陽気な人びと 『逝きし世の面影』を読む「第二章」

その108
陽気な人びと
-『逝きし世の面影』を読む「第二章」-

 19世紀の中ごろ、日本の地を初めて踏んだ多くの欧米人が最初に抱いたのは、その国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった、と述べています。

♢ スミス
 「日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかに流れてゆくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」

♢ ヒューブナー
 「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人びとは幸せで満足していたのである」

♢ パーマー
 「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと溶けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」

♢ リンダウ
 「日本人ほど愉快になり易い人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける」

♢ ディクソン
 「頭をまるめた老婆からきゃきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる」

♢ メーチニコフ
 「のべつまくなしに冗談をとばしては笑いころげる人足たちに見とれずにはおられなかった」

♢ ブラック
 「笑いはいつも人を魅惑するが、こんな場合の日本人の笑いは、ほかのどこで聞かれる笑い声よりも、いいものだ。彼らは非常に情愛深く親切な性質で、そういった善良な人達は、自分ら同様、他人が遊びを楽しむのを見てもうれしがる」

♢ クライトナー
 「日本人はおしなべて親切で愛想がよい。底抜けに陽気な住民は、子供じみた手前勝手な哄笑をよくするが、これは電流のごとく文字どおりに伝播する」
 「陽気の爆発は心の底からのものであって、いささかの皮肉も混じっていない」

また、日本人の陽気さだけでなく善良さについても言及しています。

♢ アンベール
 当時の横浜の海岸の住民について、
「みんな善良な人たちで、私に出会うと親愛の情をこめたあいさつをし …中略… 根が親切と真心は、日本の社会の下層階級全体の特徴である」

♢ ブスケ
 「彼らはあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、気分にむらがなく、幾分荒々しい外観は呈しているものの、確かに国民のなかでも最も健全な人びとを代表している」

♢ バード
 馬で東北地方を縦断するという壮挙をなしとげるなかで、もう暗くなっていたのに、落とし物を一里も引き返し取りに行ってくれた馬子に対し何銭か与えようとしたのを、
「目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ」と、無償の親切に感動した。

 そこで著者は、「善意に対する代価を受け取らぬのは、当時の庶民の倫理だったらしい」と述べています。

♢ ボーヴォワル
 日本を訪れる前にアジア諸国を歴訪していたのだが、
 「日本はこの旅行全体を通じ、歩きまわった国の中で一番素晴らしいと感じた」
 「住民すべての丁寧さと愛想のよさは筆舌に尽くしがたく、たしかに日本人は地球上最も礼儀正しい民族だと思わないわけにはいかない」

そして結論的に、

♢ モース
 「他国民を研究するにあたっては、もし可能ならば無色のレンズをとおして観察するようにしなければならない。とはいっても、この点で誤謬が避けられないものであるとするならば、せめて、眼鏡の色はばら色でありたい。そのほうが偏見の煤のこびりついた眼鏡よりはましであろう」
 「このような調査をおこなうには、対象に対する共感の精神を持たなければならない。そうしなければ、見落としとか誤解が多くなる」

との、モースの信念ともいうべき論及に対し著者は、
「これはむしろ今日の文化人類学の方法論に近い。われわれはこのような共感者に対しても、おなじく感謝を捧げねばならない」
と述べています。

 そのころの日本が楽園であったとはとても思えませんが、異邦人の目には、そこに根を下ろし暮らす人びとは、幸福に充ち満ちているように映ったに違いありません。

 今年も国連が定める「世界幸福デー(3月20日)」が近づいてきましたが、昨年の世界155カ国を対象にした幸福度ランキングで日本は51位でした。最も幸せな国とされたのはノルウェーで、2位はデンマーク、3位はアイスランドと北欧にひとり占めされました。

 この調査がどのように行われているのか存じ上げませんが、51位というのは先進国の中で最低です。今われわれが置かれている生活環境に鑑み、この評価は合点がいくものではありません。

 しかしながら、著者渡辺京二氏が再三いう「滅んだ古い日本文明」の中に、ふだんの穏やかな日々の営みを喜びに感じ、あるいは幸せと思える感性が退化してしまった、ことも含まれると考えるなら十分に納得できる話です。
つづく
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『逝きし世の面影』参考資料

