に対する代価を受け取らぬのは、当時の庶民の倫理だったらしい」と述べています。

♢ ボーヴォワル
 日本を訪れる前にアジア諸国を歴訪していたのだが、
 「日本はこの旅行全体を通じ、歩きまわった国の中で一番素晴らしいと感じた」
 「住民すべての丁寧さと愛想のよさは筆舌に尽くしがたく、たしかに日本人は地球上最も礼儀正しい民族だと思わないわけにはいかない」

そして結論的に、

♢ モース
 「他国民を研究するにあたっては、もし可能ならば無色のレンズをとおして観察するようにしなければならない。とはいっても、この点で誤謬が避けられないものであるとするならば、せめて、眼鏡の色はばら色でありたい。そのほうが偏見の煤のこびりついた眼鏡よりはましであろう」
 「このような調査をおこなうには、対象に対する共感の精神を持たなければならない。そうしなければ、見落としとか誤解が多くなる」

との、モースの信念ともいうべき論及に対し著者は、
「これはむしろ今日の文化人類学の方法論に近い。われわれはこのような共感者に対しても、おなじく感謝を捧げねばならない」
と述べています。

 そのころの日本が楽園であったとはとても思えませんが、異邦人の目には、そこに根を下ろし暮らす人びとは、幸福に充ち満ちているように映ったに違いありません。

 今年も国連が定める「世界幸福デー(3月20日)」が近づいてきましたが、昨年の世界155カ国を対象にした幸福度ランキングで日本は51位でした。最も幸せな国とされたのはノルウェーで、2位はデンマーク、3位はアイスランドと北欧にひとり占めされました。

 この調査がどのように行われているのか存じ上げませんが、51位というのは先進国の中で最低です。今われわれが置かれている生活環境に鑑み、この評価は合点がいくものではありません。

 しかしながら、著者渡辺京二氏が再三いう「滅んだ古い日本文明」の中に、ふだんの穏やかな日々の営みを喜びに感じ、あるいは幸せと思える感性が退化してしまった、ことも含まれると考えるなら十分に納得できる話です。
つづく
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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