『逝きし世の面影』参考資料
 ここには本書所載の外国人が記述した日本語に翻訳されている文献にかぎって掲載した。
 内容については、本書によるほか辞書や事典また、ウィキペディアなどインターネット百科事典も参考にした。
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五十音順
♢ アーノルド(Edwin Arnold 1832~1904)
『亜細亜の光』(岩波文庫 1940年)イギリスの詩人、ジャーナリスト
♢ アリエス(Philippe Aries 1914~1984)
『子どもの誕生』(みすず書房 1980年)フランスの歴史家
♢ アルミニヨン(Vittorio Arminijon 1830~97)
『イタリア使節の幕末見聞記』(新人物往来社 1987年)通商条約締結の任を帯びて1866年来日したイタリア海軍中佐
♢ アンベール(Aimé Humbert 1819~1900)
『幕末日本図絵』上・下(雄松堂出版 1969年)スイスの遣日使節団長
♢ ヴィシェスラフツォフ(Alekei Viadimirovich Vysheslavtsov)
『ロシア艦隊幕末来訪記』(新人物往来社 1990年)アムール艦隊の東シベリア提督ムラヴィヨフに同行した医師
♢ ウィリアムズ(Williams, Samuel Wells 1812~1884)
『ペリー日本遠征随行記』(雄松堂出版 1970年)アメリカの宣教師、ペリー艦隊の通訳
♢ ウィリス(Willis William 1837~ 1894)
『英国公使館員の維新戦争見聞記』(校倉書房 1974年)日本の近代医学、医療の基礎を築いたイギリス人医師、外交官
♢ ヴィルマン(Olof Eriksson Willman 1623?~73?)
『日本滞在記』(雄松堂出版 1970年)1652年参府したオランダ使節に随行したスウェーデン人
♢ ウェストン(Walter Weston 1861~1940)
『ウェストンの明治見聞記』(新人物往来社 1987年)、『日本アルプス登攀日記』(平凡社東洋文庫 1995年)、『日本アルプス』(平凡社ライブラリー 1995年)、『日本アルプス再訪』(平凡社ライブラリー 1996年)イギリスの登山家、日本における近代登山の開拓者
♢ ヴェルナー(Reinhold Werner 1825~1909)
『エルベ号艦長幕末期』(新人物往来社 1990年)プロイセン艦隊のエルベ号の艦長
♢ オイレンブルク(Friedrich Albrecht Graf zu Eulenburg 1815~81)
『日本遠征記』上・下(雄松堂出版 1969年)、『第一回独逸遣日使節日本滞在記』(日独文化協会1940年)プロイセン王国の外交官、政治家。
♢ オリファント(Laurence Oliphant 1829~88)
『エルギン卿遣日使節録』(雄松堂出版 1968年)日英修好通商条約を締結するために対日したエルギン卿使節団の一員
♢ オールコック(Rutherford Alcock 1809~97)
『大君の都』上・中・下(岩波文庫 1962年)イギリスの初代駐日全権大使
♢ カッテンディーケ(Huijssen van Kattendijke 1816~66)
『長崎海軍伝習所の日々』(平凡社東洋文庫 1964年) オランダの海軍軍人、長崎海軍伝習所の教育隊長
♢ ギメ(Emile Guimet 1836~1918)
『1876 ボンジュールかながわ』(有隣堂 1977年)、『東京日光散策』(雄松堂出版 1983年)フランスにあるギメ博物館の創始者
♢ クライトナー(Gustav Kreitner 1847~93)
『東洋紀行』1(平凡社東洋文庫 1992年)セーチェーニ伯の探検隊の一員として来日したオーストリア陸軍中尉
♢ クラーク(Edward Warren Clark 1849~1907)
『日本滞在記』(講談社 1967年)静岡学校教師として招かれたアメリカ人
♢ グリフィス(Wiliam Elliot Griffis 1843~1928)
『明治日本体験記』(平凡社東洋文庫 1984年)、『ミカド』(岩波文庫 1995年)アメリカの教育者、日本学者
♢ クルティウス(Jan Hendrik Donker Curtius 1813~79)
『幕末出島未公開文書』(新人物往来社 1992年)オランダ日本駐在全権領事官
♢ クロウ(Arthur H Crow 生没年不詳)
『日本内陸紀行』(雄松堂出版 1984年)イギリスの商人、日本を旅行
♢ ケーベル(Raphael von Koeber 1848~1923)
『ケーベル博士随筆集』(岩波文庫 1957年)ドイツ系ロシア人、哲学者、音楽家、東大で哲学を講じた
♢ ケンペル(Engelbert Kämpfer 1651~1717)
『江戸参府旅行日記』(平凡社東洋文庫 1977年)、『日本誌』上・下(霞ヶ関出版 1989年)ドイツ人の医師、博物学者
♢ コータッツィ(Sir Arthur Henry Hugh Cortazzi 1924~?)
『ある英人医師の幕末維新—W・ウィリスの生涯』(中央公論社 1985年)、『維新の港の英人たち』(中央公論社 1988年)駐日イギリス大使を務めた
♢ コトー(Edmond Cotteau 1833~96)
『ボンジュール・ジャポン』(新評論 1992年)1881年に来日したフランスの旅行記作家
♢ ゴロヴニン(Vasilii Mikhailovich Golovnin 1776~1831)
『日本幽囚記』上・中・下(岩波文庫 1943~46年)、『日本俘虜実記』上・下(講談社学術文庫 1984年)、『ロシア士官の見た徳川日本』(講談社学術文庫 1985年)ロシア海軍のディアナ号艦長
♢ ゴンチャロフ(Ivan Alexandrovich Gontcharov 1812~91)
『日本渡航記』(岩波文庫 1941年)、『日本渡航記』(雄松堂出版 1969年)ロシアの小説家、プチャーチン使節団の一員
♢ サイード(Edward W. Said 1935~2003)
『オリエンタリズム』(平凡社 1986年)パレスチナ系アメリカ人の文学研究者、文学批評家
♢ サトウ(Ernest Mason Satow 1843~1929)
『一外交官の見た明治維新』 上・下(岩波文庫 1960年)、『アーネスト・サトウ公使日記』1・2(新人物往来社 1989~91年)、『日本旅行日記』1・2(平凡社東洋文庫 1992年)、『明治日本旅行案内』上・中・下(平凡社 1996年)外交官、イギリスにおける日本学の基礎を築いた
♢ サンソム(Katharine Sunsom 1883~1981)
『東京に暮す』(岩波文庫 1994年)日本史家ジョージ・サンソム夫人、昭和初期に東京で暮らした
♢ ジェーンス(Leroy Lansing Janes 1838~1909)
『熊本回想』(熊本日日新聞社 1978年)英学校教師として熊本入りしたアメリカの軍人
♢ シッドモア(Eliza Ruhamah Scidmore 1856~1928)
『日本・人力車旅情』(有隣堂 1986年)アメリカの女性著作家・写真家・地理学者
♢ ジーボルト(シーボルトPhilipp Franz van Siebold 1796~1866)
『日本 』1・2・3・4(雄松堂出版 1977~79年)、『江戸参府旅行』(平凡社東洋文庫 1967年)ドイツの医師・博物学者
♢ アレクサンダー・ジーボルト(Alexander Siebold 1846~1911)
『ジーボルト最後の日本旅行』(平凡社東洋文庫 1981年)ジーボルトの長男、父とともに江戸入りする
♢ ハインリッヒ・シーボルト(Heinrich von Siebold 1852~1908)
『小シーボルト蝦夷見聞記』(平凡社東洋文庫 1996年) ジーボルトの次男でオーストリアの外交官、考古学者
♢ シュピース(Custav Spies 生没年不詳)
『プロシア日本遠征記』(奥川書房 1934年)オイレンブルク使節団の一行中にあったザクセン商工団体代表
♢ シュリーマン(Heinrich Schliemann 1821~90)
『日本中国旅行記』(雄松堂出版 1982年)ドイツの考古学者、実業家、トロイ遺跡の発掘
♢ シュワルツ(Schwartz Henry B. 1869~1955)
『薩摩国滞在記』(新人物往来社 1984年)アメリカ人で1907年に鹿児島滞在
♢ スエンソン(Edouard Suenson 1842~1921)
『江戸幕末滞在記』(新人物往来社 1989年)デンマーク人でフランス海軍の一員として滞日
♢ スノー(Henry James Snow 1848~ 没年不詳)
『千島列島黎明期』(講談社学術文庫 1980年)リッチリバー号の船長でイギリス人探検家
♢ スミス(Richard Gordon Smith 1858~1918)
『ゴードン・スミスのニッポン』仰天日記(小学館 1993年)イギリスの旅行者で道楽者
♢ セーリス(John Saris 157980~1643)
『日本渡航記』(雄松堂出版 1970年)江戸初期に来日し、平戸イギリス商館を開設
♢ ダヌタン(D'Anethan,Eleanora Mary)
『ベルギー公使夫人の明治日記』(中央公論新社 1992年)明治時代に来日したベルギー公使夫人
♢ チェンバレン(Basil Hall Chamberlain 1850~1935)
『日本事物誌』1・2(平凡社東洋文庫 1969年)、『明治旅行案内』(新人物往来社 1988年)明治期のジャパノロジスト、イギリスの言語学者
♢ ズーフ(Hendik Doeff 1777~1835)
『日本回想録』(奥川書房 1941年)オランダ商館長、蘭日辞書「ズーフハルマ」を編集
♢ スミス(George Smith 1815~71)
『徳川時代の年貢』(東京大学出版会 1965年)イギリス聖公会の香港主教、1860年に来日
♢ ツュンベリ(Carl Peter Thunberg 1743~1828)
『江戸参府随行記』(平凡社東洋文庫 1994年)オランダ長崎商館に勤務したスウェーデンの医師
♢ ディアス(Francisco Diaz Cobarubias 1833~89)
『日本旅行記』(雄松堂出版 1983年)メキシコの天文学者、金星の観測のため来日した観測団員
♢ ティチング(Isaac Titsingh 1745~1812)
『日本風俗図誌』(雄松堂出版 1970年)オランダの外科医、学者、在日オランダ商館長
♢ ディクソン(William Gray Dixon 1854~1928)
イギリス人で工部大学院の教師
♢ デュバール(L. F. Maurice Dubard 1845~?)
『おはなさんの恋─横浜弁天通り』1875年(有隣堂 1991年)フランスの海軍士官
♢ トゥアール(Petit Thouars,Bergasse Du 1793~1864)
『フランス艦長の見た堺事件』(新人物往来社 1993年)堺事件の土佐藩士の刑執行に立ちあった
♢ ニコライ(Nilolai 1836~1912)
『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫 1979年)ロシアの宣教師で神田ニコライ堂の創設者
♢ ネットー(Curt Adolph Netto 1847~1909)、ワーグナー(Gottfried Wagener 1831~92)共著『日本のユーモア』(刀江書院 1971年)2人ともドイツの採鉱冶金学者
♢ ハイネ(Peter B. W. Heine 1827~85)
『世界周航日本への旅』(雄松堂出版 1983年)ペリー艦隊の随員で画家
♢ バード(Isabella Lucy Bird 1831~1904)
『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫 1973年)イギリスの女性旅行家、探検家。当時外国人が足を踏み入れることのなかった東北地方を馬で横断した
♢ バラ(Maergaret T. k. Ballagh 1840~1909)
『古き日本の瞥見』(有隣堂 1992年)横浜で暮らしたアメリカ人宣教師の妻
♢ パーマー(Henry Spencer Parmer 1839~93)
『黎明期の日本からの手紙』(筑摩書房 1982年)横浜、大阪、神戸などの水道設計にあたったイギリス人
♢ ハラタマ(Koenraad Wouter Gratama 1831~88)
『オランダ人の見た幕末・明治の日本』(菜根出版 1993年)長崎分析究理所での化学教師
♢ ハリス(Townsend Harris 1804~78)
『日本滞在記』上・中・下(岩波文庫 1953~54年)アメリカの外交官、最初の駐日総領事
♢ ハーン(Lafcadio Hearn 小泉八雲 1850~1904)
『神国日本─解明への一試論』(平凡社東洋文庫 1976年)ギリシア生まれのイギリス人文学者
♢ パンペリー(Raphael Pumpelly 1837~1923)
『日本踏査紀行』(雄松堂出版 1982年)アメリカの地質学者
♢ ピゴット(Francis Stewart Gilderoy Piggott 1883~1966)
『断たれたきずな』(時事通信社 1951年)イギリス軍人、駐日英国大使館の駐在武官
♢ ヒューブナー(Alexander F. V. Hubner 1811~92)
『オーストリア外交官の明治維新』(新人物往来社 1988年)1871年に来朝したオーストリアの長老外交官
♢ ヒュースケン(Henry Heusken 1832~61)
『日本日記』(岩波文庫 1989年)オランダ人の駐日アメリカ公使館通訳官、ハリスに随行
♢ ヒロン(Avila Giron 生没年不詳)
『日本王国記大航海時代叢書』11(岩波書店 1965年)16世紀末から約20年間にわたり主に長崎に在住したスペイン人の貿易商人
♢ フィッシャー(Adolf Fischer 1856~1914)
『100年前の日本文化』(中央公論社 1994年)オーストリアの美術研究家
♢ フィッセル(J. F. van Overmeer Fissher 1800~48)
『日本風俗備考』1・2(平凡社東洋文庫 1978年)オランダ商館員として日本に滞在
♢ フォーチュン(Robert fortune 1813~80)
『江戸と北京』(廣川書店 1969年)イギリスのプラントハンター
♢ ブスケ(Georges Hilaire Bousquet 1846~1937)
『日本見聞記』1・2(みすず書房 1977年)司法省顧問として在日したフランス人
♢ ブラウン(Sumuel Robbins Brown 1810~80)
『S・R・ブラウン書簡集』(日本基督教団出版部 1965年)アメリカ人宣教師
♢ ブラック(John Reddie Black 1826~80)
『ヤング・ジャパン』1・2・3(平凡社東洋文庫 1970年)イギリスのジャーナリスト
♢ ブラント(Max von Brandt 1835~1920)
『ドイツ公使の見た明治維新』(新人物往来社 1987年)駐日ドイツ公使
♢ ブラントン(Richard Henry Brunton 1841~1901)
『お雇い外国人の見た近代日本』(講談社学術文庫 1986年)1868年に来日し灯台の建設に携わったイギリス人
♢ フレイザー(Hugh Fraser 1837~94)
『英国公使の見た明治日本』(淡交社 1988年)英国公使
♢ フロイス(Luis Frois 1532~97)
『日欧文化比較』(岩波書店 1965年)ポルトガルのカトリック司祭、宣教師、織田信長や豊臣秀吉らと会見
♢ ベーコン(Alice Mabel Becon 1858~1918)
『華族女学校教師の見た明治日本の内側』(中央公論新社 1994年)華族女学校教師として来日したアメリカ人
♢ ヘボン(James Curtis Hepburn 1815~1911)
『ヘボン書簡集』(岩波書店 1959年)、『ヘボンの手紙』(有隣堂 1976年)アメリカ人宣教師、ヘボン式ローマ字の考案者
♢ ペリー(Matthew Calbraith Perry 1794~1858)
『ペルリ提督日本遠征記』1・2・3・4(岩波文庫 1948~55年)、『日本遠征日記』(雄松堂出版 1985年)アメリカの海軍軍人、東インド艦隊を率いて来航、日米和親条約を結ぶ
♢ ベルソール(André Bellesort 1866~1942)
『明治滞在日記』(新人物往来社 1989年)フランスの文人
♢ ベルツ(Erwin von Bälz 1849~1913)
『ベルツの日記』上・下(岩波文庫 1979年)ドイツの内科医、東大で医学の教育・研究および診療に従事
♢ ヘールツ(Anton Johannes Cornelis Geerts 1843~188)
『日本年報』(雄松堂出版 1983年)オランダの薬学者、近代日本の薬事行政、保健衛生の発展に貢献
♢ ホイットニー(Clara Whitney 1860~1936)
『クララの明治日記』上・下(中公文庫 1996年)商法講習所の教師として招かれた父とともに、来日したアメリカ人少女
♢ ボーヴォワル(Ludvic Beauvoir. contede 1846~1929)
『ジャポン 1867年』(有隣堂 1984年)フランスの青年伯爵
♢ ホジソン(Christopher Penmberton Hodgson 1821~65)
『長崎函館滞在記』(雄松堂出版 1984年)英国の探検家、作家、外交官1859年長崎領事事務取扱いとして来日
♢ ボードウァン(Albert Bauduin 1829~90)
『オランダ領事の幕末維新』(新人物往来社 1987年)オランダ領事
♢ ポルスブルック(Dirk de Graeff van Polsbroek 1833~1916)
『ポルスブルック日本報告 1857~1870』(雄松堂出版 1995年)オランダ商館員
♢ ポンティング(Herbert Goerge Ponting 1870~1935)
『英国特派員の明治紀行』(新人物往来社 1988年)イギリス人の写真家
♢ ポンペ(Pompe van Meerdervoort 1829~1908)
『日本滞在見聞記』(雄松堂出版 1968年)オランダ海軍教育隊付の医師
♢ マクドナルド(Ranald MacDonald 1824~1894)
『日本回想記』(刀水書房 1979年)アメリカの捕鯨船から小船で日本に密入国、長崎では日本人通詞たちの英語学習を助けた
♢ ミットフォード(Algernon Bertram Mitford 1837~1916)
『ある英国外交官の明治維新』(中央公論新社 1986年)、『英国貴族の見た明治日本』(新人物往来社 1986年)イギリスの外交官
♢ ムンツィンガー(Carl Munzinger 1864~1937)
『ドイツ人宣教師の見た明治社会』(新人物往来社 1987年)ドイツ人宣教師
♢ メイラン(Germain Felix Meijlan 1785~1831)
『外国人の見た日本』1(筑摩書房 1962年)オランダ人の長崎商館長
♢ メーチニコフ(Lev Ilich Metchinkov 1838~88)
『回想の明治維新』(岩波文庫 1987年)、『亡命ロシア人の見た明治維新』(講談社学術文庫 1982年)東京外国語学校でロシア語を教えた
♢ モース(Edward Sylvester Morse 1838~1925)
『日本その日その日』1・2・3(平凡社東洋文庫 1970~71年)、『日本人の住まい』(八坂書房 1991年)アメリカの動物学者、東大で生物学を講じ進化論を紹介、大森貝塚を発掘
♢ モラエス(Wenceslau de Moraes 1854~1929)
『明治文学全集』49内村鑑三集(筑摩書房 1967年)、『定本モラエス全集』1・2・3・4・5(集英社 1969年)ポルトガルの海軍軍人、著述家
♢ モール(Ottmar von Mohl 1846~1922)
『ドイツ貴族の明治宮廷記』(新人物往来社 1988年)ドイツの外交官、日本の政府顧問
♢ ヤング(John Rusell Young 1840~99)
『グラント将軍日本訪問記』(雄松堂出版 1983年)グラント将軍の訪日に随行したアメリカ軍人
♢ ラファージ(John la Farge 1839~1910)
『画家東遊録』(中央公論美術出版 1981年)1886年に来日したアメリカ人画家
♢ リース(Ludwig Rieß 1861~1928)
『ドイツ歴史学者の天皇国家観』(新人物往来社 1988年)東京大学史学科で教壇に立ち、日本近代史学の基礎を築く
♢ リュードルフ(Fr. Aug. Luhdörf 生没年不詳)
『グレタ号日本通商記』(雄松堂出版 1984年)プロシア商船の積荷上乗人
♢ 林語堂(Lin Yutang 1895~1976)
『支那のユーモア』(岩波新書 1940年)中華民国の文学者、言語学者、評論家
♢ リンダウ(Rudolf Lindau 1829~1910)
『スイス領事の見た幕末日本』(新人物往来社 1986年)スイス通商調査団の団長として来日、スイスの駐日領事
♢ ルサン(Alfred Roussin 1839~1919)
『フランス士官の下関海戦記』(新人物往来社 1987年)、『外国人が見た日本』1・2・3・4・5(筑摩書房 1961~62)フランス海軍将校
♢ レガメ(Felix Regamey 1844~1907)
『日本素描旅行』(雄松堂出版 1983年)フランス人画家
♢ ローエル(Percival Lowell 1855~1916)
『極東の魂』(公論社 1977年)アメリカの天文学者で、ローエル天文台の建設者
♢ ロティ(Pierre Loti 1850~1923)
『お菊さん』(岩波文庫 1929年)、『秋の日本』(角川文庫 1953年)、『ロティのニッポン日記』(有隣堂 1979年)フランス海軍士官、作家
以上、106名、131著作

ある文明の幻影

その107
ある文明の幻影
 このタイトルは本書「第一章」そのままです。(「第二章」以降も同じ)
 正式題名は、[『逝きし世の面影』を読む「第一章 ある文明の幻影」]です。
*
 幕末・明治初期の日本が諸外国の人たちの目にどのように映っていたのか、本書『逝きし世の面影』(以下「本書」)に載せられている記述を紹介いたします。

 登場人物の紹介と参考文献等については、別掲の[『逝きし世の面影』参考資料]を参照ください。したがって文中に注釈は付しておりません。

 また、ここに紹介する文献は、日本語訳された著作のみとしました。絵画等についても割愛させていただきました。

 この章では、日本が開国し近代化に向けてスタートしたころのことについて、外国人の主立った登場人物とその記述です。

♢ チェンバレン
 「なんと風変わりな、絵のような社会であったことか」
 「古い日本は妖精の棲む小さくかわいらしい不思議の国であった」
 「古い日本は死んでしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になった」

♢ ウェストン
 「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になることは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」

♢ クロウ
 木曽御嶽に登って感銘を受け、
「かつて人の手によって乱されたことのない天外の美」
と誉めたたえ、
「将来いつか、鉄道が観光客を運び巨大なホテルが建つような変貌がこの地を襲うだろう」

♢ ハリス
 下田玉泉寺のアメリカ領事館に、この帝国におけるこれまでで最初の領事旗を掲げたその日の日記に、
「厳粛な反省  変化の前兆  疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」

♢ ヒュースケン
 「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人びとの質朴な風俗とともに、その飾りけなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」

♢ カッテンディーケ
 「私の心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸運に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった」

♢ ポンペ
 「日本に対する開国の強要は、十分に調和のとれた政治が行われ国民も満足している国に割り込んで、社会組織と国家組織との相互関係を一挙にこわすような行為に見えた」

♢ リュードルフ
 「日本人は宿命的第一歩を踏み出した。しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜きとったとおなじで、やがては全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう」

♢ アーノルド
 「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」

♢ ボーヴォワル
 「どの家も縦材でつくられ、ひと刷毛の塗料も塗られていない。感じ入るばかりに趣があり、繊細で清潔かつ簡素で、本物の宝石、おもちゃ、小人国のスイス風牧人小屋である」
 「まさに地上における最も奇妙な庭園で、望遠鏡を逆にして高い所から眺めた妖精の園としかいいようがない」

♢ オリファント
 「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」

♢ ブラック
 他の国を訪問したあとで、
「日本に到着する旅行者達が、一番気持ちよい特徴の一つと思うに違いないことは、乞食がいないことだ」

♢ オールコック
 「蒸気の力や機械の助けによらずに到達することのできるかぎりの完成度を見せている」

 来訪した外国人の中には、封建的日本に忌憚のない批判をする人もいましたが、上記のことに関しては〝日本への共感〟の上に立った記述と考えられます。

 またこれらの中にはオリエンタリズム丸出しの記述も見受けられます。そもそもオリエンタリズムというのは、東洋に後進性・官能性・受動性・神秘性といった非ヨーロッパイメージを押しつける、西洋の自己中心的な思考様式とされ、これが西洋の絶対的優位の上に立っている以上、いくら賞賛し尽くした表現であったとしても、どこか片隅に侮辱や蔑視の視線が含まれていることも否めません。

 しかし、そのような前提に立ちつつも著者は、
「外国人のあるいは感情や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性がいきいきと浮かんで来るのだ …中略… われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実装をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろう」
と、この章を締めくくっています。

 われわれの先人は、これら外国人からの賞賛の声を甘受することなく、いや、むしろ逆に反発心をもって、オリエンタリズムの側の懐に飛び入り、自国を否定することによって、近代化を推し進めてきたのであります。が、その過程で「何か置き忘れてきたものはないか」というのが井蛙子の立場です。
つづく

『逝きし世の面影』を読む

その106
『逝きし世の面影』を読む
 『逝きし世の面影』は、渡辺京二氏の著作によるものです。

渡辺 京二(わたなべ きょうじ)
 1930年,京都市生まれ.日本近代史家.書評紙編集者などを経て,現在,河合塾福岡校講師.熊本市在住.おもな著書に,『北一輝』(朝日新聞社),『日本コミューン主義の系譜』(葦書房),『評伝 宮崎滔天』(大和書房),『渡辺京二評論集成』(全4巻、葦書房)などがある.近著に,『日本近世の起源』(弓立社),『江戸という幻景』(弦出版)がある.

 幕末から明治初期にかけて、おびただしい数の外国人が日本を訪れております。そしてその人たちのほとんどが日本の自然、風景、人びと、また習慣をも含めた暮らし向き全般について賞賛しています。

 それら外国人が日本をつぶさに見聞し体験した記録を集大成したものが本書『逝きし世の面影』で、わが国が開国そして西洋化、近代化することによって失った明治以前の文明の姿を追い求めたものといってよいでしょう。
 
 著者は、幕末・明治初期の外国人による日本観察記のいくつかを通読する機会を得て、彼らが描き出す古き日本の姿は実に新鮮で、日本にとって近代が何であったか、沈思を迫られる思いがした。昭和の意味を問うなら、開国の意味を問わねばならず、開国以前のこの国の文明のありかたを尋ねなければならぬ。と本書を上梓した動機を述べています。

 また、滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らなければならない。なぜなら、私たちの祖先があまりにも当然のこととして記述しなかったこと、いや記述以前に自覚すらしなかった自国の文明の特質が、異邦人によって記録されているからである。とも述べています。

 井蛙子は、このくだりを目にするや、これは「まさに剣道のことだ」と膝を打ったのですが、はたして著者がいう「滅んだ古い日本文明」という範疇に剣道は入るのか、という疑問がふつふつと湧いてきました。
 それは「文明」と「文化」の問題です。

 本書で取り上げているのはあくまで「文明」であります。しかし、剣道については「文化」という括りのもと〝わが国の伝統文化〟というとらえ方をするのが一般的な習わしであります。
 そして剣道が、現在までも延々と継承されている以上、「滅んだ」にはあてはまらない、とも。

 ところが、本書を読み進めると著者は、
「文化人類学はある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくいことを教えている。この場合、文化とは私のいう文明とほとんど同義である。」
と記しています。

 それもそのはず、この書は文明論や文化論を講ずるものではなく、それらすべてを包摂する〝社会の状態〟を述べているからです。

 というしだいで、自分は剣道という文化に属する人間として、幕末・明治初期以前のわが国の社会の状態を知ることは意義深いと考えました。

 サムライが消え廃刀の世となり剣道不要論が巻き起こる時代、なにせあの150年前の変革は、剣道にとって絶体絶命の危機だったからです。

 あの変革により、剣道の何が滅び、何が受け継がれてきたのか、はたまた今後、何を再構成させるべきなのかについて、今いちど学ぶ足掛かりとしたいと思い至りました。

 そして、その思いを強く突き動かしたのは、本書の中で、著者が魅了された古き日本とは、
「十八世紀中葉に完成した江戸期の文明である」
と述べているところです。

 18世紀の中ごろといえば江戸時代の宝暦・明和年間(1751~71年)にあたります。いっぽう剣道で宝暦といえば、あの一刀流の中西忠蔵が面・小手・胴などの防具を考案し、竹刀防具打込稽古法を採り入れた時代であります。

 宝暦・明和年間は政治・社会も文化的に寛容になり、江戸時代の中で最も自由な時代で、『解体新書』の訳出や平賀源内の活動、三浦梅園の哲学探究や江戸庶民文学の成立期でもあった時代です。

 こういった時代背景と竹刀防具打込稽古法の創始  これはけっして偶然の符合でないと思えるのです。防具をつけて竹刀で自由に打ち合いをする稽古法は、それまで閉鎖的であった流派性を解消し、他流試合が可能となったのですから。

 著者が魅了された古き日本、つまり江戸期の文明が完成した時代に現代剣道が産声を上げた。それだけで本書を味読する価値があると考えました。

 そして幕末には現代と寸分変わらぬ竹刀と防具が完成していたのです。サムライにかぎらず農民も町民も撃剣の稽古にいそしむ、大衆スポーツ(語弊があるかもしれませんが、あえて)として花開きます。

 それでは次回から、異邦人の目に幕末・明治初期の日本がどのように写っていたのか本書『逝きし世の面影』に掲載されている証言ともいえる記述を紹介いたしますが、著者は、
「この中で紹介した数々の外国人に連れられて日本という異国を訪問したのかもしれない」
と述べています。さらに、 
 「少年の頃、私は江戸時代に生まれてこなくてよかったと本気で思っていた。だが今では、江戸時代に生まれて長唄の師匠の二階に転がり込んだり、あるいは村里の寺子屋の先生をしたりして一生を過ごした方が、自分は人間として今よりまともであれただろうと心底信じている」
とも。
 では、次回をお楽しみに。

 参考として、拙談「その四十一」『ゆるぎなきもの』(H25.03.15)↓をご覧ください。
http://shinjukukendo.blog105.fc2.com/blog-entry-43.html
つづく
平成30年2月5日

明治維新150周年を迎えて

その105
明治維新150周年を迎えて
 明けましておめでとうございます。
 皆様方におかれましてはご家族ともどもつつがなく新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。
 どうか今年も変わりませず剣を通じてご交誼のほどよろしくお願い申し上げます。

 さて本年、平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。
この「明治150年」という節目に、いま一度、わが国が歩んできた道のりをふり返ることは大変意義のあることだと考えます。

 井蛙子は、歴史についてはまったくの門外漢ではありますが、己が志す剣道について、時節時節における潮流の中で、いかに栄枯と盛衰を繰り広げてきたかについては、本稿でもたびたび触れているところです。
 いかなるときに剣道への指向が低落し、またいかなるときに重きを置かれてきたか振り返ってきました。

 その中で戦前、戦中の一時期、にわかにおこった剣道の隆盛期がありました。それは戦技的な要請によるもので、極めてありがた迷惑な武道優遇策でありました。剣談その二十二「創立60周年を迎えて」参照↓
http://shinjukukendo.blog105.fc2.com/blog-entry-22.html

 〝われわれ剣道人は、今後はこういった仕向けには、いっさい与しない、という決心と覚悟をもたなければなりません〟

 自分のことを客観的に知るためには他人を映し鏡とするのが最上といわれるように、われわれ日本人のことをわれわれが客観的に知るためには異国の人の目を映し鏡とするのが最上であると考えます。

 幕末、明治維新期にはおびただしい数の外国人が日本に滞在し、日本人を非常に高く評価していた、ことは本剣連ホームページのトップ[一人ひとりが「道」を求め]でも述べているとおりです。↓
http://shinjukukendo.com/index.html

 このような幕末から明治初年にかけ来日した外国人による、日本人を賞賛した手記が数多く残されています。

 が、その当時、日本の知識人の多くは、それら外国人からの賞賛を喜びとするどころか、逆に斥けたとのことです。
 それは、なぜでしょう──
*
 「明治150年」の中ほどに、わが国にとって最も不幸な歴史というべき太平洋戦争があります。昭和20年(1945年)4月には沖縄陥落、8月の広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦などにより、日本はついにポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏することとなりました。

 しかし、GHQ(連合国軍総司令部)による占領下において、戦後の日本人の回復力はすさまじいものでした。それは「一億総懺悔」という精根によって発揮され、国民一丸、勤勉一色でもっていち早く復興を果たしました。

 これは日本人持ち前の内省力がバネとしてはたらき、回復力のエネルギーとなったのでしょうが、過去を恥ずべきもの捨て去るべきもの、と全否定しアメリカからの新思想を絶賛しすべて受け入れるという徹底したものでありました。

 このような日本人の、過去を否定するという心理現象は、その昔、太平洋戦争から遡ること70数年、150年前の日本人と同じものといえないでしょうか。

 ─ 国家そのものが大変革を成し遂げようとしているとき、自国への賞賛や美化がかえって変革の邪魔になる、と、それらを斥け、自国の過去を恥ずべきもの捨て去るべきものと全否定する ─

 このような、過去を恥ずべきもの捨て去るべきもの、とする日本人の思考はたしかに自虐的ではあります。

 しかし、明治150年という歴史の中で、維新政府による近代国家の建設、戦後の復興とそれに続く高度経済成長という2度もの変革期をみごと大成させたのは、とりもなおさず、過去を否定的に一掃することを厭わない、日本人の柔軟なる進歩、発展性にあると考えるものです。

 ともかく、この日本人の特質を筆者は、「内省力」ととらえております。
 しかし、いくら内省力が強いといっても、剣道が、変革期のたびにその存続の危機に瀕するのは迷惑千万な話です。

 ─ 明治期に入り廃刀の世となったことによる剣道不要論が横溢した時代、そして戦後、数年の剣道空白時代 ─

剣道はこの2度の変革期において、ともに廃絶の危機に瀕することとなりました。
 しかしこれら変革期をくぐり抜け見事復元できたのは、伝統の力でありましょう。

 これからは、世の毀誉褒貶に左右されない確固とした存在価値を築きあげなければならないと思うものです。

 そのためには、わが民族の源に連綿とつながる、近代以前の日本人について深く思いいたす必要があります。
 とりわけ武士が刀をたばさむ武家政権でありながら、二百数十年の長きにわたって平和を維持しつづけた江戸時代に。

 幕末から明治初年にかけ来日した外国人による、日本人を賞賛した手記が数多く残されているのですが、上述した理由により多くの日本人はそれを斥けました。
 今の世に、それを甦らせたのが、『逝きし世の面影』(渡辺京二著・平凡社・平成17年)という1冊の書です。
 次回は、日本人にとって珠玉ともいうべきこの書を紹介させていただきます。
つづく
平成30年1月9日
プロフィール

新宿区剣道連盟

Author:新宿区剣道連盟
「井蛙剣談」への思い

 「井の中の蛙大海を知らず」と自覚しつつ
「井の中は誰よりも知っている蛙」に成り代わり書き進めてまいります
つたなき指導の一環とお受け止めいただければ幸いです
               真砂 威

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